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第33話 エリペールの容態
「あの日もちょうど、養子の受け入れを断る返事が届いた直後だったのよ。それで、エリペールは随分と気が立っていた。このままでは無理矢理にでもマリユスと番になる恐れがあると判断して、隔離させてもらったの」
ゴーティエに続き、ブランディーヌが話し始める。
結婚前から噛み痕などあれば、余計に養子先が見つかりにくくなるのだろう。
ブイランディーヌは念には念をで、エリペールが僕を噛まないよう隔離した。
「エリペールは貴方に会えないことを嘆いていた。その夜から眠れなくなってしまい、最初の数ヶ月こそ若さで乗り切っていたけれど、徐々に体調を崩していった。仕事にも支障が出るようになってからは休養させてる。食欲もないし無気力だし、今ではベッドから起き上がるのさえ困難になっているの」
ブランディーヌは涙をいっぱい溜めて話してくれた。
「エリペール様が……そんな……」
溌剌とした姿しか思い浮かべられない。そんなエリペールが寝たきりの状態になっているなんて想像も出来ない。
「エリペールに会いに行ってあげて欲しいの、マリユス」
縋るように言われ、迷わず頷いたはいいが躊躇いはある。
あの部屋にいるのが当たり前だったけれど、今は勝手が違う。一年という距離は二人の溝を深く削ってしまった。
「僕が行っても、良いのでしょうか」
一年もの間、パトリスの許で呑気に過ごしてきた。
発情期こそ辛かったものの、エリペールが苦しみ続けていたことすら知らず、沢山本が読めて嬉しいだなんてよく言えたものだ。
相手がエリペールだというだけで信頼に値する。なのに疑い、手放した。
ずっと捨てられるのが怖いと思いながら過ごしてきたはずのなのに、自ら救いの手を払い除けたのだ。
「会わせる顔がないと言いたいのかしら? そうだったわ、マリユス。今すぐエリペールに会って頂戴。こんな言い方が良かったんだったわね」
子供を躾けるような口調であるものの、表情は懇願している。エリペールを助けてくれと、心の中で叫んでいるようだった。
これはブランディーヌからの命令だ。
喉をキュッと鳴らし「はい」小さく返事をする。
ブリューノが付いて来てくれるかと思い、チラリと視線を向けたが、頷くだけで立ちあがろうともしない。
その代わりに、ブリューノからゴーティエとブランディーヌに話があると言って僕から視線を外した。
「そういえば、マリユスの世話をしているパトリス先生ですが、実は学生の頃に妙な話をしていたのを思い出しました。エリペール君が何か言っていませんでしたか?」
「ブリューノ様、その話は……」
突然パトリスの名前を持ち出し、しかもそれは、彼の話には確証がなさすぎると言って聞き流したものだ。
ブリューノが何故この話を持ち出したのか。彼なら何か思惑がありそうだが、見当もつかない。
じっと考え顔を見ていると、ブリューノから話しかけられる。
「マリユス君はいつまでそこで立っているつもりなんだ? 早くエリペール君の様子を見に行かねば、一刻を争う事態かもしれないだろう」
ブリューノは、公爵夫妻と話があるからついて行かれないと態度で示した。
「パトリス先生の話を、何故、今になって出してきたのかな?」
ゴーティエとブランディーヌも頭を傾げているが、ブリューノは構わず続けた。
「マリユス君の養子についての話を聞いて思い出しました。僕も学生時代、エリペール君から話を聞いた程度にしか分からないのですが、先生には歳の離れた姉がいて、その人がもしかするとマリユス君の産みの母かもしれないと」
「なんだって!?」
「しかし根拠はありません。マリユス君がそのお姉様の若かりし頃に似ていると、確信めいた口ぶりだったとは聞きましたが。しかし、突然訪ねてきたマリユス君を別邸に住ませ、さらには自分の助手までさせている。給料を支払っている上に、生活面の一切をパトリス先生が面倒見ているそうです。彼は学生から厳しい先生だと言われていました。なのに当時からマリユス君に対しては違っていた。おかしいとは思いませんか?」
「今も、マリユスが甥と思い込んでいるから……と、考えるのが自然ね」
「一度、話を聞いてみる価値はありそうだ」
ブリューノは正しい。
二人ともパトリスの行動に対し、少なからずの違和感を感じている様子であった。
しかし、いつも計算高いブリューノが何を考えているかまでは測れない。
ブリューノは「こっちは任せて」とウインクで合図をし、しかし鋭い目付きで客室から出るようにと促した。
「失礼します」
この後どんな話し合いになるのか気になりつつ、エリペールの部屋へと向かった。
部屋が近くなるにつれ、エリペールの気配を感じる。
アルファのフェロモンの匂いに、吐く息が熱くなっていく。
姿も見ていないのに彼の存在を本能が感じ取り、早くも体が疼き出したとしか思えなかった。
この一年の間、少しくらいは探してくれるかもしれないと期待していた。でも探し出して連れ戻すとまでは考えていない。
少しでも僕を思い出す瞬間があれば嬉しいなどと、確認のしようもない期待だけは抱いていた。
それがまさか、本人が動けなくて探せなかったなど思わないだろう。
エリペールは自分よりも八歳も若くて体力もある。
しかし感じられる気配は今にも消えそうなほど弱かった。
一つ、息を吐いてからドアノブを握る。
一年ぶりの部屋はあの頃と全く同じで安心する。しんと静まり返っていて、足音が響いた。
コツコツと一歩一歩を確かめるように寝室へと向かう。
「失礼します」
小声で言うと中に入った。
ベッドに視線を移す。そこに横たわる人は入室してもピクリとも動かない。
真上から見下ろし、確かに本人であると確認した。
「———エリペール様」
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