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第40話 謎だらけの書類
名前が一致したのには驚いたが、パトリスは一概に信じてはいけないのだと、書類を見て感じたようだ。
「ロネという姓は特に珍しいわけでもない。偶然同じだったとも考えられる。その証拠に、身元人は姉の名前でもなければバルテルシー伯爵様のものでもない。やはり、これだけでは断定でき兼ねます」
身元人の名前は『エレノア・マルテル』と記載されていた。
「聞いたことのない名だ」
ゴーティエですらそう言った。
貴族ではないのは確かだろうという推測を付け加えた。
しかしここで口を挟んだのはブリューノであった。
「……この書類は変ですね」
「どこがどう変なのだ、ブリューノ」
エリペールが喰いついて訊ねる。
「エリペール、君がマリユス君を見つけた奴隷商は、確か最下級の施設だったと話していたね?」
「そうだ。当時、馬車を引いていた者が道を間違えた。湿気臭い洞窟のような場所で、とても人を扱う場所ではなかった。とはいえ、これは後にお母様から聞いた記憶でしかない。私自身が覚えているのはマリユスだけだ」
奴隷商から渡されたこの書類に、不備でもあるのかとゴーティエが訊ねる。すると、ブリューノは不備ではないと言って、身元人の欄を指差した。
「最下級の奴隷商なのに、身元が保証されているのです。これは貴族か余程の富豪の出だという証。平民が売ったとて身元を保証する必要などありませんから、最初から名前など記載しないはずです。雇われた商人が適当に値段をつけて金を支払った後は、奴隷商が好き放題するだけです。それに引き換え、貴族相手なら話は変わる。どこの出かも知れない者を迂闊に屋敷に入れるわけにはいかない。値段も相当額の金額を商人と相談の上、決めている」
ブリューノの言葉に、ブランディーヌが反応した。
それは彼女が当時、違和感を覚えた事柄の一つであった。
「そう……変だと思ったのよ。マリユスはもう処分寸前で、ぞんざいに扱われていた。商人からもオメガだと見下されていたほどだった。なのに……その割に高額だった」
『オメガのくせに高くて売れ残っている』商人の言葉を思い出してブランディーヌが呟いた。
「こちらが公爵家だと知り、値段を改ざんしたわけでもなかったのよ。書き換えたなら、直ぐにバレてしまうもの」
「そうですね。奴隷商では値踏みをされないよう、最初から決まった金額が書類に書き込まれているはずですから。調べてみなければ分かりませんが、これで貴族奴隷相当の値段であれば、マリユス君を売ったのは貴族だった……という可能性は充分にあり得るかと」
ブリューノは父親であるクライン公爵が詳しいので調べてもらうと続けて話した。
「しかしブリューノ、訊きたいのだが……」
エリペールが考え込むように手を顎に添え、切り出す。
「どうした、エリペール」
「貴族奴隷などそれほど需要があるのかと思ってね」
「それが、王族・貴族相手だとオメガが一番重宝されると聞いたことがある。後継者が生まれない場合、陰でオメガを囲うらしい。アルファの女性より、オメガなら男性であっても出生率は高い。結婚が決まると共に、オメガを側室に置くのも実は珍しくないそうだ。だから貴族奴隷の場合に限り、オメガには一番の高値が付く」
奴隷についてはゴーティエやブランディーヌもあまり情報を知らないらしく、奴隷を買うとなった時も仕事関係者から話を聞き、試しに訪れたのだと言っていた。
教えられた基準が貴族奴隷だったため、どこの施設であっても値段は変わらないのかと思い、承諾したそうだ。
「要するに、この書類には隠された真実がある……」
ゴーティエが書類を顔の位置まで持ち上げ、呻った。
「貴族相当の値段で売ったということは、そのエレノア・マルテルという女性と一緒に、貴族が付き添っていたのかも知れませんね」
ブリューノ考察に、エリペールも同意する。
「子供は売りたかった。しかし身元はバレたくなかった……。考えるほど、奇妙だ」
自分の出生に関して、こんな展開になるとは思いも寄らず、途中からは黙って聞いているしかなかった。
物心ついたときには石積みの塔にいた。
改めて書類を見ると、奴隷商に売れる年齢になって直ぐ売られているとも見て取れる。
「……やはり、姉は亡くなったと考えるのが自然ですかね」
ポツリとパトリスが呟く。
もしもエレノアという女性が実在していて、僕を売ったのが貴族であるなら、交渉の際には同席していた可能性が高い。しかし貴族奴隷を扱う施設だと身元の隠しようがないため、わざわざ最下級の奴隷商へ売った。
パトリスの姉が生きていたなら……愛する人の子供を売ったりするだろうか。別邸で住まわせているとバルテルシー伯爵が言っていたなら、それなりの生活は保証されていたのではないのか。
それならば、一体誰が幼い子供を母親から奪ってまで売ったのだ。
相当粘っただろう。
あの施設から買われた子供たちは、奴隷商を出たとて人間扱いはしてもらえない。そんな話を番人たちがしていた。だからそのための訓練として毎日の暴力が容認され、繰り返されていた。
例え僕が貴族だったとして、高額な値段をすんなり受け入れたとは考え難い。
こんな紙切れ一枚の書類に、謎がひしめき合っている。
「バルテルシー伯爵に、話を聞くしかない」
ゴーティエの判断に、全員が頷いた。
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