39 / 61
第39話 パトリスの過去と姉についての記述
ラングロワ邸を訪れたパトリスは緊張の面持ちだった。
学校ではいつも沢山の資料を持ち歩いている印象があるが、今日は鞄一つで手持ちぶたさなのか、落ち着きがない。
「パトリス先生、突然いなくなってしまい申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。ブリューノが訪ねてくれたあの日、パトリスに一言の挨拶もせずに出ていってしまったのに、謝罪も何もできていなかった。
ブリューノが事情を説明してくれ、その後、ゴーティエも忙しい合間を縫ってパトリスの研究室へ顔を出してくれたのだと言っていた。
パトリスは出迎えたゴーティエを見て、少し顔の強張りが和らいだように感じた。
「ご足労かけたね。どうぞ中へ」ゴーティエが声を掛け、「お邪魔致します」一言返事をしてパトリスが後に続いた。
客室にはエリペールとブリューノ、ブランディーヌが先に待機していた。
パトリスが入室すると、三人揃ってお辞儀をする。
話の内容は概ねブリューノから話してくれていたので、着席次第、合議を始めた。
「まずは謝罪をさせてください。私はマリユス君がラングロワ公爵家の家族であると知りながら、預かっている旨を知らせませんでした。そのことでエリペール様に悪影響を及ぼすなど、考えが至りませんでした。本当に、申し訳ありませんでした」
全員に向かってパトリスは頭を下げる。
全員がその様子を黙って見ていたが、エリペールだけは違った。
「理由があるのだろう。この際、連絡をしなかった理由でも言い訳でも洗いざらい話したまえ」
パトリスに対して苛立ちを抑えるのに必死な様子を見せた。
しかしそれは全員が気になっていることでもあったので、パトリスに注目する。
「……自分の欲求を優先してしまいました」
少しの間目を伏せて黙り込んでいたが、観念したように話し始める。
「マリユス君がもしかすると身内かもしれないと思っているのは、皆様既にご存知かと思います」
「あぁ、今回の件で共有させてもらった」エリペールの口調はパトリスを攻めているようだった。
パトリスは敵の陣地にで送り込まれたように狼狽した面持ちで、それでも話を続ける。
「希望を捨てきれませんでした。マリユス君に失踪した姉を重ね合わせていたのもあります。それほどマリユス君は姉にそっくりなんです。生き写しのようで……。私はもう実の家族を亡くしていますから、マリユス君との生活は失った時間を取り戻したような気持ちにさせてくれていたのです」
パトリスは遠い視線の先に、失踪した姉を見ているようだった。
僕に姉を重ね合わせ、もし元気でいてくれれば、こんな生活を送っていたのではないかと幻想を抱いていたのだろう。
「マリユス君が学生時分に私の身の上を話してしまい、混乱させたのは後悔もしました。それ以来、交流もなくなってしまったのでね。しかし、もう嫌厭されているかと思っていたマリユス君から頼りにされ、断る理由はなかった。ラングロワ公爵家から連絡があれば、その時は素直に従おうと決めていました。ただ、それまでは……」
パトリスの言葉にエリペールは「身勝手な理由だ」と一喝した。
「分かっています。自分の過誤は認めます。もう充分、夢は見させてもらいましたから」
悄然とした表情で目を伏せ、何とか口角だけを上げる。
「エリペール様、パトリス先生を責めないでください。僕から先生に、どうか公爵家には連絡しないでくださいと頼んだのです。先生は僕の気持ちを汲んでくれただけで……」
横から庇護しようとしたところ、ブリューノが口を挟む。
「結果的にマリユスが危険な目に遭わなくて済んだのだから、もう良しとしようではないか。今からもっと大事な話をしなければならない。最初からギクシャクしていては、いつまで経っても前に進めないぞ、エリペール」
いつまでも敵対心を剥き出しにしているエリペールに、注意を促す。
「あ、あぁ……すまない。また私が暴走しそうになった時は止めてくれ」エリペールは眉根を寄せつつ、ブリューノの正論に従った。
「パトリス先生に悪意がなかったのだから、水に流すべきだ」
続けて言った言葉にも「あぁ」と呻るような返事をして頷いた。
「では、本題に入ってもいいかな? 先生のお姉様が失踪したと……」
ゴーティエがパトリスに話しかけると、パトリスはピシッと姿勢を正した。
「はい。おおよその内容はエリペール様やマリユス君から聞いていると思います。私も日記を見つけたのが両親が他界して数年経ってからだったので、情報を集めるのに随分難航していまして」
パトリスは説明しながら鞄を開き、その日記を取り出す。中に手紙らしきものが一通挟まっているのも見受けられた。
ゴーティエが受け取り、中に目を通していいかとパトリスに訊ねる。
「是非、見てください。何か気になることがあれば何でも仰ってください」
そこには主に、姉であるイレーネのについての内容が記されていた。
パトリスから聞いた話と一致している。
一通り読んだゴーティエが日記帳を閉じ、「特に違和感は感じられなかった」とテーブルにそっと置く。
パトリスはため息を吐き背凭れに身を預けた。
「しかし、立派な日記帳だね。パトリス先生のご両親のものだということだが……こんな物、どうやって手に入れたのだろうか」
ゴーティエが日記帳をブランディーヌに見せると、隈なく細部まで注視していた。
綺麗な花の刺繍の装飾が施された表紙は、パトリスの研究室で見た美術品のような本である。
確かに、中々手に入るものではない。
パトリス自身は本を集めるのが趣味であるが、両親から譲り受けたのものなのだろうか。
「実は私の両親は、貴族街に店を数店舗構える商人でした。姉は私と違い社交的な人で、よく店を手伝っていました。オメガ特有の美しい人でしたから、貴族のパーティーにも誘われていたそうです。ノートはその頃、姉に気のある貴族が両親の機嫌伺いにプレゼントしたものだそうです。
バルテルシー伯爵様ともパーティーで出会ったと、日記に書かれていたので知りました。私はこの通り商売気のない人間ですから、もう店は全て親戚に譲っています。私の結婚もその当時の伝手があったからです。ルブラン伯爵家の末っ子は幼い頃の病気が原因で、妊娠ができないと言われていました。でも結婚願望はあった。それで、子供が産めなくても良いと言ってくれる相手を探していたのです。その話を聞いた時、瞬時に名乗り出ました。私は子供が苦手だし、恋愛の経験もない。形だけの結婚で、あとは好きな研究や、姉の捜索を続けられると思ったのです」
時間をかけて説明をした後、挟まっている手紙を見て欲しいと促す。
そこには、姉に一人の男の子が生まれた旨が記されていた。
名前が書かれていないのは子供を探させないためか……出生日を確認する。
「……ブランディーヌ、確かマリユスを奴隷商から引き取った時の書類に、出生日が書かれていたのではなかったか」
「確認してみますわ」
ゴーティエに話を振られ、ブランディーヌは急いでその書類をテーブルに置いた。
手紙に記されていた日付と、奴隷商の書類に記されている日付は全く違っていた。
「売るときに出鱈目を書いた可能性も考えられる。バルテルシー伯爵が、子供を奴隷商に売ったのを隠蔽するために」
ブリューノの案に、エリペールも深く頷く。
「その書類を見ても構いませんか」
今度はパトリスがマリユスのデータを見たいと言い、手に取ると小さな丸眼鏡越しに一点だけをじっと見詰めていた。
「パトリス先生? 何か、気になることが書かれていましたか?」
「……マリユス君、君の本当の名前は……」
「すみません。売られるときに聞いたきりだったので覚えていなくて……そこにはなんと書いてありますか?」
「……マリユス……ロネ……。私の姉の名前は『イレーネ・ロネ』……」
全身が粟立った。
「なっ……」
エリペールも誰も彼もがパトリスに注目した。
「いや、しかし……」
パトリスの渋面は晴れなかった。
ともだちにシェアしよう!

