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第52話 愛されていた
エリペールはどうしても出せない答えに悩んでいた。
バルテルシー伯爵邸へ来たのは、この問題を解きたかったという理由が大きいようだった。
「貴方たちのお子様についてですが……」
「ロメオが死んだことも主人は話したのですね。公爵様から同情を乞うような真似をして、情けない」
グラディスは、我が子が亡くなったのを悲しむ様子は見せない。
生きていれば、僕の兄弟と言える年齢だったはずだ。貴族ならば、結婚して新しい家庭を築いていてもおかしくはない。
ゴーティエなんかは早く孫の顔が見たいと、エリペールではなく僕に言ってくる。この事件が解決した後は、なるべく早くに結婚し、いや、その前に僕の発情期でも始まれば何も気にせず番になりなさいとまで言ってくる。
親にとって我が子の成長した姿や、新しい家族が増えるのは楽しみの一つなのだろうとゴーティエを見て感じていたが、グラディスからはそういった感情を持っているようには思えなかった。
なかなか子宝に恵まれなかったという話しを聞いていたが、子供が欲しかったわけではないのだろうか。
僕はグラディスを見た時、初めて生理的に合わないという感情を抱いた。
何故そんなことを思ったのか理由が分からなかったが、ずっと見ていると一つ気付いたことがある。
この人の眸には光が宿っていない。
眸に映し出される感情というものが一切見えないから、怖いと感じたのだ。
「お子さんのお名前はロメオ君というのですね。衰弱死だと聞きましたが、それは不思議ですね」
エリペールは淡々とした口調でグラディスに話しかける。
いつもは表情豊かな彼が、僅かほどの感情の起伏も感じさせない。しかし波風の立たない凪いた口調の奥に、激しい怒気が感じ取れた。
「ロメオの件は公爵様には関係のない話ですわ」
「ただ知りたいだけです。死に方が、あまりにもイレーネさんと似ていると感じたので。時間をかけてゆっくりと眠るように亡くなった。こんな恵まれた環境で、何も対策できなかったとは到底思えないのですよ。勿論、ロメオ君はお二人の子供ですから私には関係ありません。けれどバルテルシー伯爵は真実を知る権利があると思いましてね」
エリペールからバルテルシーに話を振った。
バルテルシーは、まさか我が子まで殺害されたとは夢にも思っていなかったようだ。
「いや……しかし……ロメオは本当に心根の優しい子で、グラディスも可愛がっていましたし……そんなはず……」
グラディスは暫定的に懐疑の念を抱いていた。さっきまでエリペールには真っ向勝負を挑むかの如く視線を絡ませていたが、今はバルテルシーの顔を見ようともしない。
「グラディス、ロメオの死因は難病による衰弱死だと……違うのか。答えてくれ」
「……貴方って人は、本当に能天気で良いわね。私が話したことを全て鵜呑みにするんだもの。とても簡単だったわ。拍子抜けするくらいにね」
「待て、まさか本当に君が……」
「だって、あの子も私よりお父様の方が好きだなんて言うんだもの。痛い思いをして産んでやったのに、許せなかった。毎日毎日、公務で留守にしてる人のどこが好きなのか理解できなかった。私はずっと側にいて、人の前に立っても恥をかかないよう躾けてあげていたのに。何の感謝もされなかった」
「そんな理由でロメオを殺したと言うのか!?」
「途中で心を入れ替えれば、許してあげようと思った。だからあの女と同じようにスプーンに毒を塗り、少しずつ様子を見ていたの。でも……ロメオは最後までお父様に付き添っていて欲しいと言ったわ」
バルテルシーは腰を抜かして立ち上がれなくなってしまった。
静寂に包み込まれ、グラディスに注目したまま呆然と立ち尽くす。
「グラディス・バルテルシーを斬首刑に処す」
ゴーティエは冷然と言い渡した。
その後の処刑を僕たちは見届けなかった。
街は騒然としていたとだけ、後にバルテルシーから聞いた。
バルテルシー伯爵邸まで同行したパトリスは、バルテルシーがイレーネを殺したと強く疑いを持っており、真実が暴かれた瞬間、刺殺を企んでいたと聞いて驚いた。
「けれども犯人は断罪された。これからは姉との思い出と共に生きていく」と語り、帰路についた。
♦︎♢♦︎
「よければ、イレーネを匿っていた別邸に行きませんか」
断罪から少し経ち、バルテルシーからの伝達が届いた。
「マリユスが見つかり、これでイレーネの魂は我が家へ連れて帰れる。なので別邸は手放そうと思っているのです」
「是非、同行させてください」
即答で返事を送り、エリペールと二人でバルテルシー街を訪れた。
街の様子が心配だったが、変わらず活気に満ちていて安堵した。
「もともと、グラディスはあまり人前には顔を出さなかったのでね。行く先々でこの事件のことを聞かれますが、嘘を吐くと自分の首を絞めるだけなので、真実を伝えています。そうしたら、変な噂も立たずに落ち着きました」
バルテルシーはやつれていたが、穏やかな印象は変わらなかった。
別邸は街の外れにある、小さな庭のついた一軒家だった。
「マリユスはここで産まれたから、見て欲しくてね」
「ありがとうございます。僕はずっと誰からも愛されずに捨てられたと思っていたので、貴方のような方が本当の父親で嬉しいです」
「私を、父と認めてくれるのかい?」
「だって、貴方しかいないじゃないですか」
「マリユス……あぁ、ありがとう。生きていてくれて本当にありがとう」
あんな石積みの塔でも何とか生き延びれたことを、今では良かったと思える。
バルテルシーは「そういえば、エレノアが書いた物語がどこかにしまってあるはず」と言って探し始めた。
「彼女は几帳面な性格でね、毎日マリユスの様子を記録していた帳面をこの机にしまっていたんだ」
バルテルシーはグラディスが話していた『奴隷商に売ると提案してきたのはエレノアだ』という言葉は信じないことにしたのだろうと思った。
でなければ、こうして僕の前でその名前を出すとは思えない。それほどエレノアを信用していたのだ。
バルテルシーが机の引き出しを開けると、奥に引っ掛かりを感じ「ん? 何かが入っている」腕を突っ込んだ。
「紙だな」と言いながら取り出すと、その筆跡でエレノアが書いたものだと直ぐに分かった。
『どうか、旦那様が見つけてくださいますように』
願うように書かれていた紙を開き、三人で覗き込むと同時に目を見開いた。
「これは……」
バルテルシーが目を泳がせ、内容を追っていく。
そこには、エレノアがグラディスに脅されイレーネのスプーンに毒を塗ったことや、妊娠中からマリユスも一緒に殺すよう指示を受けたことが記されていた。
【旦那様が生まれてくるのを楽しみにしてらっしゃるマリユス様を殺すなど、私にはとても出来ませんでした。
私は何とかマリユス様に生き延びて欲しくて、殺すのではなく奴隷商に売ってはどうかと奥様に話を持ちかけました。
貴族奴隷を扱う施設なら、生活は保証される。
二歳までは売れないのも知っていましたので、私がそれまでマリユス様の面倒を見ると言って、グラディス夫人を説得することができました。
マリユス様が施設で生きていれば、きっとバルテルシー様が見つけてくださると考えた末の行動をお許しください。
きっと私は口封じのために命を狙われるでしょう。イレーネ様への行為も許される事ではありません。例え私の身に何が起きようとも、受け入れる所存でございます。
けれどもどうか未来で、旦那様とマリユス様が会えていますように———エレノア・マルテル】
最後まで手紙を読んだバルテルシーはそれ以上何も喋らず、エレノアからの手紙を見詰めていた。
「エレノアさんは、どうにか僕の命を繋ぐ方法を考えてくれていたのですね」
これは僕を石積みの奴隷商へ連れて行く前に書かれたものだった。
エレノアは、僕を貴族奴隷の施設に連れて行く計画だったのだ。それは僕の命を守る為の僅かな望み。決死の覚悟の末の行動だった。
「マリユスを本当の家族だと思っていたのは、嘘じゃなかったと言うことだ」
エリペールに肩を抱かれ、口許が震えた。
「……はい」
エリペールは改めてバルテルシーと向き合い一礼をした。
「私はマリユスの運命の番です。どうか、私たちの結婚を承諾して頂きたい」
「ラングロワ様……あぁ、こんな僥倖に恵まれるなんて……!! 勿論でございます。マリユスを助けてくださり、ありがとうございます。どうか、これからもよろしくお願いします」
バルテルシーからも深々と頭を下げた。
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