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第4話

幼子は体温が高い。 彼にとってそれは新鮮な驚きだった。 彼の膝で猫のように丸くなって眠る稚児を、飽くこともなく日がな一日眺めて過ごした。 稚児に出会い、彼の生は新鮮な(いろどり)に満ちた。 二人でご飯を食べ、縁側に座り景色の移り変わりを眺めていると、稚児がやってきて彼の膝で昼寝を始める。 汗をかきながら、力強い寝息をもらす稚児は、生命力の塊のように思えた。 袖口で汗をそっと拭ってやりながら、穏やかに過ぎ去る時間を楽しんだ。 半月ほど過ぎると、稚児は日中起きていることが多くなった。 彼の膝に座り、鼻先をかすめるとんぼや縁側に侵入してきた蟻を熱心に見ていた。 彼は稚児を散歩にでも誘おうかと思い立ち、ふと、あることに気づいた。 「おぬしの名前を聞いとらんかったの。  名はなんという?」 「ない」 さきほど食べたスイカの汁でも垂れていたのか、列をなす蟻を観察しながら即答する稚児。 名は単なる記号、とはいえ生まれて親から最初にもらう贈り物とも聞く。人間にとっては重要な意味を持つのではないのだろうか。 真剣な面持ちで蟻の動きを追う稚児の横顔に、形容しがたい感情がうずく。 彼はその感情に名前があることをまだ知らない。 戸惑いをふりはらうように、明るく声をかける。 「よし、散歩にでも行くか」 散歩という概念がないのか、きょとんとした顔で小首をかしげている。 「庭の奥の森にいけばリスに会えるやもしれん」 リスと聞いて、目を輝かせる稚児。 庭先に訪れるスズメやカラスをより熱心に目で追っていることを、彼は知っていた。 いまにも駆け出しそうな稚児に草履を履かせると、左手を差し出す。 戸惑う稚児の手をとり、 「迷ったら困る。  しっかり握っておけ」 離すなよとさらに念を押す。 稚児がこくりとうなずくのを確認すると、ゆったりと歩を進めた。 春夏秋冬。最初は春の庭にするか。 稚児の手を引き、手入れを怠っていたため伸び放題の藪を払いながら進む。 藪の中、悪戦苦闘すること数分。突然、視界がぱっと開けた。 彼らを迎えたのは、むせかえるような甘い花の香と、視界を奪うほどのまばゆい太陽の光。 光に目が慣れてきた稚児の目に飛び込んできたのは、淡い紫。 「……ほう、今回は藤の季節か」 「ふじ?」 何百、何千という藤の花が、枝垂れ、風に揺れ、世界を淡く染め上げる。 言葉もなく、呆けたように立ち尽くす稚児の白い肌が、ほんのりと紫を吸い上げる。 「藤の花は気に入ったか?」 食い入るように藤の花を見つめたまま、何度も首を縦に振る。 「藤丸」 「え?」 「おぬしの名前。  藤丸はどうだ?」 驚いたように彼を見上げた後、視線を落とし、何度も口の中で反芻する。 ふじまる、ふじまる、ふじまる…… おれの名前……? おれは……ふじまる、ふじまる! 握られた手をぎゅっと握り返し、潤んだ熱を帯びた瞳で彼を見上げる。 彼は藤丸に優しく微笑み返すと、 「気に入ったか?」 柔らかな声音で問うた。 「……気に入った」 また視線を足元に落とすと、頬を染めながら小さく答えた。 満ち足りた気持ちで藤の花を眺めていると、くっと左手を引かれた。 藤丸に目を向けると、 「あんたの名前は?」 問われ、久しく忘れていた自身の名前に思いを馳せる。 「わしの名はな、――

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