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第3話

「どうした、食べないのか?」 ご飯、味噌汁、焼き魚に香の物が並べられた膳を前に、うなだれたまま動かない(わらべ)に声をかける。 きちんと膝をそろえて座した膝の上、小さな手は固く握りしめられている。 「具合でも悪いのか?腹が痛いか?」昨夜もまた無理をさせ過ぎたからな、という言葉はさすがに飲み込む。 薄い眉毛をぎゅっとよせ、押し黙る(わらべ)。 やれやれ、根比べか…… いいだろう。こちらは待つことには慣れている。 向かい合い膳を囲んだまま、相手の動きを待つ。 ぐうううぅ~ 膠着状態を破ったのは大きな腹の虫だった。 「なんだ、やはり腹が減っているのだろう。  なぜ食べぬ?」 (わらべ)は腹を両腕で掻き抱くようにし、幼い顔を紅潮させた。 「……肥らせて喰うつもりだろ」 「なに?」 小さく漏れた言葉の意味が分からず、聞き返す。 「知ってるんだ!子どもをさらってたくさん食べさせて大きくなったら食べちゃうって!!」 たまっていたものを吐き出すように、一息に言い切った。 (わらべ)からの思いもよらない言葉に阿呆のようにぽかんと口を開けて、まじまじと幼い稚児を見る。 「なにをバカな……」 言いかけて、己の過ちに気づく。 「あー……、そうじゃのう。これはワシが悪かった」 がしがしと頭をかくと、美しい白銀の髪がさらさらと揺れた。 「おいで。おバカでかわいいワシの稚児」 オオカミを前にした子ウサギのように小さく身を縮こませ、怯えた目でこちらを油断なく見ている。 「とって食ったりせん。こっちへおいで」 …… 「……昨日みたいなこともせんから」 …… 「……ワシが悪かった。  この通り謝るから。こっちへ来てくれんか?」 あぐらのままがばりと頭を下げると、ようやっとそろそろと衣擦れの音が近づいてくる。 小さな足が視界にはいり、ゆっくりと頭をあげた。 「よう来てくれたの。  ここにお座り」 膝をぽんぽんと叩くと、おずおずと腰を下ろし背中を預けてきた。 幼子特有の高めの体温と甘酸っぱいような汗の匂いを感じ、愛しさがこみ上げる。 そっと腕を前に回し、愛しい体を掻き抱く。 そのままゆらゆらと揺れていると、少しずつ(わらべ)の体から力が抜けていった。 「愛いのう、愛いのう  ワシの稚児はまことめんごい」 柔らかな髪に頬をすりよせ、何度も繰り返し言う。 「ぼくしぬんでしょ」 「おぬしは死なんよ。ワシがおる」 しばしの沈黙の後、 「早く大人になりたい」 聞き捨てならないことを言われ、ピタリと体が止まる。 「なぜそのようなことを言う?  焦らずとも良いではないか  ほっておいてもすぐ大きくなってしまうのだから」 せっかくこんなにかわいいのにと口をとがらせると、いぶかるようにこちらを見上げる(わらべ)と目が合う。 「なぜそんなに急ぐ?」 「働かないと」 言外に含まれた「価値がない」を感じ取り、大きく吐息をもらす。 得も言われぬ怒りが腹の底に渦巻いた。 何に対して? わからない。わからないが、体が震えるほどの怒りがこみ上げる。 「馬鹿じゃのう。馬鹿じゃのう。  うちの稚児さまはほんに愚かで愛しいのう」 ふたたびゆらゆらと揺れ始める。 「……だって」 「(わらべ)は愛されるのが仕事じゃ」 「それいがいはなーんもせんでいい」 「ワシに、世界に、この世のすべてに愛されていること  それを全身で感じて、学ぶ  それ以上に大切な仕事などないよ」 ぽたり、と滴がまわされた腕に落ちる。 「……昨日みたいなのも?」 ぐ、と言葉に詰まる。 「あれはな……  そうだな。大事な愛情表現だ」 「……いじわるだった」 「そうじゃのう。ちとやりすぎたのう」 くすくすと楽しそうに笑いながら、揺れを大きくするとつられたように(わらべ)も笑いだす。 そうだ、(わらべ)はこうでなくてはいかん いつもワシの横で笑っておればよい 「さて、そろそろ朝餉(あさげ)を食べようかの  このままワシの膝で食べさせてやろうか?」 半分以上本気で尋ねたのだが、あえなく愛しい稚児は腕の中から逃げて行った。 猛然と朝餉(あさげ)をかきこむ、生命力に溢れた姿を満足げに眺めながら、自身の膳に箸をのばした。 代り映えのないその食事が、いつもより格段と美味しく感じられた。

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