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第1夜 おかえり
机と椅子がぎゅうぎゅうに詰められ、どうにか二十席が確保された店内。
いつもは平日も土日も関係なく夕方の時間帯から満席だけど、今日はがらんとしている。
その代わり、机の上にはたくさんのオードブルが並んでいた。
ここは俺の両親が営む「ひだまり食堂」
和洋食を提供するレストランで、テイクアウトもしている。
普段はランチとディナーを提供しているんだけど、今日……というか、この期間は特別。
今日からお盆だ。
この辺りの人たちは、お盆や年末年始になると「ひだまり食堂」のオードブルを注文してくれる。
ありがたい話だよね。
「雄大、これは朝倉さんとこのやつ」
「はーい!」
「あ、それ終わったらこっちのも! 安田さんのところね!」
「りょーかい!」
父さんと母さんは、キッチンいっぱいに広がった料理の山を切り崩し、オードブル用のプラスチック容器へと詰め込んでいく。
見習いの俺は、透明な蓋を被せてビニール袋に入れ、名前を書いた付箋を貼る。
そして、普段はお客さんが飲食しているテーブルに置いていく。
忙しいのは幸せなこと。
父さんと母さんの口癖だ。
わかる、わかるよ。
俺も今年の春から高校を卒業して都会に出て一人暮らし。
そこから調理師学校に通っている。
学校では先達の失敗談をよく聞くから、閑古鳥が鳴いているよりかは絶対にいい。
でもさ、あと十五分もしたら今よりも忙しくなる。
オードブルを受け取りに来た人の対応と、受け渡しの準備を並行していくのが俺の仕事。
目が回りそうになるくらい忙しいのは毎年のことなんだけど、とにかく忙しくて大変なんだ。
ちょっと勘弁してほしいって思う。
それに、今年は一人足りない。
二人でやっていたことを一人でやる。
上手くやれるかな。
失敗しないようにしないと。
不安が胸の中をグルグルと駆け回っている。
それを掻き消したのは、チリンチリンと高く可愛らしく響いたドアベルの音。
「ただいま〜」
夕日を背負って食堂の入口から現れたのは、海の香りを運んできた。
すらっと伸びた背に、シンプルだけどおしゃれなモノトーンの服。
その手には大きなキャリーケース。
と、その上に載っているのは魚の尻尾が飛び出た大きなビニール袋。
「昌也! なんで……?」
胸を焦がすほど、会いたいと願っていた。
耳に優しく響く声を聞きたかった。
抱きしめて、キスして、体温を分け合いたい。
ずっとずっと、このときを待っていた。
彼は日向昌也。
小学校からの同級生で、高校のときに両親が再婚して家族になった、俺の恋人。
「ひだまり食堂」を継ぐため、俺たちは高校卒業後、それぞれの道を進み始めた。
俺は調理師免許取得を目指して調理師学校へ。
そこを卒業したら、和食を提供する飲食店で修行予定。
そして、昌也はフランスに留学して料理の勉強。
今年の春から離れ離れになってしまって寂しいけど、今はインターネットが発達した現代だ。
時差はあるけど、毎日連絡を取り合っている。
最後に連絡をしたのは昨日。
「帰りの飛行機、エンジントラブルで運転見合わせになった。帰るのは十四日になる。ごめん」
本当は、昌也は今日のお昼ころには帰ってくる予定だった。
ちょっと休憩してもらったあと、お盆の夕方から店先に立ってもらう予定だったのが、飛行機が飛ばなくて一日ずれることになってしまった。
それで、俺が一人二役することになっていたんだけど……あれ、なんで昌也がここいるんだ?
「明日じゃなかったっけ⁉︎」
「次の便で運良くキャンセルが出て、それで帰ってきたんだ」
父さんも母さんも驚いて厨房から出てきた。
目をまんまるにしている二人は、昌也の顔を見ると途端に笑顔になる。
「おかえり。フライトお疲れさま」
「ただいま。元気そうでよかったよ、父さん」
抱き合う二人はそっくりだ。
遺伝子って凄い。
「おかえりなさい。昌也くんは休んでいて」
「ただいま。ううん、店に立つよ。だってこれからが一番忙しいんじゃん。俺より母さんが休んで。顔、真っ赤だよ」
昌也の言葉で、全員が母さんを凝視する。
確かに、顔が真っ赤だ。
店の中では厨房が一番暑い。
冷房はもちろんかけているけど、室内でも熱中症にはなる。
「本当だ。母さん、二階で休んでて」
「えぇ? でも……」
「あと少しだけだし、昌也も帰ってきたから大丈夫。ね、お願い」
「そうだよ。俺は飛行機で寝てきたから元気すぎるくらいなんだ」
俺と父さん、昌也で母さんを説得する。
最初は忙しいからと渋っていた母さんだけど、最終的には折れてくれた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。昌也くん、ついでに荷物、持っていくわよ」
「重いのであとで自分で運びますよ」
「あらそう?」
「母さん! ちゃんと休んでよ」
「はいはい。もう、信用ないわねぇ……」
俺の小言に、母さんは肩をすくめて厨房の奥にある階段を登っていった。
その足取りは軽い。
あの様子なら心配ないかもしれない。
でも、無断は禁物。
何かしていないと落ち着かない母さんだから、もし二階から家事をする物音が聞こえてきたらすぐに注意しに行こう。
「さて。準備の前に、昌也。その魚は?」
俺が心の中でひっそり決意を固めていると、父さんが昌也の手元を指差した。
そうそう、俺も気になっていたやつだ。
「あ、忘れてた。中村のおじちゃんからもらったやつ。今日釣りに行ったけど釣れすぎて困ったからって。あとで俺が捌くよ」
「わかった。中村さん、五時ころに来るから、来たら呼んでね。お礼言うから。とりあえず今は魚を冷蔵庫に入れて、そのあとは雄大くんと一緒に受け渡しの対応して」
「わかった」
「雄大くんも、よろしくね」
「はぁい!」
ささっと役割分担が終わると、それぞれ動き出す。
俺は詰め終わったオードブルを手に厨房を行ったり来たり。
昌也は手を洗って魚を冷蔵庫に入れたあと、ビニール袋と付箋を手に机で作業。
父さんは詰め作業のラストスパート。
ずっと会いたかった昌也がそこにいる。
前よりも逞しくなった腕に触って、抱きしめて、キスして、もっと深いところまで求め合いたい。
物欲しそうに見ていたせいかな。
昌也から小さく笑われて、口パクで注意された。
「仕事中!」
俺は恥ずかしくて小さく頷いて返事をする。
わかってるよ、今は仕事に集中しなきゃいけないのは。
でも、しょうがないじゃん。
三月末から今日まで、ずっと会えたなかったんだから。
画面越しでは昌也もあんなに会いたいって言っていた。
それをちっとも見せない昌也は凄い。
良い役者になれるよ。
受渡開始時間は午後四時。
だけど、五分前には受け取りに来た人が何人かいた。
時間をあまり気にしない田舎あるあるだよね。
お客さんが来店し始めると、俺がお会計、昌也がオードブルを渡す役割に変わった。
さくさく進みたいところだけど、俺も昌也も店に立つのは久しぶり。
しかも、お客さんは俺たちのことを小さいころから知っている近所の人たちばっかり。
必然的に、一人に対する対応は長くなる。
「あらぁ〜。久しぶり」
「大きくなったねぇ」
「フランスで修行? 頑張ってね」
雑談は弾みそうになると次の人が来る。
話していたお客さんは時計を見て、慌てて帰っていく。
それを繰り返していると、不意に破裂音が聞こえてきた。
パパパパーン!
ヒューー!
断続的に聞こえるそれは、お盆ならではの音。
「始まったね」
「これ聞くとお盆って感じする」
「本当それ」
俺たちが住む田舎では、お盆の墓参りのときに墓の前で宴会を開き、爆竹を鳴らしたり、花火をしたりする。
ご先祖様を賑やかに迎えると同時に、迷わず帰って来れるようにするための風習だ。
俺たちが売ったオードブルも、この墓参りのためのものが多い。
今頃、美味しく食べてもらっていることだろう。
「今年は何時まで聞こえると思う?」
俺が昌也に問いかけると、彼は自信満々に答える。
「六時じゃね?」
ニヤリと不敵に笑った顔は憎らしいほどにかっこいい。
それを見ていると、なんだか対抗したくなってきた。
「六時半かな」
「長くない? このご時世に?」
「この辺の人らは関係ないでしょ」
「あーね。勝った人は?」
「刺身の一番美味いとこ独り占め」
「いいね」
俺の提案に、昌也は指を鳴らした。
どうやら本当に自信があるらしい。
俺たちは揃って時計を見上げた。
勝負がつくのはあと三十分後、午後六時すぎ。
俺は「絶対に勝ちますように」と心の中で呟き、ドアベルを鳴らしたお客さんに笑顔を向けた。
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