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第2夜 勝負の行方

「うっまぁ!」 「はぁ……釣り立て最高」  爆竹や花火の音が止んだのは午後七時。  俺も昌也も外してしまったので、勝負はなかったことに。  その代わり、刺身の一番美味しいところは家族全員で分け合った。  予想が外れて悔しかったけど、美味しいものが食べられたから勝負はもういいんだ。   「せっかくだから、二人で全部食べちゃって」 「僕らは先に寝るよ」  欠伸をしながら立ち上がった父さんと母さんはひらひらと手を振った。  お風呂と夕飯で体を労ったものの、朝から休憩なしで立ち作業をしていた二人の顔は心なしかげっそりしている。  これが明日もなんだから、早くベッドに入りたいよね。 「はーい。俺らもすぐ寝るね」 「おやすみ」  手を振り返して二人を見送った。  リビングに残ったのは俺と昌也だけ。  美味しい刺身は大皿の上に、半月の形で残っている。  それを、甘い刺身醤油につけ、時々わさびや大葉、柚子胡椒も添えて食べていく。  はあ……本当、美味しい。  こりこりの食感もたまんない。 「これだよ、これ」 「これって?」  昌也は魚の一番美味しいところをパクリと食べつつ、視線を俺に向けた。  何気ない仕草だけど、それが様になっていてかっこいい。  よくよく考えれば、久しぶりの二人きりだ。  なんだか緊張してきた。   「だって都会だと醤油はしょっぱいし、スーパーに並んでいる魚は色がね……」 「あーね、わかる。ここの環境がいかに恵まれていたか思い知らされるよな」 「フランスでも?」 「市場に行かないと良いのはない」 「国は違ってもそこは同じなんだね」  俺はふーんと頷くと、視線を皿に移した。  昌也を見ていると、緊張していることがバレる。  そんな確信があった。  俺が挙動不審だったからだろう。  昌也はずいっと俺の隣に体を寄せてきた。  腕が、触れている。 「最後、食べていい?」  掠れた低い声は無駄にかっこいい。  わざわざ耳に吹き込まれた声に、腰のあたりがぞくりとする。 「どうぞ……?」  俺の答えに昌也は嬉しそうに笑い、最後の一切れを食べた。    あーあ、俺も食べたかったな。  なんて思ったけど、俺は二時間くらい飛行機に乗ればいつでも食べられる。  だけど、昌也は十三時間も飛行機に乗ってなきゃいけない。  それなら、俺が譲らないとね。  全部食べ終わった俺たちは、二人揃って片付けをした。  リビングの電気とエアコンを切り、廊下を静かに歩く。  一番奥の部屋が、俺たちの部屋だ。  この家は元々、昌也とお父さんが住んでいた。  一階が店で、二階が2LDKの居住スペース。  裏にも建物があるけど、そこは食糧庫兼物置になっている。  だから再婚当初、必然的に部屋割りは両親と俺たちに分かれた。 「思春期だから自分のスペースが欲しいだろうに、ごめんね」  両親から謝られたけど、俺たちは揃って快諾した。  だって、そのときには既に俺と昌也は付き合っていたからね。  むしろ、ありがとうと言いたかった。  ……怪しまれるから言ってないけどね。  部屋は、俺たちがここに住んでいたときから何も変わっていない。  二つ並んだ勉強机と、部屋の隅に挟まるように置いてある二段ベッド。  俺たちが帰省するのに合わせて干してくれた布団はふかふかだ。  俺は一段目の布団にダイブした。  太陽のいい匂いがして気持ちいい。  昌也は、その隣にそっと腰掛ける。  柔らかい布団を堪能した俺は、昌也の方へ転がるように寝返りを打ち、仰向けになった。 「この部屋、全然変わってない」 「母さんが張り切って掃除してくれたらしいよ」 「そっか。明日、お礼言わなきゃ」 「デレデレした顔するんだろうなぁ」 「かもね」  母さんは昌也の顔に弱い。  父さんとそっくりだからっていうのもあるんだろう。  でも、昌也の魅力は綺麗な顔だけじゃない。  気が利いて、紳士的。  すっと伸びた背筋を保ったまま鮮やかに包丁を操る姿は、まるでショーを見ている気分になる。    俺が一番好きなのは、おとなしそうに見えて、実は大きな口開けて笑うこと。  失敗や落ち込むことも笑いに変えてしまうユーモアを持った昌也が、俺は大好きだ。  今回の飛行機騒動も、きっと苦労しただろうに面白おかしく話して、俺も父さんたちも腹が捩れるほど笑った。  底なしに明るい昌也は、俺の光なんだ。  そう、光だ。    昌也と初めて話したのは、三月末。  待合室から綺麗な桜が見える火葬場だ。  俺は実の父さんが事故で亡くし、昌也も実の母さんを病気で亡くしていた。    昌也だって悲しくて辛くて泣きたかったはずなのに、泣いている俺に話しかけてくれた。 「悲しいよね。俺もお母さんが死んじゃったからわかる」 「う……ふぅ、うん……」 「今はいっぱい泣いていいよって、お父さんが言ってた。だから、一緒に泣こう?」  俺は泣くことしかできなかった。  昌也はポロポロと泣きながら、俺の代わりに悲しい気持ちも寂しい気持ちも、全部言葉にしてくれた。  疲れて寝てしまうまで、俺たちは一緒に泣いた。  たったそれだけのことだけど、俺は昌也が一緒に泣いてくれたから父さんをしっかりと悼むことができた。  たがら、前を向けた。  昌也は俺の道標。  俺の、光。  腕を伸ばし、昌也の逞しい上腕を隠しているシャツの袖を引っ張る。  部屋を懐かしそうに眺めている昌也の気を引きたかったんだ。 「ん?」    振り返った昌也はひょいと眉を上げる。  俺の言葉を待っているらしい。  でも、何を話そうか考えていなかった俺は、咄嗟に変なことを言ってしまった。 「眩しいなあって」  言って後悔した。  なんだよ、眩しいって。  意味わかんないよ。 「何それ」  ふはっと笑った昌也は、ぐしゃりと俺の髪を撫でてきた。 「うわっやめろよ! ボサボサになる!」 「明日俺がセットしてやる」 「はぁ? セットくらい自分でできる」 「じゃあボサボサになってもいいじゃん」  犬を撫で回すように俺の髪を掻き乱す昌也に対抗して、俺は昌也の脇をくすぐる。  昌也はくすぐりに弱い。  特に、脇がダメらしい。 「うわっ……ふ、ひッ……雄大っ、ずるい!」 「やめろって言ってやめなかったのは昌也ですぅ」  右へ左へと体を跳ねさせる昌也は、ぴちぴち跳ねる海老みたいだ。  それが面白くて俺も笑っていると、力が抜けた俺の手を掴んだ昌也は俺の上に覆い被さってきた。  一瞬、ベッドに縫い止められ手はすぐに解放される。  その代わり、昌也はきつく俺を抱きしめてきた。   「お盆にしか帰ってこれないの、マジで辛い」    昌也は俺の首筋に鼻を寄せ、すんっと俺の匂いを嗅いでいる。  弱々しい呟きは俺の肩口に広がり、それに合わせて背中が粟立った。 「ッ……仕方ないだろ。フランスのレストラン、年末年始のカウントダウンが繁忙期なんだから」 「そうなんだけどさ。たった四ヶ月ちょっとで雄大不足だよ。一年なんて持たない」 「五年の辛抱だよ」 「うぅん……」  昌也は唸りながら俺の頬グリグリと頭突きしてくる。  おーい、お前は猫か。  いや、昌也は猫じゃない。  猫は頭突きしながら腰を押し付けこないからな。  服越しに密着した体のせいで、昌也のが固くなっているのがはっきりわかる。 「する、の……?」 「しないってことある?」  逆に聞き返されて、喉がひくりと痙攣した。  頭の中では、明日も忙しいとか、昌也は長時間フライトを耐えてきたから疲れているだろうとか、そんな言葉がグルグル回っている。    でも、そんなのは言い訳だ。  だって、俺は昌也との再会が嬉しくて舞い上がり、お風呂でちゃっかり準備してきてるんだから。 「……する」  小さな声に、背後で昌也がくすりと笑う気配がする。 「雄大、大好き」  昌也はほわりと微笑んだ。  うっとりと潤んだ瞳には、情欲の火が激しく揺れていた。

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