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第4夜 花火で迎える夏の夜

 仕事が終わったのは日没時。 「ひだまり食堂」の裏庭は夕方から日陰なっていて、この時間になると涼しく感じる。  セミは昼間と変わらず鳴いていているが、少し離れた林にいるのかその声は遠い。  目の前を赤トンボが二匹飛んでいった。  寄り添うように並んで飛んでいく姿は番のようで、俺は胸元のシャツをギュッと握りしめる。  羨ましい。  恨めしい。  俺だって、今もそうありたかった。 「お前たちはいいな。最後まで添い遂げろよ」  言葉がわかるわけでもないのに、赤トンボに向かって祈るように呟いた。  当然、彼らは俺の言葉を素通りする。  その後ろ姿を見て、裏庭の奥、倉庫に向かった。     その入口横にある水道には、底に細かく薄い傷が無数に入ったバケツが置いてある。  俺はそれに水を入れ、百円ライターで蝋燭に火を灯す。  それから、ビーッと透明なビニール袋の封を開け、中から手持ち花火を取り出した。  先端についているヒラヒラした紙を千切ってそれをビニール袋に入れ、花火を蝋燭の火に近づける。  花火はすぐにシューッと音を立てて火花が噴き出た。  今年は、種類が豊富なバラエティパックにしてみた。  去年はどの店も品切れで、売れ残っていたのは花火を買ったけど、いわゆるススキ花火、スパーク花火、線香花火がそれぞれ一種類ずつ入っているやつだけ。  これは文句を言われるなと予想していたら、案の定「来年はもっと種類があるやつ頼む」と遠回しに言われた。  だから、今年は花火が売り場に出始めてすぐ、何種類も入っているやつを買った。  これで楽しんでくれたらいいな。    花火は白からピンク、ピンクから赤に変わっていく。  今年は何本目の花火を咲かせているときに来るんだろう。  早く会いたい。  一秒でも早く、一秒でも長く。  個包装されている別の花火を取り出す。  これはスパーク花火らしい。  火を点けると、すぐにバチバチと火花を散らしながら燃えていく。 「すげぇ。でかい線香花火みたいだな」  背後から懐かしい声が聞こえた。  振り返ると、雄大がいる。 「おかえり、雄大」 「ただいま、昌也」  火が消えた花火はポトリと手から滑り落ちた。  何も持たない手を雄大に伸ばし、その頬を撫でる。    けれど、何も感じない。  触れた肌の手触りも、熱さえも。  当然だ。  忘れもしない、俺たちが二十七歳になった五年前の冬。  雄大はひだまり食堂の買い出しの帰り道、信号無視のバイクに跳ねられて死んだんだから。  当時、俺はフランスから戻り、雄大も和食レストランで修行を終え、ひだまり食堂を盛り上げていた。  両親にも俺たちが付き合っていることをカミングアウトし、受け入れてもらい、幸せの絶頂にいたのに。  雄大は俺を、俺たち家族を残して逝ってしまった。  悲しみに暮れ、泣き喚き、地獄のような日々を過ごす。    母は、雄大との思い出が詰まった家に居るのが辛かったそうだ。  だから、隣町にある父の実家の近くに引っ越し、そこで新たにレストランを開いた。    俺はここから離れたくなかった。  雄大との思い出が詰まったここを、誰にも明け渡しなくない。  それを父と母に伝えると、二人は頷いた。  ひだまり食堂を任せたよと、ここを託された。  それから、俺はここで一人、最盛期とはいかないまでも、細々とひだまり食堂を営んでいる。  起きている間は忙しい。  その間は、悲しいことは忘れられる。  でも、ふとした瞬間、雄大を思い出す。  真剣に料理に向き合い、鮮やかに食材を操る手。  照れくさそうにそっぽを向いた後ろ姿。  快感に身を捩り、熱っぽい視線を向けてくる扇状的な顔。    会いたい、触れたい。  力強く抱きしめて、その熱を確かめて。  それから、キスをしたい。  もうできない。  この手で柔らかな猫っ毛の髪を触るのも。  この手で滑らかな肌をくすぐるのも。  もう、二度と。  胸がじりじりと熾火で炙られ、心臓が焦げ続ける。    迎えた初盆。  両親がいる家で静かに過ごす。  我が家は、墓の前で爆竹を鳴らさない。  いわゆる日本伝統の、普通のお盆だ。  初盆、二日目の深夜。  客間で寝れずにスマホをいじっていたら、不意に、目の前に青白い影が現れた。 「ゆぅ、だい……」 「え、昌也……俺が見えるの?」  幽霊のくせに俺よりも驚いた雄大は、虫にビビった猫みたいに飛び跳ねた。  俺がそうしたかったんだけど。    いや、それよりも。 「見える。なんで……いや、幻覚?」 「幻覚じゃない! いるよ、俺!」  雄大がこちらに手を伸ばす。  俺も手を伸ばして確かめようとした。 「え……」  重なったはずの手。  だけど、雄大の手は音も、感触も、熱もなく、俺の手を通り抜けた。 「そんな」    何度やっても同じ結果。  雄大の姿は見えるし声も聞こえるのに、触れ合えない。 「ははっ。俺、本当に幽霊なんだね」  雄大が泣きそうになっているのに、抱き締めてあげられない。  生者と死者の、決して飛び越えられない境界線。  それを見せつけられた気がした。 「でも、会えた。それだけで嬉しい」 「俺も」  好きな気持ちも、会いたかった気持ちも同じだ。  触れ合えなくても、こうしてまた会えたことは奇跡に他ならない。  今はそれを喜ぶべきだ。 「それにしても、なんで今日? お盆は昨日からだろ」 「それね。いやぁ……母さんたち、引っ越しだだろ? 家の位置はなんとなくわかったんだけど、他の家の爆竹が邪魔でさ。迷っちゃって」 「迷った?」 「うん。爆竹の音で目が眩むって言うか、目の前に靄がかかるって言うか……。上手く言えないんだけど。それで、今、到着したってわけ」  よくわからないけど、多分、方向感覚が狂う感じなんだろう。  仏壇にはLEDの灯篭が飾ってある。  魂が迷わず帰ってくるための道標だけど、それさえわからなくなるのが墓で鳴らす爆竹のようだ。  後で聞いた話だけど、近くまで一緒に来た老夫婦の魂は、爆竹の音を目印に帰っているのだという。  実際、墓で鳴らされた爆竹の音に誘われ、家族のもとへ向かったらしい。    お盆の風習は馬鹿にできない。  今までは単なる風習だからと適当にしていた。  これからは真面目にしよう。  それから、お盆になるたびに雄大と逢瀬を重ねた。  残念ながら、雄大の姿が見えるのは俺だけだった。  理由はわからない。    母さんには申し訳ないと思うけど、でも、これでいいんだと思う。  もし母さんも雄大が見えたら、きっと後を追ってしまうだろうから。  雄大がでかい線香花火みたいだと言った花火が消えた。  俺はまた、この花火を取り出して火を点ける。 「父さんと母さんのところには?」 「昨日、迷わず帰ったよ。二人とも元気そうでよかった」 「元気すぎてこっちが困るくらいだよ。あと二十年は心配ないと思う」  父さんも母さんも、雄大と離別した傷は癒えている。  今では思い出話に花を咲かせることもできるし、俺が営む「ひだまり食堂」にも遊びに来る。  両親は前に進んでいる。  俺は……わからない。   「わかる。ねえ、聞いてよ。母さんったら、俺が好きだった塩麹の油揚げ巾着煮、山盛りにお供えしてくれてたんだ。美味しかったけど、腹一杯」 「なら、俺が作ったキッシュ・ロレーヌは食べられないな?」 「はあ? 絶対食べるよ! ちゃんとお供えして!」 「花火が終わったらな」 「頼んだよ!」  お供物は魂のもとに具現化され食べてもらえる。  雄大が美味しそうに食べるところを見るのは、今も昔も大好きだ。  見ていて飽きない。  それに、とても幸せな気分になる。  日本のお供え文化様様だ。  スパーク花火が終わると、次は色がいくつも変わるススキ花火を咲かせた。  最後は定番の線香花火だ。  小さく弾け、ぽとりと火種がおちる線香花火は儚くて、まるで今の俺たちみたいだと思う。    雄大は、いつまでお盆に現れ続けてくれるだろうか。  俺がじいさんになっても、来てくれる? 「大丈夫」    俺が不安な顔をしていたからだろうか。  雄大はしゃがんで、俺を下から見上げてくる。 「うん、そうだな」  きっと大丈夫。  そう信じている。 「愛してるよ、昌也」 「俺も、雄大を愛してる」  最後の火種が落ちた。  俺は、いや俺たちは、花火の始末をして家に入る。    これから夕飯だ。  あの世から現世に帰ってきた雄大に美味しいものを腹一杯食わせよう。  俺たちは触れ合えない。  でも、そのとき確かに俺たちは手を繋いでいた。  願わくば、また来年も会えますように。  それまで俺は、胸を焦がしながら夏を待つ。

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