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第1話
時間が足りない。勉強する時間もアルバイトをする時間も。人間に与えられた時間はみんな平等なはずなのに、どうして自分にはこんなにも時間が足りないのだろう。要領が悪いせいもあるかもしれないが、自分に置かれている環境が原因なのだと思い直し、吉村太賀(よしむらたいが)は、重たい溜息を零しながら自分をそっと慰めた。
(新しいバイトを探さないと……)
もっと短時間で稼げるバイトが今の自分には必要だ。でも、そんな都合の良いバイトなど、最近騒がれている闇が付くバイトぐらいのものだろう。スマホを使ってバイトを探すと、そんな都合の良い誘い文句を頻繁に目にする。これほど怪しさ満載なのに、簡単に引っかかってしまう人間は、今の自分のようにかなり切羽詰まった状況にあるのかもしれない。自分もついついそんな誘い文句に、スクロールする手を止めてしまうのだから。
バイトを増やすという手もあるが、これ以上増やしたら勉強をする時間がなくなる。今でさえいっぱいいっぱいの状況なのに、大学院生がアルバイトを増やして本業の勉学を疎かにするなど、本末転倒過ぎて笑えない。
太賀には両親がいない。大学に入ってすぐ事故で亡くしたからだ。ひとりっ子だった太賀は一瞬で天涯孤独になってしまった。まるで漫画の主人公のような話だが、自分は全然主人公キャラじゃない。だって主人公は、こんなハンデを持った体では生まれてこないだろう。否、むしろその逆か? あまり漫画を読まない自分には良く分からない。
両親が死んだ後は、形ばかりの生命保険金と奨学金で学費は何とか払うことはできているが、生活費までは回らない。そして何より、事故に遭う直前に、新しく会社を立ち上げようとしていた父親が借りた借金を、息子の自分が肩代わりしていることもあって、本当に今、生活がとてつもなく苦しいのだ。
父親は子どもみたいに夢多き人だった。母親もそんな父が好きだった。太賀もそんな仲のよい両親が大好きだった。でも一瞬で消えた。まるで魔法みたいに・・・・・・。
なんて感傷に浸っている場合ではない。本気で仕事を探さないと。哀れな自分を、死んだ両親が涙を流しながら応援してくれているはずだ。
太賀は両手を強く握りしめると、ベッドに横になっていた体を勢い付けて起こした。そして、自分の部屋の床に無造作に置いたスマホを手に取ると、気合いを入れるように床にあぐらをかいて座った。
(よし、諦めないぞ!)
そう心の中で叫びながらスマホをタップした時、見知らぬ電話からの着信が鳴った。太賀は画面に映し出された番号を見てもピンと来ず、電話に出るかしばし迷った。でも、何となく無視できず、恐る恐る着信ボタンをタップする。
「……もしもし」
少し声のトーンを抑えながら、太賀はそう言った。
「……あれ? 太賀? 太賀だよね?」
突然自分の名前を呼ばれて、太賀はドキっと心臓を鳴らした。
「そ、そうですけど、あの、どちら様ですか?」
太賀は僅かに声を震わせながら、電話口の相手にそう聞き返した。頭の中で該当しそうな人間を思い出そうとするが、緊張で全く浮かんで来ない。
「俺だよ。田嶋快斗(たじまかいと)。一年前マッチングアプリで知り合ったの、さすがに覚えてるよね?」
太賀は一瞬でその時の記憶を走馬灯のように思い出した。自分の中ではいつも気がかりな思い出として分類されている記憶だから、もちろん忘れたことはない。
あの頃の自分は、どうしても恋人がほしくて、女友達の野崎奈緒(のざきなお)に相談をしたら、『これがおすすめ』とゲイ用のマッチングアプリを教えてもらった。彼女は太賀の親友で、良き相談相手だ。ただ、奈緒は生まれた時から耳が悪く、手話で会話をしなければならない。
奈緒とは大学一年の時に知り合った。同じ学部で席がたまたま隣同士になったのがきっかけで。太賀は聴覚障がい者の彼女に興味を持ち、仲良くなりたいと積極的に彼女と関わった。それから必死で手話を習い、今では普通に会話ができるくらいのレベルになっている。ハンデをハンデと思わない前向きな性格の子で、自分にいつも元気を与えてくれるかけがえのない存在だ。
「あ、えーと、も、もちろん覚えてるよ……どうしたの? 急に」
太賀は相手が快斗だと分かると、明らかにしどろもどろになった。心に残る蟠りに、何となく気まずい気持ちになってしまう。
「……大丈夫だよ。また付き合おうとか言わないから。敬遠するなよ。実はさ、頼みがあって電話したんだ」
「頼み?」
太賀はなるべく怪訝な雰囲気を出さないようにしながら聞き返した。
「うん。俺さ、今、あるゲイ専用クラブで働いてるんだけど、そこの店長にアルバイトができる子見つけてきてくれって頼まれて。それも結構条件があってさ、俺が今まで会ってきた男の中で、太賀が一番適任だって思って電話したわけ……太賀は真面目で誠実だから、かなりお誂え向きかなって」
太賀は突然舞い込んできたアルバイトの話に、一体どんなシンクロニシティかと驚いた。別にスピリチュアルなことを好きでも信じてもいないが、人生生きていればこんな偶然もあるのだなと感心してしまう。
「……それってどんなクラブなの? 危険じゃないの?」
太賀は思わずそう聞き返した。もう既に自分は快斗の誘いに興味を持ってしまっている。
「大丈夫。めっちゃっ安全。完全会員制のクラブだから、変な客が来ることは絶対にない。ただ、この店の存在を誰かに話してはいけないっていう契約条件を無視したら、どうなるか俺も分かんない。多分普通にクビか、それ以上の何かがあるかもしれないな……」
「な、何かって何? 気になるよ……」
太賀は正直に快斗にそう言った。
「だから、俺も良く分からないんだよ。確かに完全会員制ってくらいだから、店に来る連中はみんな、一般人とは違うハイクラスな人間たちだけどな……だからこそ、店自体は安心安全なわけ。給料は普通のバイトに比べたらかなりいいぞ。どう? やってみないか? まだ、父親の借金残ってんだろう?」
太賀は、快斗が父親の借金のことをしっかり覚えていたことに驚いた。そんなプライベートなことまで、自分は快斗に心を許して話したらしい。
快斗とは、マッチングアプリで知り合ってから三か月ほど付き合った。でも、結局、何の進展もないまま自然消滅して終わった。その理由は明白だった。太賀がオメガだという事実を、快斗に打ち明ける勇気がなかったからだ。
太賀はオメガだ。15歳の時に検査し発覚した。
現在オメガは、日本人口の0.05%しか存在していない。男女に突然変異としてオメガの性質が現れる。オメガは15歳に検査をして発覚した場合は、薬を処方され、普通の人間と同じように生活ができる。毎月起きる発情期も、毎日欠かさず薬を飲んでさえいれば問題はない。オメガは障がいとして認定されているから、薬は国から無償で与えられる。
オメガに対しアルファは2倍程度多く、全人口の0.1%ほど存在しているが、この人数ではお互いが出会う確率は非常に低い。例え出会えたとしても、お互いが上手くマッチし番になれる確率は宝くじに当たるよりも更に低い。もし、オメガとアルファが番になれた場合の幸福度は計り知れないという。お互いにそれを夢見るが、現実に起きた話を未だ聞いたことがなく、もはや都市伝説レベルだ。
恥ずかしくて人には絶対に言えないが、自分も本当はそんな奇跡を夢見ている。いつか自分の運命の相手が見つかることを。でもきっとそれが叶うことは、このあまりの確率の低さから考えて一生ないだろう。
それなら、マッチングアプリでお互いを探し合えば手っ取り早いと思われるが、そんな危険な行為をするオメガはいない。オメガは常に発情期を抑える抑制剤を飲んでいる。でも、それがもし何らかの事情で飲めず、フェロモンを漂わせてしまった場合、アルファに関係なく、そのフェロモンはすべての性を誘惑し、理性を失わせてしまう威力がある。悪い奴にオメガだと気づかれてしまえば、あっという間に性奴隷のような扱いを受ける危険性があるのだ。
そんな犯罪に巻き込まれたオメガの話を、太賀は年に数回聞いている。その度に背筋が凍るような気持ちになり、自分のこの体を心底忌み嫌いたくなる。
でも、あの時の自分はいつまでも童貞でいるのが嫌だったし、心を通い合わせることができる恋人が欲しかった。自分がオメガだということを唯一打ち明けている奈緒も、そんな太賀の気持ちを汲んで、マッチングアプリを教えてくれた。
快斗の印象は決して悪くはなかった。少しチャラい雰囲気はあったが、だからといって不真面目ではなく、世話好きな優しい男だった。それに、あの頃はアパレル関係の仕事をしていて、いつもとてもおしゃれだった。マッチングアプリの特性で、お互いの情報を共有しただけあって、話も合って一緒にいて楽しかったし。でも、いざ、お互いに性的な行為を望むような雰囲気になると、太賀は、自分がオメガだということに恐怖心と罪悪感が芽生えてしまい、その雰囲気を無かったことにしてしまっていた。だから、いつしか快斗からの連絡は途切れ、自然消滅に至ってしまった。
太賀は自分の我が儘で、快斗に申し訳ないことをしていたことを今ここでちゃんと謝りたいと思った。
「あ、あの快斗・・・・・・あの頃は本当にごめん。俺が曖昧な態度ばっか取ってたから、快斗を傷つけたよね・・・・・・」
調子が良いと思われるのを覚悟で、太賀は胸の痛みを感じながら思い切って伝えた。
「はっ、そんなこと今更何言ってんだよ。そう思うんなら俺のこの話を受けろよ。そうすれば許してやるよ」
快斗はそう言って笑うと、『ほら早く!』と言って太賀を急かした。
「・・・・・・分かったよ。やってみる。じゃあ、後で詳しいことメールで教えてくれるかな? でも、俺はいつからそのクラブに行けばいいの?」
「今すぐにでも!」
快斗は嬉しそうにそう言うと、『じゃあ、メール送るよ』と言って電話を切った。
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