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01.お見合いの話

 仕事にも生活にも、取り立てて不満はなくて。とはいえ張りのある毎日を送っているかと言うと、何となく流れて行く日々を自覚してはいた。  二十代半ば、恋人無し、オタク歴イコール年齢。二次元にしか興味がないっていう訳じゃないけれど、三次元に興味があるか? っていったらそうとも言えない。  無性愛者ってやつなんだろうか? と考えたこともあるけれど、それにも答えは出なかった。性欲がない訳ではないけれど、誰かを対象にした記憶はなく、欲望を吐き出すことしか興味はない。  つまり、二十代半ばにして未だ童貞。誰にも言ったことはないけれど、誰にもそういう話を振られないから。  けれど最近時々、 「明原(あきはら)くん恋人欲しくないの?」  なんて聞かれる機会が増えたのに、 「俺、女性にあまり興味がわかないみたい」  なんてうっかり零してしまったので、職場同期の友人にはゲイだと認識されてしまった。  まあ、いいか。って思って、否定も訂正もしなかったけど、肯定だってした覚えはない。  近頃では同性カップルなんてのも珍しくなくなっていたし、制定当時は世の中を賑わせたらしい同性パートナーシップ証明制度なんかも、今じゃどんな田舎だって機能している。これはそういう世界の話。  俺を置いてきぼりにした世界で起こった話。 ■ 「は、ははははじめまして、明原(あたる)です」  気を付けてはいたのだけれど、やっぱりどもってしまった。  「應」も若干「あたりゅ」になりかけてしまったけれど、そこは何とか伝わってくれたと思う。 「初めまして、名須(なす)逸希(いつき)です」  名須さん――彼はそう言って、ペコリと頭を下げた俺に合わせるよう軽く会釈した。  都内のホテルのティーラウンジ。いつも会社に着て行くやつじゃなくて、大学の友人の結婚式に出席した時に買ったちょっと良いスーツを着て、友人の紹介で会うことになった彼。  俺なんかよりずっとスーツの似合う、大人の男のひとって感じがしたけれど、実際の歳は四つしか違わないらしい。金融関係のお仕事してるってのと、会社名だけは教えて貰っていたけれど、コンピューター関係の会社に勤める俺とはそもそも接点のない業種だ。  出会いをセッティングしてくれると言った友人は好意で申し出てくれたのだろうけれど、『友人の→先輩の→親友の→可愛がっている後輩の→友人の→先輩』なんて近そうでいて近くないけれども微妙に断りづらいような人間関係で繋がって、今日を迎えてしまった。  飲み会なんかで紹介してもらえるとかそういうものの方が気易かったのに、これではまるでお見合いだ。いいや、場所もドレスコードも、それからさっきからお互いに笑みさえ漏らせない緊張感はまごうことなく見合いの席だった。  同席している俺の友人と、名須さんの後輩だという人も、紹介者というよりも仲人さん。下手をすればこのまま結婚にまで話が進んでしまうのではないだろうか?  という空気の中、しかし周りから見れば背広姿の男性四人が緊張感を持って対峙するテーブルなど商談中の四人にしか見られないのかも知れない。  チラリと友人を見ると、彼もこういう席には慣れて居ないのか言葉に迷っているようで。  俺の見合い相手――いや、紹介していただいた相手の名須さんを見ると、上部だけに銀色メタルフレームの入ったハーフリムタイプのメガネの向こうにある目が、ザックリと眉間に皺を刻んでいた。  きっと俺がお気に召さなかったのだろう。俺は女性からも、そしてきっと男性からもモテるタイプではないのだし、イケメンというジャンルからはほど遠い。  名須さんも「チェンジで」と言いたいのをグッと堪えて、ここからあと何分間俺の相手をしなくてはいけないかを逡巡しているのだろうか。  さすがに清潔感はあるよう心掛けているけれど、見た目もいかにもオタクだし、アカ抜けない俺。今日だって、いつも必ず同じところがはねる寝ぐせを結局直しきることが出来なかった。  ネクタイ選びだって失敗した。結婚式の用に買ったネクタイではちょっと華やか過ぎるかと、出掛けに少し地味目のネクタイにしたのは多分地味過ぎた。  昨日の夜フィギュアの着色をしていて、うっかりと塗料のついてしまった指先の青を落としきれなかったのも気になる。入社四年目だっていうのに、いまだに新卒の時と同じ時計をしているというのも、彼の腕にあるセンスの良い時計を見たら恥ずかしくなる。  なんだかお見合いというよりも、さらに面接みたいな気分になってきてしまった。  友人や名須さんの後輩の人の言葉掛けに応えるよう、三言四言は言葉を交わしたけれど、名須さんとはなかなか目が合わなくて、きっと早くこの時間が終わらないかと飽き飽きされているのは分かり易かった。  なのに俺の友人と来たら、 「明原(あきはら)くんはアニメとか好きで」  なんてあっさり言い、オタバレさせられてしまった俺は、気まずいのを誤魔化すようちょっとだけ笑った。  きっと、それが俺が彼に見せた最初の笑顔。  ものすごくコミュ症で、オタクぽくて、恋人どころか友人にするのだって躊躇うタイプの俺の笑みに、初めて名須さんと視線がぶつかった。  彼の細長いレンズが俺の方に真っ直ぐ向けられてはいたけれど、その眉間にはまた皺が刻まれている。睨まれている!? って怯えた俺に、視線はまたそれた。  ――ああ、呆れてる。いい歳をしてアニメやゲームなんかに夢中になってる男を、魅力的になど思わないタイプの人だって分かってる。  そう思って泣きたくなったけれど何も言えなくて、何か話をしなくてはとは思うのに、声を出したら震えてしまいそうだった。  きっと彼は仕事が出来る人なんだろう。何となく、そういう自信のあり気な立ち振る舞いも苦手だった。  ちょっと冷たい印象を与える細く涼し気な目が更に細められると、鋭く突き刺さるよう感じた。物語に出てくる嫌味なインテリっていうのともまた違ったけれど、俺が勝手に威圧されててちょっと怖い。  視線が合わないのは、むしろ幸いだったかも知れない。だってあの視線をジッと向けられてしまっていたら、それこそ俺は瞬きも忘れて固まってしまっていただろう。 ■  それなのに空気を読んでくれなかった俺の友人と彼の後輩は、俺らを二人残し席を立ってしまった。いや、むしろ彼らもこのどうしようもない空気に耐えかねて、逃げ出したくなったのかも知れない。  俺と名須さんは無言のままコーヒーを飲み終えて、それからやっと連絡先を交換した。 「LINEでイイ?」  これきりなのだろうと思っていた俺が、思ったよりも軽く聞こえた彼の声に驚いて顔を上げると、やっぱり彼は俺を睨んでいた。  連絡先を早々に交換して、彼がサッサとこの場を切り上げようと思っているのだと察した俺は頷いて、差し出された友達登録用のQRコードを読み取った。 『よろしくお願いします』  なんてありきたりなメッセージを送って、確認してくれたのだろうか分からないほどにあっさりとした視線をほんの二秒ほどだけ落とした彼がスマホをポケットに戻したから、俺もスマホをポケットに入れた。  既読はついたけれど、きっとこの一往復だって交わされないだろうメッセージのやりとりに、いっそふっ切れるような気持ちになる。例え俺からメッセージを送っても、日付が変わる前にはブロックされているかも知れない。 「アレはないだろ、アニメとかガキかよ?」  なんて彼の後輩はクレームを付けられて、そのクレームは巡り巡って俺の友人に届くのだろうか? いや、それすら無かったことになるのかも知れない。  この時間は一体なんだったのだろう? 素朴な疑問を浮かべながら落ち込む俺に、名須さんは顔を顰めてここめかみを抑えた。 「頭痛いんですか?」  思わず尋ねてしまったのは、そんな風に見えたから。 「ア? ……ウン、ちょっと、ね」  名須さんは言って、メガネを外し目頭を押さえると、手元にあったおしぼりで目を拭った。 「あの、俺頭痛薬持ってますけど、良かったら……」  処方箋薬ではないから、その商品がダメではなかったらなのだけれど、そう思って言う俺に、 「ン、だいじょーぶ、すぐ治まッから」  また目頭を押さえて言うから俺からは口元しか見えなかったけれど、その時初めて彼が笑った。  ちょっとドキッとしたのは、彼が初めて不機嫌そうなガードを緩めてくれたから? 「ゴメン、このあと一件客先寄らなきゃいけなくなって」  眼鏡を掛け直し言われた言葉に、俺は、 「ハイ」  と頷く。  今日は定時で上がれたからと夕方に待ち合わせたはずだけれど、『このあと一緒に食事にでも』なんてことになったら、そっちの方が弱ってしまうから俺もその方が良かったし、きっとそれも方便という奴だろう。  歳上だからって理由だろうか?  俺らのコーヒー代は名須さんが持ってくれて、 「ごちそうさまでした」  とお礼を言ったら、 「オウ」  って返って来た声がまた少し力の抜けた、気さくに聞こえるものだった。  ホテルのエントランス前で、 「今日はありがとうございました」  もう一度お礼を言ったら、 「こっちこそ、じゃあまたね」  なんて言ってくれたけれど、きっと「また」なんてないのだ。  人と人の出会いって、『袖振り合うも多生の縁』なんていうけれど、今度彼に会えるのだとしたらきっとお互いに生まれ変わってからだという意味。  タクシーに乗り込んだ名須さんと、駅まで数分の距離を歩く俺はそこで別れた。一度だけ振り返ったら、彼の乗ったタクシーが左ウインカーを出して歩道前で一旦停止しているところだった。  もうすぐ俺の誕生日だから、また恋人居ない歴イコール年齢を更新してしまうなぁ――って思ったのは、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ誰かと一緒に居てもいいって気持ちが俺にもあったからだろうか?

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