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01.バイト先のお客さんに電車で痴漢され続けてたDDの話

 朝、通学電車の中で遭遇する痴漢がいる。  真っ直ぐに顔を見たことはなかったが、車両がトンネルを潜る時に窓ガラスに映るから彼の顔は知っていた。  大体いつもマスクをしていて、黒縁のメガネ。背は高く、カッコいい系で、年カッコは俺と同じような学生ぽい。  彼は満員電車で俺の後ろに立って、身体を密着してくる。それから腰から回して来た手でTシャツの中をまさぐり、胸に、腰に触れ、俺のベルトの留め金を外しパンツの中まで手を入れてくる。座席とドア脇の狭いスペースに追い詰められた俺は、いつもそこで抵抗もせずに手コキされて。何度もイキそうになりながら寸止めされ、ビクビク♡ と震えてた。  大体いつも俺の降りる駅のひとつ前くらいで手は離れていく。先っぽの濡れたままのちんこをそのままに、ベルトも直され何事もなかったかのように。次の駅からこっちのドアが開くのに、俺は押し出されるようホームへ降りる。振り向いたことは無いけれど、彼はあのまま電車に乗って行くのだと思う。  俺は彼のことを知っていた。名前は知らないけど、週に3日は見かける彼。俺のバイト先のスタンドコーヒー店で、ノートを広げイヤホンをしたまま課題だろうか? やっている。  バイト先の近くには大学が何軒かと、専門学校もあるからどこの学生かは分からない。俺の大学も近くにあるけど、きっと彼よりひとつ前の駅で降りた方が近いっていう距離感。  バイト先に来る時、彼は俺のことを認識しているんだろうか? 言葉を交わしたことはないから分からない。ナンパされることもないし、ジロジロといやらしい目で見られる訳でもない。出会う場所が違うから、気づかない――なんてこと、あり得ないでもないとは思ってる。  それに彼は、時々女の子と一緒に現れたりもする。いつも同じ子と言う訳でもないけれど、可愛い子だし親密そうな距離感。彼の方からはベタベタしてるとこ見たことないけど、女の子の方は明らかに彼に夢中だ。  でも彼女は知らないんだろうな、その男が朝の満員電車で男相手の痴漢の常習だってこと。 ■  ある夜のバイト帰りに、駅と駅の間の区間で電車が止まった。  車掌のアナウンスは、この先の駅で接触事故が起こったから運転を見合わせていると告げていた。方々からため息が聞こえるのは、週末のこの時間は車両が混み合っているから。それにこのまま足止めされてしまうと、連絡駅で終電を逃してしまう人もいるから。  俺もいつもはこんなに遅くならないのに、この日はたまたま店長に捕まって出遅れた。明日は授業もバイトも無いから急ぎはしないけど、早く帰りたい気持ちは強い。  止まったままの電車内にもう一度同じアナウンスが流れ、俺はスマホに目を落とした。イヤホンを付け直し、音楽を流す。  もしも乗り換えに間に合わなかったら、最悪ツレのところに泊めてもらおうか? と連絡するか迷った。でもあいつ彼女いるし、週末に邪魔するのはまずいかも知れない。  ――そんなことを考えていた時、俺の背中にピッタリと張り付く身体を感じた。  ドキッと胸が震えたのは、その温もりを知っている気がしたから。その背の高さの角度と、衣服越しに感じる身体の固さ。温度と、香水の匂い。いつもは朝だからか匂いは少し違うようにも思えたけど、たぶん間違いない。彼だ。  一体いつから近くに居たんだろう? 全然気づかなかった。 「葉鳥(はとり)くん!」  声に、俺はビクッ! と震えた。 「えっ? ええっ!?」  声を上げてしまった俺は無視できず、結局片方だけイヤホンを外し振り向くことになる。そこには笑顔の彼が居た。  驚きの表情で固まる俺に、 「電車止まっちゃったね」  彼はよく知るツレにでも話しかけるよう続ける。周りから見たら、違和感なく知り合いだと思われているだろう。  俺は抵抗を諦めて両耳ともイヤホンを外し、 「どこまで帰るの?」  そう聞いていた。彼の最寄駅はこの2個先の駅で、俺が乗り換えをする予定の駅は次の駅。 「次で降りても歩けないことは無いんだけどさ」  屈託なく笑う彼の言葉に、俺は警戒をしたままうなずく。  何を言われるのだろうか? と構えたままだったけど、おかしなことを言い出すような素振りはない。周りの客はほとんどが酒の入ってそうなリーマンで、余り気にする必要も無かったのかも知れないけど。  俺の名前、知ってるのは何でだろう? しかも下の名前。  上からバイト先で名札をつけてるから知られているのも分かるけど、それ以外の接触はなかったはずだ。俺の方は、彼の名前を全く知らない。 「あの……下の名前って何だっけ?」  あんたのこと、顔覚えてるくらいでよくは知らないし、馴れ馴れしいな? くらいの態度で返せば良かったのだろうに、俺はやんわりと聞いてた。確かに乗客は密集してたけど、俺たちの会話なんて誰も聞いていないだろうに。 「紫亞(しあ)。下で呼んでよ葉鳥」  案の定彼は、上機嫌に馴れ馴れしく俺を呼び捨てた。  電車が止まっていたのは10分ほど。そのあいだ俺たちは、至近距離で居た。  こんなにも近づいて、身体を触られなかったのは初めてだった。バイト先では大体いつもカウンター越しだから、距離が近づくこともない。  再発進のアナウンスが流れ電車が動き出した時、揺れる車内で思わず紫亞に捕まってた。深い意味はなく、つい手を伸ばしたのは転倒防止用のポールに捕まったのと同じようなものだったが、それでも初めて俺から彼に触れた。  次の駅で俺たちは降りて、深夜の路上でお互いに黙りこくったまま対峙してた。薄暗かったけど、街灯で紫亞の表情は分かるくらい。  今夜はマスクをしていなかったけど、いつもバイト先に来る時もしていないからその顔は見慣れてる。黒縁のメガネだけど、元々整っている上に派手な印象の顔立ちだからか、真面目やオタクぽい方ではなくオシャレな方の黒縁だ。モテるのも納得する。けど、こいつは痴漢の常習で。 「あんた、ゲイなの?」  訊いた俺に、紫亞は笑った。 「どうだろう?」  はぐらかされたのかとムッとしたら、 「自分でもよく分からないんだけど、葉鳥を見てるとムラムラしてくるんだよな」  あからさまに言われ、言葉を奪われた。 「葉鳥は? 男とヤッたことある?」  聞かれ、 「ある訳ないだろ!」  思わず反発したら、 「良かった」  と笑われた。人懐っこい笑みは、とても犯罪被害者に向けているものは思われない。 「じゃあ、なんで俺に触らせるの?」  そして尋ねるその言葉に、俺は触らせてた覚えなんて無いのに、そっちが勝手に触って来ただけなのに……って憤りながらも、何も言えなくなる。俺は触られるの分かっていて、いつも同じ時間同じ車両の同じ場所に乗っていた。触れてくる手に身を任せ、イクまでしてくれない手に焦燥していた。 「なあ葉鳥、俺たち付き合わない? そしたら分かると思う」  そうして何も言えないでいた俺に、紫亞はそんなことを言った。 「は?」 「俺が葉鳥のことどこまで欲しくなるか、葉鳥が俺のことどこまで許せるか、試してみないか?」  ア然としている俺に紫亞は言って、また笑った。 「あんた、彼女いるだろ?」 「お前が付き合ってくれるなら、全部別れるよ」 「全部……って、何股だよ?」 「今は5人。だけど葉鳥だけでいい」  セフレとかじゃなく、本気で全員彼女だって言うのかと呆れた。絶対に信用できる男じゃないし、ろくな性格じゃないだろう。  なのに俺は「冗談じゃない!」とか「嫌に決まってんだろ?」とか、喉元まで出かかった言葉を吐き出せなかった。  メガネの奥の涼しげな目に見つめられ、気まずくそらしたら左耳にいくつも付けられたピアスが目に入る。絶対にろくな奴じゃない。俺の直感が警告してる。  だけどどうして「嫌だ」って言えないんだろう? 「まだ一度もイッてない……」  そうして、やっと口からこぼれたのはそんな言葉だった。 「え?」 「あんたの手コキでまだ一度もイッてないよ、俺」  背の高い彼を見上げて言うと、口角を吊り上げたその笑みはいやらしい男のものだった。ゾクゾクッ~♡ と走った衝動に、震える。俺がイク時、こんな目で見られてたらヤバいって思うのに、好奇心は抑えられない。 「うち来る? 少し歩くけど」  紫亞の言葉に、今度は黙ってうなずいた。  こんなろくでもない男の家について行っちゃダメだって、誰にだって分かるのに惹きつけられて逃げられなかった。

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