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第1話 週末ドライブ
「あなた達、兄弟?」
「え」
終電が迫る時刻。
名田都築 はひつまぶしを食べる手を止め、カウンターの向こうにいる女将を見上げた。
「いえ、違います」
慌ててかぶりを振ると、彼女は眉を下げた。
「あら、違うの。じゃあお友達?」
「いえ」
「先輩と後輩」
「いえ」
「上司と部下」
「いえ……あ、そうです!」
笑顔で拍手すると、女将はガッツポーズして仕事に戻った。
対する都築は、拍手した手でそのまま口元を覆う。
「嘘ついちゃいました、景さん」
小声で呟くと、隣に座る青年は吸い物の椀を置き、瞼を開けた。
「そうだな」
そこで会話は切れた。
いつもながら、凪いだ海のような人だ。狼狽えるようなことがあっても、彼といると自然と冷静になる。
都築はふと、先週のドライブで鹿が道路に飛び出してきたことを思い出した。深夜の山道、後続車がいないことは直前に分かってたからブレーキを踏んだ。鹿は何事もなかったように、木々の向こうへと去っていった。
都築は一瞬走馬灯のようなものが駆け巡ったし、実際後部座席の荷物がフロントにふっ飛んでくるほどの衝撃だったが、助手席にいた彼は最後までひと言も発さなかった。
「進め」とも「止まれ」とも言わず、命を預けてくる。
放任主義なところに助けられてるが、戦慄することが多いのも確かだ。
とにもかくにも、ささいな嘘で揺れ動く人じゃない。
懐が広いというよりは、……肝が据わっている。
密かに頷いてると、彼は薄く色付いた唇を隠すように、口元を布巾で拭った。
「出るか」
「えぇ」
彼が席を立った為、後に続く。ハンガーに掛けていたマウンテンパーカーを羽織り、厨房に声を掛けた。
「ご馳走様でした。お会計お願いします!」
「はーい!」
レジで財布を出そうとすると、手で制されてしまった。それを見た女将が良い上司さんねぇと微笑む。
攻防はしたものの、彼も一歩も譲らない為ここは出して貰うことになった。
女将さんが俺の嘘を信じ込む形となり、店を出る。
彼女の言う通り、優しい人なのは間違いない。けど俺が彼について知ってることは非常に少ない。
知ってるのは名前と年齢、簡単な肩書きぐらい。だから行く先々で、関係を訊かれると口篭ってしまう。
俺達は、そう。強いて言うなら、雨の日限定のビジネスパートナー。
今日は名古屋に来ているが、これから夜通し運転して東京に帰る予定だ。現地でやることが終わったらこうして食事をし、さっさと帰る。
小料理屋の店先で、都築は青年の横顔を一瞥した。
赤の他人だ。少なくとも、────この時代では。
隣接するパーキングへ向かい、車の前で足を止めた。
「っと、景さん。帰りは俺が運転しますね」
「いい」
「いや、俺がしますよ」
「……」
彼は無言でグーをかざしてきた。ジャンケンで決めよう、ということらしい。
俺はグーを出し、彼はパーを出した。
運転している彼の隣で、何度もまばたきする。寝不足だからうつらうつらしたけど、疲労度は彼の方が上のはず。眠らないよう口端を引き結ぶ。
しかし高速に入り、流れる外の景色が単調になった時、強い睡魔に襲われた。
まずいな。眠い。
ガムを買っておけば良かったと後悔していると、不意に名前を呼ばれた。
「都築」
窓の外になにかが伝っていく。
透明な縦線。細くて優しい音が、車全体をノックした。
雨だ。
「景さん、雨が」
道に透明な膜が張るのを見て、心が満たされていくのを感じた。
俺達はいつだって雨に焦がれている。
「……降ってきたな」
ワイパーが動くのと同時に、優しく髪を撫でられた。
「もういいよ。……おやすみ」
あやすように動く手と、子守唄のような声。怖いぐらいホッとして、瞬く間に夢の世界に沈んでしまった。
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