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第14話 実験
怒りと自己嫌悪で、目の前が真っ赤に染まっていた。
だが、蓮の思考は、その激情の奥で、かつてないほどの速度と精度で回転していた。感傷に浸っている暇はない。一秒でも早く、陽の居場所を特定する。
蓮は再びデスクに向かうと、自らのノートパソコンを起動させた。
闇雲に敵のサーバーを探すのは非効率だ。まずは、物理的な足跡を追う。陽の信号が途絶えたのは、神保町の古本屋の前。蓮は、すぐさまその周辺の店舗や公共機関のネットワークに侵入し、監視カメラの映像データを、過去数時間分、ごっそりと抜き出した。
膨大な映像データ。常人ならば、確認するだけで数日はかかるだろう。だが、蓮は、この作業を自動化するスクリプトを、ものの数分で書き上げた。陽の顔、服装、そして、彼が持っていた紙袋。それらの特徴をAIに学習させ、該当する人物が映った映像だけを、時系列順に抽出させる。
表示された映像の一つに、陽と、ツイードのジャケットを着た男が話している姿があった。そして、その直後、陽が、一台の黒いセダンに乗り込む場面。
(……見つけた)
蓮は、そのセダンのナンバーを即座に特定。次なる標的は、交通管制システムだ。都内に張り巡らされたNシステム(自動車ナンバー自動読取装置)の記録を、リアルタイムで追いかけ始めた。
◆
陽は、車の後部座席で、固く目を閉じていた。
乗り込む直前に目隠しをされ、どこへ向かっているのか、全くわからない。車は、高速道路に乗ったようだった。単調な走行音が、やがて山道のような、カーブの多い道へと変わっていく。どれくらいの時間が経っただろうか。車は速度を落とし、何かのゲートが開くような、低い金属音の後に、地下駐車場のような、反響する空間へと入っていった。
ドアが開き、腕を掴まれる。
ひんやりとした、薬品と埃が混じったような空気が、肌を刺した。
連れていかれたのは、壁も、家具も、全てが真っ白な、窓のない部屋だった。まるで、これから色を塗られるのを待っている、空っぽのキャンバスのようだ。
そこで目隠しを外されると、目の前には、あの浅野が立っていた。
「長旅ご苦労だったね。ここが、今日から君の部屋だ」
浅野はそう告げると、入れ替わるように部屋に入ってきた、別の男に陽を引き渡した。
清潔感のある白衣を着た、物腰の柔らかそうな男。年の頃は30代だろうか。切れ長の目に、フレームのない眼鏡をかけている。
「はじめまして、白石陽くん」
男は、安心させるような、穏やかな声で言った。
「私が、君の担当をさせてもらう椎名です。長旅で疲れただろう。少し緊張しているようだけど、大丈夫。ここでは誰も君を乱暴に扱ったりしないから、リラックスして」
その、医者のような口調に、陽は逆に警戒を強めた。
「……オレに、何をさせる気なんですか」
かろうじて、声を絞り出した。
その問いに、椎名は、穏やかな笑みを崩さなかった。
「簡単なことですよ。君の心の中を、少しだけ見せてもらう。それだけです。我々は、人の感情という、とても繊細で、美しいテーマについて研究しているんです。君には、そのための、とても重要な『実験』に協力してもらう」
椎名はそう言うと、部屋の奥の扉を手で示した。
「さあ、最初の実験室へ行こうか。怖くないよ、私がずっとそばについているから」
その優しい声と、これから行われるであろう「実験」という言葉の、恐ろしいほどの不一致。陽は、なすすべもなく、その後に続くしかなかった。
◆
蓮の画面上で、黒いセダンの追跡は、神奈川県の山間部で途絶えていた。国道の、今は使われていない古い脇道に入ったのを最後に、Nシステムの記録から姿を消したのだ。
蓮は、その脇道の先にあるものを、地理情報システムで即座に特定する。
――閉鎖された、民間療養施設。
以前、Elysion Gamesの金の流れを追った際に、不審な送金先としてリストアップしていた施設の一つだった。
(……点と、線が、繋がった)
蓮は、確信を深めるため、最後の裏付け調査にかかった。ネットの海を深く潜り、廃墟マニアが集う、アンダーグラウンドな掲示板に辿り着く。そして、数ヶ月前に投稿された、一つの書き込みを見つけ出した。
『例の療養施設跡に行ってきた。が、様子がおかしい。入り口に続く道は封鎖され、真新しい監視カメラが複数設置されていた。警備員らしき男が巡回しており、早々に退散。地下から何かのモーター音のようなものも聞こえた。明らかに、誰かが使っている』
不確かな噂レベルの情報。だが、黒いセダンの終着点と、不審な金の流れ、その全てが、この廃墟を指し示している。
間違いない。
あの廃墟は、奴らの拠点だ。
蓮は、ディスプレイに映し出された施設の古い写真と、掲示板の書き込みを、脳髄を直接揺さぶるような直感と共に凝視した。
(――ここに、陽がいる)
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