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01 おかえり
人は誰しも、表と裏の顔を持っている。
もちろん、それは――今をときめく人気俳優だって例外じゃない。
「はぁ……相変わらず、かっこよすぎ」
思わずため息まじりの声がこぼれる。
小鳥遊 椋 は、キッチンの片隅で手を止め、テレビ画面に目を奪われていた。
やわらかな垂れ目に、ふんわり揺れるミルクティーブラウンのミディアムショート。優しげな顔立ちは、かつて教え子だった園児からは「先生、天使みたい!」と言われたものだ。
家事の合間、BGMがわりに流していた映画はちょうどクライマックスを迎えていたところだった。
「貴様の命乞いに俺の時間を消費する価値が、果たしてあるかな?」
余計な感情を見せることなく、淡々と命のやり取りを行う暗殺者。静かな怒りをたたえた眼差し。冷静な判断。彼の動きの一つ一つに、椋の視線が自然と吸い寄せられる。
朝比奈 レン。日本で今や、知らない人の方が少ないだろう。
スラリとした長身。艶のある黒髪に、切れ長の目。いわゆる“少女漫画的な王子様”とは違うけれど、洗練されたその容姿は、まさにアジアンハンサム。
青春映画から時代劇、社会派ドラマまで。どんな役にも染まり、どんな感情も演じきる。
スポットライトを浴びる彼は、まさに“完璧”だった。
「……やば、もうこんな時間」
スマホの通知が鳴り、現実に引き戻される。椋は慌ててエプロンを整え、手早く“準備”を再開した。
****
ピンポーン
「帰ってきた!」
玄関チャイムの澄んだ音が響いた瞬間、椋は頬を軽く叩いた。
よし、と心の中で気合を入れて、ひと呼吸。
――僕の“母性のスイッチ”が入る瞬間だ。
今日も彼を、やさしく迎え入れる時間が始まる。
扉を開けると、そこに立っていたのは――
テレビの中で華麗なアクションを決めていた男、朝比奈レン。
けれど今の彼は、スクリーンの姿とはまるで別人だった。
黒いキャップを深くかぶり、マスク越しにも分かるくらい疲れきった表情。
マネージャーの石岡に支えられて、ようやく立っているような状態だった。
「椋さん、こんばんは。レン、今日の稽古で限界超えちゃったみたいで……。すみませんが、よろしくお願いします。明日はオフなので」
「石岡さんも、お疲れさまでした。重たかったでしょう。もう大丈夫です、あとは僕に任せてください」
石岡に軽く頭を下げ、扉を閉める。
カチッ、と鍵がかかる音がして、世界がふたりだけのものになる。
椋はそっとレンの背中に腕を回し、だらんと力の抜けた身体をやさしく引き寄せた。
スポットライトの下で輝く俳優じゃない。素顔のレンを包み込むように。
「おかえり。……僕の、愛しいレン」
その言葉に、レンの眉がきゅっと寄った。
そして、まるで子どものように椋の胸に顔をうずめる。
「……むくぅ……ただいま」
かすれたその声は、せつなげで、どこか甘えているようだった。
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