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第3話「本当に大事な存在だから」

 風邪から立ち直った神威は、それまで休んでいた仕事の調整をしていたのだが、少し困っていた。  それは、暫く仕事を休んだ事による給料の減額によって生活が厳しくなった事である。  今までだったら一人暮らしだからと自分だけの我慢をすればいいからとしていたが、今は同居人になっているアルテミスの生活費も賄わないといけない。  だが、それすらも厳しそうな経済状況にどうするかと真剣に考えているとアルテミスがちょんちょん、と肩を突いてくるので神威はそちらに顔を向ける。 「こちらをお納め下さい」 「これは?」 「今までのお世話になっていた分の生活費でございます」 「えぇ!?」  封筒に入っている金額を確認して、神威は驚愕の表情を浮かべて固まった。  その額が二桁の金額だった事に驚きが生じるのは致し方ないというべきだろう。  だが、それを受け取れって事は神威は受け入れる訳にはいかなかったのだが、アルテミスが微笑みながら言いにくそうに告げる。 「私の価値観ではこの金額でも少ないと思っています。それだけの時間を神威君から貰っているので。ですからどうかお納め下さい。私が神威君と過ごせる残りの時間を気持ちよく過ごせる様に」 「だからって貰い過ぎます! せめて、この金額の半分だけにしてもらわないと割合が合いませんよ! そ、それに残りの時間って……か、帰るんですか?」 「それは困りましたね……それは私の心も入っているんですが。え? あぁ……私も待つ者達がいますからね。待たせているのも気が悔やみますから」  アルテミスには配偶者がいる、そう思ってしまった神威は何故か胸が痛むのを感じていた。  だが、そうならば早急に帰ってもらわないといけないのも事実で。  神威は顔を引き締めて、少しだけ唇を噛み締めてアルテミスと向き合った。 「アルテミスさん……今すぐお帰り下さい」 「神威君……」 「貴方を待っている人の為に僕よりもその人の元に帰るべきだと思うんです。僕は赤の他人だけれど、その待っている人はきっとアルテミスさんの大事な人だから。だから……」 「何か勘違いをしているのではありませんか?」  アルテミスの言葉に神威は少しだけ戸惑いを見せると、視線を向けて見つめるとアルテミスの手が伸ばされてそっと、それこそ本当に触れるのを恐れているかのような優しさに包まれた手を、神威の右頬に伸ばしてきた。 「私を待っているのは部下ですが、伴侶とかは存在しても形だけの妻です。私は彼女を愛してなどいない……別に心から愛している存在がいるのです」 「心から愛している……存在……」 「その方に振り向いてもらえるかは定かではありませんが、時を超えてまで会いたかった人に会いました。だから……今はその時間を大事にしたいのです」  アルテミスの言葉に神威は混乱する。  色々と言われているが、結局その愛する存在を求めているのであればここにいるのは違うんじゃないだろうかと思わなくもない。  神威の困惑を察したアルテミスが少し視線を彷徨わせていると、意を決して言葉にしようとした時、神威のスマホが着信を告げる。  慌てた神威がアルテミスに頭を下げて謝罪をしてから、スマホに手を伸ばして通話をし始めると背を向けた。  その背をアルテミスは酷く淋しさと悲しさに包まれた瞳で見つめているが、それが神威に伝わる事はない。  このままではアルテミスの事を考えるあまり神威は身動きを取れなくなると踏まえ、アルテミスはそっと立ち上がり神威の家を出て行った。 「すいませんアルテミスさん! お話の途中で……アルテミスさん?」  振り向いた時にはアルテミスの姿はなかった……ただ、彼の残した一つの封筒と彼の着ていたジャケットだけが残されていて。  神威は最初は自分に言い聞かせていた、これで良かったのだと。  でも、時間が経過するにつれて次第に不安と自分の中にある疑問が浮かび上がってくる、それの疑問を突き詰めている時に友人からアドバイスを貰う事が出来た。 「それって、他人だけれど気になるって事だろ? それって充分に脈ありだって事じゃないのか?」 「み、脈あり??」 「だって、自分の傍にいるのを望んでいたのをお前が無理矢理突き放して、それでもお前が気付かないと思うなら証拠なんて一緒に持って出て行くだろ。それを金と着ていたジャケットだけを残すなんて未練ありまくりの相手じゃないか」 「でも、彼には奥さんがいるんだぞ。それに僕と彼は同じ男……普通の関係なんかじゃないのは明白だ。そんなの求めるのは失礼なんじゃないかと思うんだよ」  神威の友人はオールマイティな属性の友人であるが故に、神威の言葉に迷いと悲しみが含まれている事を見抜いていた。  そして、それは同時に神威の中で色々と含んでいる事実を突き付けるには友人である自分の言葉、それもかなり直球な言葉が必要だと考える。  神威の指定してきたこのカフェは基本的にテラスで過ごす客が多い店だが、希望すれば個室の席に案内してもらえるので、神威を連れて友人は個室に移動した。 「お前は、ホントに鈍感というか自分の事には鈍いというか……呆れてしまって可哀想になってくるわ」 「どういう事だよ……僕は至ってノーマルな人間なだけで、意見だってノーマルなんだが?」 「そう思っているのは最初の内だけだ。お前は完璧こっち側の人間だよ。だって、そのイケオジになら抱かれてもいい、って思ってんだろ?」 「抱かれ……っ」  友人の言葉に神威は真っ赤になるが、普通に考えて男が男を抱くとかは知らない世界でもある。  だが、友人はそれを至極普通に男女の営みと同じような感覚で話すので、少々常識が違うのも考えた。  男に抱かれたい、そう考えた事は今まで全くなかった……だが、アルテミスの腕に包まれていた風邪の時に、感じたのはどういう事か落ち着きと安らぎだったのを思い出す。 「お前はそのイケオジに抱かれてもいい、と思うならお前も未練あんだろうよ。いいか? 失ってから気付くんじゃ全然いい事はないんだよ。近くにいる時にちゃんと伝えないと駄目だからな?」 「……」 「お前はそのイケオジが本当に遠い場所に行っても、「好き」の一言も言えなかった後悔を背負って生きる覚悟はあっか?」  友人はそこまで言ってから神威の肩を叩いて店を出て行った。  アルテミスの事をそんな対象として見てなかったからと考えに言い訳して、神威も自宅に帰るがアルテミスの気配も姿も当然ない。  だが、ポストに届いていた外国風の手紙に、神威は心がドキリとして宛先と差出人の確認をするとアルテミスからなのを確認して、それからすぐに部屋に入って封を切った。 『拝啓神威君。この手紙が貴方の元に届く頃には私の姿はもう貴方の傍にはない事でしょう。私は貴方と過ごした時間がかけがえのない大事な時間でした。それだけなら私もこんな手紙を書いたりはしません。ただ、貴方に……神威君にだけは真実の想いを伝えておこうと思いました。私は……神威君の事が愛おしかった。誰よりも貴方の事が愛おしく思い、そして、大事な存在である事を隠していた事をお許しください。どうか、神威君の人生の中でこの先誰かと結ばれる事があったら私の事は忘れて、幸せになって下さい。貴方と過ごした日々を糧に私は待つ者の元に帰ります。    アルテミス』 「な、なんだよ……これ。アルテミスさん……アルテミスさん!」  神威は手紙を握り締めて叫んでいた、その口から呼ぶアルテミスの名に少しの怒りと、少しの淋しさと、もう一度会いたいという想いを込めて。

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