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kureno3
このミッションは、未来から来たことがターゲットに知られた時点で、任務者は、携帯用の記憶を消す器械で即座にターゲットの記憶を消し、そのターゲットとの任務を完全に終了させなければならない。何故こんな非効率的なミッションになってしまうかというと、この秘密裏に行われているミッションの危機管理体制は非常に厳しく、もし過去の人間が、この計画を誰かに吹聴した場合に起きる全ての可能性を想定してのことだ。もう一つの理由が更に重要で、ターゲットの人生に関わることで、ターゲットの未来が変わってしまうことを防ぐため記憶を消すということだ。でも、だったらばれる前の時間に戻り、ばれることを阻止するという手を使えば良いということになるが、過去に繋がるドアは、未来と西暦だけが違う同じ日時にしか繋がらないという造りになっていて、それが不可能なのだ。
一方任務者の記憶は、次のターゲットへ気持ちが切り替えられない場合に限り記憶を消されてしまう。つまり、ターゲットを心から愛してしまった場合ということだ。
暮野達任務者は三年間で少しでも多く結果を出さないといけない。容赦なく愛する者の記憶を抹殺していかなければ、次のターゲットとのミッションに進めない。暮野達任務者は、政府の使い捨ての駒でしかないのだ。
暮野は昨晩、防犯カメラにあの大袈裟な光と共に写り、結果的に、八神に自分の正体をばらすはめになってしまった。でも、暮野があのタイミングで助けに行かなかったら、八神はあのクソみたいな男に傷つけられていた。だから全く後悔はしていない。今でもあの時のことを思い出すと、体が燃えるほどの怒りに包まれる。これでもし暮野が八神を救えなかったら、多分暮野は自分を一生許せない。
八神が暮野の話を完全に信じたかどうか疑問は残るが、暮野が未来から来た人間だということは、取り敢えず誰にも絶対内緒だと八神に念を押すことで一時的に収めている。でも、何が一番嫌だって、暮野が未来人だということがばれたせいで、暮野が完全に頭のイカレタ奴だと思われていないかということだ。暮野が過去の人間なら多分どん引きだ。引き潮のように今までの感情が干上がってしまう。もし、八神もそうだったら……。暮野は自分から八神に好きだと告白し、あんな性的なことまでしておきながら、今更怖じ気づいている。大丈夫だ。だって、八神は暮野からあの話しを聞いた後でも「僕も來さんが好きです」と言ってくれたのだから。
暮野の体が一瞬で熱くなる。あの夜のことを思い出すと何も手に付かなくなる。会いたい。今すぐに会って、八神をもう一度強く抱きしめたい。
暮野は昨日のことを正直に臣に報告し、どうにかこのままミッションを続けさせてもらえるよう頼み込もうと考えている。暮野はこのミッションに携わる精鋭チームの一人であり、更にその中の期待のホープだ。臣だって暮野のゲイとしての「男」の魅力を高く買っているし、ここで暮野のミッションが終了したら、大きな痛手になることぐらい一番良くわかっているはずだ。そして何より、八神と気持ちを確認し合えたことを報告すれば、臣は絶対今回のことを無かったことにしてくれる。
今日は運良く図書館が休館だから、臣に会って話しを付けた後、すぐに図書館のモニター室に忍び込もう。そして、未来から持ってきた専用機器で、暮野が写っている映像だけを削除すればいい。そうすれば暮野が過去に存在していた証拠は消滅するし、八神を襲ったあの男の犯罪の証拠は残せる。
このミッションは、成功しても失敗しても結局ターゲットの記憶は消されてしまう。暮野はそれを思うと、胸がぎゅっと苦しくなる。でも、そのことを失念してしまうほど、今の暮野は、八神への恋情が前のめりに突き進んでしまい、目先のことしか見えなくなっている。
「失礼します。來です。入っていいですか?」
「ああ。來か。どうぞ。入りなさい」
部屋の奥からいつものように渋い声がする。暮野は意を決するとゆっくりドアを開けた。
「どうした? 珍しく神妙な顔して。いかにも何かしでかしたって感じだな」
暮野の顔を見るなり、勘の良い臣はそう言った。
「……御察しの通りです」
大きな長机の向こうに、威厳と風格を備えた男が座っている。年齢は二十六歳の暮野と丁度一回り離れている。この機関の所長である大津臣は、見た目も中身も超一級のエリートとして名高い。が、所詮暮野と同じゲイだ。この秘密裏に行われている計画が成功しなければ、彼はただの人となる。ゲイである臣がこの若さで何故所長というポジションに位置しているかというと、彼の一族は代々閣僚を務める筋金入りの政治家一家で、その完璧なまでの血統を汚したのが臣だ。臣は大学を卒業するまで我慢をしていたが、自分が敷かれたレールに乗らざるを得ない状況についに嫌気がさし、自分がゲイだということを両親にカムアウトしたのだ。それを聞かされた両親はさあ大変。焦った両親は絶対に世にばれてはいけないと、何とか理性的にゲイである臣とギリギリまで歩み寄る。その結果臣は、自分がゲイだということを公然しない変わりに、人権侵害をされている自分と同じ同性愛者達に、食うに困らぬ仕事を与えるための国家的プロジェクト立ち上げるよう、政府に要求しろと父親に進言したのだ。そして、その所長に自分がなるという条件付きで。当時、臣の父は、内閣官房長官を務めており、表の総理大臣の影の支配者として君臨していた。可愛い息子のためなら、父親はその権力を遺憾なく発揮することができる。臣はそんな父親の立場を上手く利用し、今、こうやっていかにも偉そうに所長の椅子に座っているのだ。しかし、未だに成果を上げていない臣に、現職の総理大臣は、これが本当に最後のチャンスだと釘を刺している。だからこそ臣は、今、藁にもすがりたい気持ちでいるはずだ。暮野の今回のミスなど軽く受け流してくれる。暮野はそう信じて、正直に口を開いた。
「……昨晩ちょっとトラブルがありまして、早い話……俺の正体がターゲットにばれました」
「何だと!」
臣が目を丸くしながら、テーブルに両手を強く付き立ち上がった。暮野は一瞬怯んだが、後には引けず話しを続けた。
「八神……あ、ターゲットです。八神と、八神に前からしつこく絡んでくる同僚の男が、近々夜間勤務を一緒にすることを俺は知っていたのですが、こちらに戻って雑務処理をしている間に失念してしまいまして、それで、急に思い出して、嫌な予感がしたので慌てて過去に戻ろうとしたら、気づかず旧式の扉を使ってしまい、八神が同僚に襲われているところに、あの凄い光と共に俺がタイミング良く姿を現してしまったんです……まあ、同僚は、俺が背後から羽交い締めして気を失わせたのでばれてはいませんが……八神にはばっちり見られました。それと同時に防犯カメラにも写りました……」
暮野が過去に行く時はいつも、行く先と時間は、明け方の八神が勤務する図書館の二階の倉庫と決められている。図書館の入り口と倉庫のスペアキーは業務遂行上の必要アイテムとして、ミッションを行う前から準備されていた。だから、いつものように倉庫に行き先を設定したら、運良く八神を助けることはできたが、運悪く、旧式の扉を使ったせいもあって、八神に正体がばれてしまった……。
臣は椅子にどさっと腰を下ろすと、大袈裟に両手で頭を抱えた。
「すみません。俺が迂闊なばかりに。でも、今から図書館に行き、防犯カメラの暮野の映像部分だけ削除してきます。今日は運良く休館日なので」
暮野は開き直ると、この程度などたいしたことではないというように、さらっと言いつのった。
「で? 証拠隠滅したからオッケーだとでも言いたいのか?」
「はい?」
臣は鋭い眼光を暮野に向け、今まで聞いたどの声よりも迫力ある声でそう言った。
「は、はい。思っています。俺は絶対に今のミッションを終了させたくないので」
暮野は臣の目に潜む、鋭く磨かれた刃のような光に僅かに戦く。
「それはお前が決めることじゃないだろう……あ、もしかしてターゲットと上手くいっているとか?」
「はい! そうです。俺は彼を、愛しています。それに彼はとても誠実な人間です。面白がって俺のことを言いふらしたりするような、浅はかな人間ではありません」
臣は暮野の話しを聞きながら口をほの字に開けると、嫌味なぐらい意外だという顔をした。
「ほ~、お前が一番乗りだ。他の奴らは全く進展していないよ。まあ、お前も含め、初めから無理だと決め込んでた奴らばかりだからな……正直驚いたよ。というか、あれか? お前の場合、実は良く見たら美少年だったとかいうラッキーなオチか?」
暮野は臣のその言いぐさに腹の中で舌打ちをすると、思い切り臣を正面から見据え睨みつけた。
「何だその目は。図星ってことか? ったく、お前はほんとに運がいい奴だな」
臣は愉快そうにケラケラと笑うと、真剣な顔へさり気なく戻した。
「お前さ、盛り場で初めて俺に会った時のこと覚えてるよな? ノンケの奴らと喧嘩してたお前を俺が助けなかったら、來、お前あの時確実に死んでたんだぞ? ほんとお前はつくづく運がいい奴だよ」
「もちろん覚えています。あなたは俺の命の恩人です。だからこそ、あなたに恩を返すためにも、俺はこのミッションを絶対成功させてみせます!……だから、今回のことはこのまま見過ごしてください!」
忘れるわけなどない。あの夜は、ゲイの振りをしてバーに忍び込んだノンケが、酔った勢いで暮野の知り合いに絡み始めた。暮野はそれを止めようとしたが、結局ノンケに煽られ、短気な暮野はいつものように逆上してしまい、殴り合いの喧嘩になってしまった。相手が刃物を出し、暮野を切りつけようとした時、臣が現れ暮野を救ってくれたのだ。
「見過ごせね……前から思ってたが、お前はかなり生意気だ。でも、結構俺のタイプではある」
「……俺タチですよ」
「俺もだよ」
「良かったです。今、冷や汗が出ました」
「見過ごして貰いたかったら、俺に抱かれろとか? はは、中々悪くない交換条件じゃないか?」
「……きつい冗談はやめてください」
暮野は顔を引きつらせながら臣を見つめた。
「なあ、來。俺はお前にしか俺の秘密を話してないんだよ。他の奴らには、俺はゲイに理解があるノンケで通ってる……俺はお前を信用してるよ。來。絶対に俺を裏切らないってな」
「はい。勿論です。俺は絶対にあなたを裏切りません」
臣は何故か暮野を気に入っている。暮野の何に臣が惹かれるのかは正直分からないが、暮野の裏表のない性格とか、無鉄砲な所が一緒にいて面白いとか、多分そんなところだろう。まあ、何でもいいが、とにかくこの関係性を上手く利用しない手はないのだ。
「その言葉しっかり肝に命じろよ……よし。分かった。今回のお前の失態は聞かなかったことにしておく。
お前に掛けなきゃ俺は失脚を免れないからな」
臣は滑舌良く滑らかにそう言うと、暮野の目をまっすぐ見つめた。
「ありがとうございます! 本当に!」
「但し、この計画の内容は何があってもターゲットには気づかれるな。もし気づかれたら、次は確実にない。容赦なくターゲットの記憶を消し去るから覚悟しろ」
「勿論! 了解です!!」
暮野は嬉しさの余り臣に飛びつきたい気持ちになったが、さっきの、タイプだと脅かされた一件で、それを本能的に避けた。
「じゃあ、俺が今からお前に罰を与える」
「え? はい?」
頭が一瞬混乱した。今までの話しは何だったのかと首を捻りながら、暮野は「何を言ってるんだこいつは?」という顔を露骨に臣に向けた。
「明日から一か月間。一度もターゲットに会わず、お前はここで冷凍室の管理を行うこと。もし、命令違反をしたら、文句なしにお前をこのミッションから除外する」
「いっ、一か月って! 長すぎますよ!」
「いいんだよ。時短だ」
「時短? って意味が逆です!」
「会えない時間を相手に与えれば、相手はお前との関係に不安になる。そこが狙い目だ。そこで一気にお互いの思いを爆発させて、さっさと距離を縮めろ。お前の今までの報告書を読むと、ターゲットにはこの心理戦がぴったりハマる気がするからな」
「……所長。それ凄いグッドアイデアですね!」
そうは言いつつも、八神と一か月も会えないなんて地獄の苦しみだ。暮野はそれを飲み込むようにぐっと堪えると、目の前の男を苦々しく見つめた。
呆れた男だ。この男は本当に変だが、とても愛すべき男だ。暮野は今、その事実をしみじみと噛みしめる。
臣は得意げな笑顔を暮野に向けると椅子にふんぞり返る。暮野はその姿を見つめながら、この男を絶対に裏切ってはいけないと、心の中で強く決意した。
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