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第18話 慎一郎視点 後半
岩田と竹内がリビングから出て行き、オートロックのドアが閉まる音が室内に響いた。
早く二人きりになりたいと思っていたはずなのに、いざこうなった途端、口が重くなり束の間の沈黙が訪れる。
流生を横目で覗き見ると長い睫毛を瞬かせていて、何か言いたそうに唇を薄く開いては閉じる動作を繰り返していた。
きっと、つい数分前に、流生を委縮させるような強い口調を発してしまったせいだ。
本当に俺はバカだ。そう思うと同時に罪悪感に苛まれ、口から短い息が洩れる。
「久しぶりに会えたのに、悪かった……」
「えっ……。ううん、僕も、ごめんね」
呟くように謝罪を口にすると、流生は一瞬驚いた様に目を見開いた後、柔和な笑みを浮かべると首を左右に緩く振った。
写真集撮影が終わって自宅に戻ってからの流生との距離は物理的にも遠くなっていて、会えるのはせいぜい二週間に一度が良いところで、会っていられる時間だって日によってまちまちだ。
良く言えば毎回新鮮な気持ちで顔を合わせる事が出来るのかも知れないけれど、悪く言えば不安は募る一方だった。
だから女々しいとはわかっているけれど、訊かずにはいられなかった。
「あのさ、……頑張れって竹内さんに応援されてたけど、なんの話?」
テーブルに置かれた煙草に手を伸ばし、火をつけて口へと運ぶ。
深く吸い、流生から顔を背けると一気に煙を吐き出した。
「ぇ、えっと、……色々」
動揺が隠しきれていない流生の声に視線だけを向けると、流生は膝の上に置いていた手指を僅かに震わせ握り締めている。
そんな反応するって事は、俺には言い難い話なのか?
そう思うと同時に、本音を隠すような軽い口調と言葉が口から突いて出ていた。
そもそも、仕事の話ならそう言えば済むだけだ。
「ふーん、色々? 俺にも教えてくれよ。色々の中身」
「む、無理だよ。そんな……」
赤面した顔を強張らせ、あからさまに狼狽える流生を可愛く思える反面、胸の内に嫉妬の炎が揺らめくのを感じる。
――無理ってなんだよ。
煙草をひとふかしすると、煙草をギュッと灰皿に押し付けた。
竹内と流生だけが知っていて、自分は知らない事がある。特段内容に興味なんて無いけれど、自分だけが蚊帳の外のようで、それが只々癇に障るのだ。
だが、数日ぶりにやっと会えたというのに喧嘩なんてしたくもないし、険悪な雰囲気で時間を無駄にするなんて事もしたくない。
そう頭では十分理解しているのに、こちらを窺うような視線を送ってくる流生が視界に入った途端、胸の奥に押しやっていた本音が溜息と共に溢れ出ていた。
「……無理ってなんだよ、感じ悪ぃな」
「ぁ……っ、ごめんね」
静かな空間で隣同士に座っている流生に聞こえないはずも無く、蚊の鳴くような声の謝罪が耳に届き我に返る。
「いや、……感じ悪いのは俺だよな。久しぶりに会えたのに、なに言ってんだろうな」
勝手に勘繰り駄々を捏ねたようにも思える狭量な自分が情けなくて、眉間に力が籠る。
短く息を吐いて「ごめん」と言いながら流生に苦笑いを向けると、眉を寄せた流生が首を緩く左右に振って笑みを見せてくれた。
――ヤキモチとか、ガキかよ、俺は……。
無意識に湧いてくるこの感情は邪魔にしかならなくて、それを追い出したくて密かに深呼吸をする。
「昨日、流生のポスター見たんだけど、あれ俺の部屋にも欲しい」
「えっ⁉ うん。竹内さんに話しておくね。……僕の事、飾ってくれるなんて嬉しいな」
半ば無理やりに話題を変えたけれど、流生は目元を僅かに紅潮させながら嬉しそうに笑みを浮かべながら俯く。
胸の内をあっと言う間に温かくしてくれる流生の笑顔に釣られるように自分の唇が弧を描き、流生の肩に腕を回すと華奢な身体を抱き寄せて額に唇を落とした。
流生の匂いが鼻孔を擽り、鼓動が速くなるのを感じながら滑らかな肌にリップ音を降らせていると、流生の身体が火照り始める。
「ぁ、慎一郎、あのね……、僕」
「ん? なんだよ。さっきの事なら、もう気にしなくていい」
シャツの胸元を握ってくる流生の手に手を重ね、やんわりと握り込むと顔へと引き寄せて細い指に唇を這わせた。
瞳を震わせながら赤面する流生の唇が弧を描いていて、見つめ合うとそれだけで胸がいっぱいになる。
そんな最中、流生が熱の籠った瞳でこちらを見上げてきて、目を伏せると唇を薄く開いてくるのだから目を見張る程に驚愕した。
流生の方からキスを強請ってくるなんてことは稀で、あったとしてもわざとお預けをして焦らした時位なものだ。
だから、喉が上下してしまう程に嬉しくて、薄目にしながら唇を近づけたが、ここで自分が寸止めをくらうとは思わなかった。
「あのね、僕、……慎一郎に、嚙んで欲しいって、竹内さんに相談したんだ。さっき、言えなかったのは、この話。ごめんね」
「ん⁉ ……ど、どうした、急に⁉」
あまりに唐突で、目が泳いでしまいそうだった。軽く狼狽えながらも流生に訊き返すと、顔を真っ赤にはしているけれど流生は神妙な面持ちをしていて、自分の鼓動がさらに煩くなるのを感じる。
「竹内さんは、……傷痕を隠すテープでも作って貰えばとか、デジタル時代ですよって僕の事応援してくれて、きっと事務所も協力せざるを得ないでしょうって言ってくれてる。だからね……」
「……ちょ、ちょっと待て。落ち着け。どうしたんだよ急に。噛むって、そんな軽いもんじゃねーだろっ?」
堰を切ったように喋り始める流生に、いつの間にか両手でシャツの胸元を掴まれていた。真剣さはひしひしと伝わってくるのに、目と鼻の先にある流生の顔が相変わらず見惚れてしまう程に綺麗で、上の空になりそうな自分に喝を入れようと唇の内側を噛み締めた。
視線の先にある薄くて形のよい唇が僅かに震え、強い意志を感じる瞳で見つめられると、息を呑まずにはいられない。
「僕だって、……慎一郎が僕のいない所で他の人に鼻の下を伸ばしているかも知れないって、いつも不安で、心配なんだよ」
「は、鼻の下って……」
想定外だった流生の言葉には狼狽してしまい、つい揶揄うような言葉が口から突いて出たけれど、それを流生にかき消される。
「慎一郎は人気あるし、昨日だって現場にいた女優さんが慎一郎の話してたんだよ。すごく綺麗な人で、スタッフさんにも優しくて、……だから、僕みたいな根暗で面白みのない奴なんか、もしかしたらすぐ飽きちゃうんじゃないかって、毎日怖くて、考え出すと手が震えちゃって……っ」
勢い任せに早口で喋る流生には圧倒されてしまい、その内容も目から鱗だった。
流生の引っ込み思案な性格は理解しているつもりだったけれど、ここまでの嫉妬心を隠していたなんて知らなかった。
言葉尻で失速する流生に潤んだ瞳で見つめられると思わず生唾を呑んでしまい、目を逸らすなんて選択肢はない。
見た目と中身のギャップにはもう慣れたと思っていたけれど、気のせいだったと思い知らされた。
言葉が出てこないままで顔の火照りを感じながら呆然としていると、柔らかい金髪が頬を撫で、ぐらりと視界が傾く。
気付いた時には顔を真っ赤にした流生に見下ろされていて、自分の顔の左右には華奢な腕が伸びていた。
束の間の沈黙があり、ただ見つめ合う。
こんなのも悪くない。そう思うと同時に鼓動が速くなり、身体が熱くなるのを感じながら流生の出かたを見守る。
流生の眉は困惑気味に下がっていて、唇は何か言いたそうに震えている。押し倒してきたくせに、まるでされた側のような表情の流生を目の当たりにしていると、吐いた息が熱を帯びながら震えた。
「……随分、積極的だな」
「ぁ……」
口角を上げて低く囁くと、流生は視線を泳がせて戸惑いがちに唇を薄く開く。
けれど、こちらの予想通り流生の言葉は紡がれる事はなく、ただ目元を赤く染めて縋るような視線を向けてくるだけだった。
困らせた時に見せるこの表情が堪らなく好きで、首の後ろが粟立ち始める。
「……、俺のこと押し倒してどうするつもりだ? 自分から上にくるなんて、そんなに俺が恋しかったのかよ」
半笑いで言って見上げると、流生の顔がますます情けない表情へと変わっていき、図星だと認めるように肩口に顔を寄せてきた。
甘い香りが鼻孔を擽り、興奮を抑えたくて深く息を吸って吐く。
髪に口付をして漉くように撫でてやると、隣に転がるようにして横になった流生が、髪の隙間から瞳を覗かせてこちらを見ていた。
目が合うだけで胸の内が熱くなり、瞳や唇にかかる髪を指先で避けてやりながら幸せを噛みしめていると、流生の唇が薄く開く。
「慎一郎は、……僕の事、ずっと好きで、いてくれる?」
「当たり前だろ。ずっと好きでいてやるよ」
「本当?」
「あぁ。でも……」
「ぇ。でも、なに?」
「……押し倒してきて、キスの一つもしてこなかったのはガッカリだったよな。すげぇ興奮してたのに」
そう返した途端、赤面しながらも呆気に取られたみたいな顔をした流生が愛おしくて、首根っこを捕まえるとキスをしていた。
触れた唇は柔らかく、唇の隙間から零れる流生の甘い吐息に、あっと言う間に心が奪われる。
流生に覆い被さるようにして深く口付けると遠慮がちな舌が触れてきて、薄目を開けて覗き見ると、きつく閉じられた流生の瞼で長い睫毛が震えていた。
絡み合う舌が粘度の高い水音を響かせ、流生の火照った肌を弄るようにして撫でると、身体を小さく震わせながら切なげな声を洩らす。
流生の首筋に舌を這わせると濃厚なフェロモンが鼻孔を刺激して、身震いしてしまう程の昂ぶりを感じた。
硬く尖った乳首を口内に含み舌で弾くと、流生の声と呼吸が欲を帯び始める。
流生の敏感な部分を撫で、尻の形をなぞるようにして窄まりへと手指を伸ばすと、指先がしっとりと濡れた微熱に触れた。
引っ込み思案なくせに、欲望には正直な流生の身体もとても愛おしい。
流生の紅潮した頬に口付けをして視線を上げようとすると、肩口に顔を押し付けてきた。
「濡れてんの、恥ずかしい?」
艶やかな髪にキスをして、強く抱き締めながら耳元で囁くと、流生が小さく頷く。胸の奥から熱が溢れてきて、堪らず含み笑いを洩らしてしまうと、流生が聞き取れない声を発しながら抱きついてきた。
いつになったら慣れるんだ?
そんな思いとは裏腹に、流生の初々しい反応を見る度に酷く興奮する自分がいた。
指を奥へと進めながら愛撫を続けていると水気は確実に増していき、流生の興奮が見て取れるような水音には、自然と唇が弧を描いてしまい、吐く息を熱くなる。
流生の腰が揺れ始め、強張っていた身体の緊張が解け始める。お互いの昂ぶりを触れさせながら後ろへの愛撫を続け、服を脱がせていきながら深く濃厚な口付けを繰り返した。
流生の性器の先端は大きな雫を作り、窄まりはトロトロに濡れている。
恍惚とした表情の流生に服を脱いで欲しいとせがまれ、服を脱ぐと互いの性器に手を添え扱き合った。
自然と呼吸は荒くなってしまうのに、繋がりがもっと欲しくて、貪欲に唇を重ねては舌を絡ませた。
こんな時でも流生は綺麗で、涙を目尻に溜めている様はとても儚そうで目を奪われてしまう。
「……流生、愛してる」
流生の紅潮した頬に口付け、伝う涙に舌を這わせる。扱いていた手をこちらが止めると流生の手も止まり、恍惚とし表情を浮かべながら掠れた声で「愛してる」と返してきた。
「どうされたい?」
意地悪をしたい。そんな衝動に駆られてしまい、思うより先に口にしていた。
流生の口からどうして欲しいとか、そう言った類の事は滅多に聞けないから、きっと困惑しているはずだ。
その証拠に、今も縋るような潤んだ瞳でこちらを見つめてきては、何か言いたそうに唇を震わせている。
俺だけしか見られないこの表情が、俺の中にあった不安を全て一掃してくれる。
「……ごめんな」
留めておけない喜びが口から溢れ、吐息交じりに呟いた。
先走りで濡れた流生の性器に手指を絡め、焦らしながら扱き始めると、恍惚とした表情で快楽を受け入れ始める。
じっと見つめていると、欲に溺れながらも顔を背けてくる仕草も好きだ。
深く口付けるとあっと言う間に流生の身体が強張りをみせ、上擦った甘い嬌声が耳に届く。生温かさが掌に広がり、肩で息をする流生の顔を覗き込むようにして鼻先同士を触れ合わせた。
目が合った途端、気恥ずかしそうにする流生が心底可愛くて、口元がムズムズする。
両手で顔を覆って「見ないで」とでも言うのか? そんな風に思っていたけれど、予想外の流生の行動に鼓動が跳ね上がった。
流生の腕が伸びてくると首に回され、上目遣いにキスをしてくる。
流生の吐息が耳に触れると、身体の熱が上昇し「大好き」と囁かれると、自分の吐いた息が興奮に震えていた。
「……なんだよ、今日は随分と大胆だな」
抑えられない歓喜が声色となって洩れてしまい、それを誤魔化したくて深く口付ける。
まだ欲を発散しきれていない性器同士がぶつかると、流生の尻へと手が伸びていた。
「仕事、立て込んでるんだろ?」
流生の身体に負担をかけたくない。そんな思いで訊いてみるけれど、内腿まで濡らしているそこは簡単に指を呑み込んでは、欲しがるように淫らな水音を響かせている。
――声が枯れるまで、鳴かせたい。
嗚咽にも似た声が耳に心地良く、興奮で胸の内が騒めく。欲求が脳内を支配してしまいそうで、理性を繋ぎ止めようと唇の内側を噛んでは堪える。
それなのに、だ。
「ぁ……っ、はぁ、慎一郎の、欲しい」
そんな最中、涙声でこんな事を言われて大人しく出来るわけもなく、理性崩壊までのカウントダウンが一から開始されると、理性は跡形もなく吹き飛んだ。
激しく求め合った事だけは記憶にあるけれど、何度したかなんて覚えていない。
ただ、床にぐったりと横たわった流生を放ってはおけなくて、ベッドまで運んだところで力尽きての今だった。
時間を忘れたいからと時計は部屋に敢えて置いていないけれど、自分達の持ち込んだスマートフォンが現実に引き戻してきたのだ。
バイブ音で目が覚めて、眉間に緩く皺を刻みながらアラームを止める。
「流生、起きろ」
抱えるようにして眠っていた流生の耳に唇を寄せ、寝ぼけ眼のままで囁くけれど、流生は小さく呻くだけだった。
「ほら、流生。起きろって」
「ぅ、……眠い」
「寝てても構わねぇけど、このままじゃ全裸でマネージャーに会う事になるぞ」
抵抗するかのように身体を丸める流生の頬を手指でぺたぺたと触れながら言うと、マネージャーに反応したのか。流生の目が唐突に見開かれる。
「も、もうそんな時間なの?」
慌ただしく上体を起こした流生は世界の終りのような顔をしていて、すぐに頭を抱えると呻き始めた。
「おい、頭痛ぇとか言うなよ。なんだかわかんねーけど、俺が怒られるんだからな」
本音はただ心配なだけなのに、どうしてだか素直になれない。失言を口にしてから、いつも後悔を繰り返す自分には呆れてしまうけれど、今は流生の体調が心配だった。
「……こっち向けよ。熱あるかみてやる」
気怠そうな声を作って上体を起こし手招きをして見せるけれど、顔を向けてきた流生が首を横に振った。
「どこも悪くないよ。……ただ、噛んでもらえなかったから、また、心配なまま、離ればなれになるんだって、思って……」
眉を寄せる流生は視線を落としながらか細い声で呟き、短く息を吐く。
あまりに意地らしい言い草に、口内を噛みしめて耐える。
――流生の無意識の煽りに、俺は一生悩まされ続けるのか。
そんな風に思うのに、胸の内はとても温かかった。
「じゃあ、……少しだけ、じっとしてろ」
流生の身体を後ろから抱き寄せ、首筋にかかる金髪を指で掬って避ける。見ているだけで身体を熱くさせるこの項は限りなく魔性で、口を大きく開くと鼓動が高鳴る。
だが、いざ白い項に歯を当ててみると強く噛む事への抵抗に苛まれてしまい、結局甘噛みで終わってしまった。
それなのに、振り返った流生の笑顔はいつもに増して眩しくて、思わず息を呑んでしまい不自然な間が空いてしまう。
「……っ、加減がわかんねぇから、……ちゃんとしたのは、また、今度な」
「うんっ! ……ありがと、慎一郎」
「別に……。って、なんでいつまでもニヤニヤしてんだよ」
「少しだけ噛んでもらったから、少しだけ、慎一郎が僕以外のフェロモンに興味なくなったかなって」
「おい、人聞き悪いぞ。もともと流生以外のフェロモンに興味なんてないってのによ」
ふざけてじゃれ合っている時間も、全然足りない。次にこうして会えるのはいつなのかと考えてしまうと、毎度の事ながら胸が締め付けられる。
「流生、愛してる」
「僕も、慎一郎のこと、愛してるよ」
どちらからともなく顔を寄せ、唇が重なる寸前で肩口に流生を抱き寄せた。
「時間ないだろ。次にとっておこうぜ」
「……そう、だね」
今キスなんてしてしまったら、離れるのが余計に辛くなる。
だから俺は、大人な振りをし続ける。二人の帰る家が一つになるまで、ずっと。
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