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第17話 慎一郎視点 前半

「慎一郎君、いらっしゃい」 「……すみません、やっぱり俺、我慢できなくて」  流生が寝静まった後、自然と足が向くのは岩田の部屋だった。  いつも堅苦しい格好をしている岩田がアメニティのバスローブに身を包んでいて、鎖骨や足首へと無意識に目が行ってしまう。  普段見慣れていない箇所だからと自分に言い訳をしてみるが、口元の強張りを感じると苦笑いが零れた。  室内の置時計はそろそろ0時を回るというのに、岩田は相変わらずの陽気な笑顔で迎えてくれる。この笑顔に何度助けられたかもわからないし、今も、少しだけ胸の内にある罪悪感が薄められた気がした。  部屋のドアが閉まる無機質な音が背後から耳に届き、やっと岩田と二人きりになれた安心感で自然と吐息が零れる。 「慎一郎君は、本当に欲しがりだね」 「そういう言い方、止めて下さいよ」  含みのある岩田の言葉に反射的に眉が下がってしまい、吐息交じりに返して首を緩く振ってみせた。 「じゃあ、いらない?」 「……、あー、いらなくは、無いです」  意地悪くも聞こえる岩田の口ぶりに反射的に真顔になってしまったが、欲しいものは欲しい。簡単に我慢できるものなら、苦労なんてない。  岩田の目が満更でもなさそうに細められ、自分を見つめてくる。その居心地の悪さから顔を背け、室内へと視線を巡らせた。  自分が流生と過ごしている部屋の四分の一にも満たない広さで、だからこそ落ち着ける気もする。家具もベッドとテーブルと椅子が二脚ある程度で、他に目立つものといったら冷蔵庫位だ。  肩が触れそうな距離を岩田が素通りし、部屋の中央程で止まると手招きをしてくる。  ベッドに座れと視線で示され、その通りに腰を下ろすと、岩田がテーブルの上に置かれていた手のひらサイズの箱を手にしながら隣に座ってきた。 「煙草の匂いさせて帰ったりして、ルキさん何も言ってこない?」 「あの人、俺に興味無いんで問題ないです」 「おやぁ。まさか、まーた竹内さんにヤキモチ焼いてる感じ?」 「冗談止めて下さいよ。……何で、俺が」  前のめりになって顔を覗いて来る岩田を鼻で笑い、膝の間に投げ出された岩田の手から煙草を奪うと火をつけた。  煙を肺いっぱいに吸い込み、自然と薄目になりながら煙を吐き出す。視界に映る灰皿を求めてテーブルへと足を向けると、煙草を咥えたまま椅子を引き、腰を下ろした。 「今日もここに来た初日みたいに、愚痴りたくて来たのかと思ってた」 「あれは、……あの日は愚痴ってより、マネージャーとの不倫はデマだって信じてたのに、裏切られたって思ったから、つい」  あの日車内で見た流生の表情は、今でもはっきりと脳裏に刻まれている。あんな儚くて切なそうな表情をして、普通はマネージャーの名前なんて呼ばない。  ――綺麗だとは思ったけど、なんだか無性に腹が立った。 「竹内、さん……、だっけ?」  あからさまに作られた岩田のトーン高めの囁き声が耳に届き、思わず目元がピクリと反応してしまう。 「岩田さん、その真似なんですけど、全っ然似てなくて、すげーイラっとするから止めてもらえません?」  自分の知っているルキとのギャップがあり過ぎて、誰かに聞いて欲しかった。だが、この物真似を聞いた直後、岩田に話したのは失敗だったとあの日も後悔した事を思い出す。 「結構自信あるんだけどなー。まぁ、いいや。……でも、止めてって言うなら、慎一郎君も食事中にルキさんの事、見すぎるの止めなよ? 俺もフォローしきれないから」 「ぁ……、それは、申し訳ないって思ってます。本当に」  ここにきて、まさか岩田から的を射た指摘をされるとは思いもよらず、僅かに見開いた目で煙草を口元へと運ぶと、岩田の含み笑いが部屋に響いた。 「冗談だよ。俺は慎一郎君のマネージャーだから、何度でもフォローする。……それより、仲良くやれてる?」 「……ありがとうございます。俺は、それなりに出来てるとは思いますけど、正直、ここに居る時間以外がずっと仕事みたいで、息苦しくて仕方ないですよ。ルキさん、もっとしっかりしてる人かと思ってましたけど、ソファで寝落ちするような人だし」  能天気に見える岩田もやっぱり頼りになるマネージャーだと実感し、胸の奥が温かくなるのを感じる。だからこそ言える本音を口にすると、胸の前で腕を組んだ岩田が同意を示すかのように緩く数回頷いた。 「あぁ、寝顔が見れたって、慎一郎君が慌ててた日の事か」 「言い方……。まぁ、とにかくあの日です。あの見た目ですし、ストイックなイメージだったので意外でしたよ」 「確かにねー。俺はそれより、慎一郎君が手を出さなかった方が意外だったかな」 「ルキさんに手なんて出したら、俺この業界に居られなくなるじゃないですか。それに、……オメガの匂いさせてるアルファなんて、抱く気も起きねぇよ」  ソファで眠っていた流生からは微かにオメガのフェロモンが香っていて、それが竹内のものだと想像すると反吐が出そうだった。  写真集の撮影が終わり、ホテルを後にすること一ヵ月。流生との交際を大っぴらに出来るわけもなく、今日も郊外にある流生との密会用の隠れ家に来ている。  ただ、今回は流生と二人きりでは無く、各々のマネージャーである岩田と竹内も一緒だった。 「岩田さん、その話ストップで」 「えー、ここからがもっと面白くなるのにー?」  岩田がホテルでの出来事を面白おかしく話していたが、黙って聞いていられる域を超えてしまい、途中で口を挟んで止めさせた。  二人掛けのソファには一応の来客である岩田と竹内が座っていて、自分と流生はテーブルを挟んだ向かいに腰を下ろしている。 毛足の長い絨毯は肌触りが良く、そこで流生にも触れていられるのだから、意図せず表情も緩んでしまう。 「終わりです。もう済んだ事なんだし、話す必要ないです」 「済んだ事ではありますが、水野君が私と流生君の関係をそういう目で見ていたとは、少し驚きました」  不満そうに眉を寄せている岩田を後目にして、白々しく言って微笑む竹内に冷めた視線を送る。だが竹内は意に介する様子も無く、柔和な笑みを返してくるだけだった。  この人が何考えているのか、全くわかんねぇ。そんな風に思うと無性に流生を感じたくなり、流生の肩を半ば強引に抱き寄せる。  不意打ち過ぎたせいか流生の息を呑む声が小さく聞こえ、それが余計に腕の力を籠めさせた。  体温が急激に上がり、小刻みに震え始める流生の顔は真っ赤になっていて、僅かではあるが甘いフェロモンが誘うように鼻孔を擽ってくる。 「……ぁ、竹内さんとの事は、僕のせいで何度か、週刊誌に載ってしまったので、慎一郎がそう思うのも、無理は、無いです」  長い睫毛を瞬かせた流生が自信なさそうにぽつぽつと話し始めたが、週刊誌の一面を飾っていた竹内と腕を組んで歩いている写真が脳裏に浮かび上がり、眉がぴくりと動いた。  ――くっそ、苛々する。 「だよなぁ。俺とはやらねぇけど、竹内さんとは外で散々イチャイチャしてたもんな」 「べ、別に、イチャイチャなんて……」 「してただろ。してなきゃマネージャーと二人でいるだけで、週刊誌になんて載らねーからな」  恋人の過去に嫉妬するなんて、器が小さ過ぎる。相手を信じられないのか? どちらかといえばそんな風に思っていたし、鼻で笑っていた自分は何処へ行ったんだ。  束の間の沈黙でふと我に返り、口から突いて出た言葉を内省しようにも遅い。  流生は眉を寄せながら睫毛を伏せ、赤面しながらも綺麗な顔を曇らせていた。  気の強そうな顔立ちであるのに噛みついて来る事も無く、睫毛を震わせ口籠っている。久しぶりに会えたというのに、流生にこんな顔をさせてしまった罪悪感で胸がチクリと痛むが、それ以上に見惚れていた。  だが不穏な空気が辺りに漂い、それが自分の失言のせいだとはわかっているのに、挽回する術が思いつかない。自然と視線が岩田へと流れて行き、目が合うと片眉を下げた岩田が口を開く。 「よし、席替えしよう」 「はぁ⁉」 「外と同じように、タレントとマネージャーのペアで座り直しましょう」 「そうですね、流生君の悲しそうな顔は見ていられませんし、私も賛成です」 「ちょっと待ってくださいよ! 流生と会うの一週間ぶりなんですよ? 竹内さんは俺が流生と会えない間、毎日会ってずっと一緒に居られるじゃないですか。それなのに、ここでもとか、……気に入らねぇ」  揉めるなら離れろという事なのだろうと察しはつくが、小さくなった言葉尻でぽろりと本音が洩れてしまった。  流生を怯えさせたかも知れない。そう思った矢先に袖を控えめに引っ張られ、謝罪をしようと口を開きかけたが不発に終わる。 「僕も、慎一郎に、……会いたかったよ」  あの奥手で口下手な流生が視線を逸らす事もせず、瞳を僅かに潤ませながらも声を震わせて懸命に喋っていた。  感動を通り越し、息を呑む事しか出来ずにただ茫然としていると、耳まで真っ赤にした流生がはにかみながら俯いた。 「そ、そういう顔、人前でするなって」  ――流生の、ルキではない顔を見る事が出来るのは、俺だけの特権だ。  流生と出会ってからは独占欲ばかりが強くなった気がして、正直、こんな大人げなくて余裕もない自分に腹が立つ。 「ご、ごめんね」  動揺と、人前だという照れ隠しで素っ気なく言い過ぎたせいだろう。流生が蚊の鳴くような声で言い、しょんぼりと肩を落とした。 「別に、怒っては、ねぇよ」  またしても流生を委縮させるような口調で言ってしまった自分に呆れ、人前だというのを忘れて流生の頬を掌で撫でる。  思考は忙しいが静かな室内で話し声を無視する頃は不可能で、ぼそぼそと相談でもするかのような岩田と竹内の声に耳を傾けた。 「俺達は、何を見せられているんですかね」 「……ここは、お互いの大切な人の為に退散いたしましょうか」  気を使わせた。いや、もっと早く気を使ってくれても良かった。胸の内で冗談じみた事を思って顔を上げると、岩田と竹内が揃ってソファから立ち上がる所だった。 「……なんか、すみません」  夕食位は一緒にと思っていたから、こんな状況ではあるけれど、追い出すような形になってしまった事に思わず苦笑いが浮かぶ。  だが、岩田と竹内は全く意に介していないという表情で顔を見合わせ、一歩二歩と玄関へと歩みを進め、途中で振り返った。 「俺達は帰るけど、今から十五時間後に迎えに来るから、少しだけでもちゃんと寝てよ」 「流生君、スケジュール的に、またしばらくの間、水野君には会えなくなってしまうと思います。……ですので、先日話した事を思い出して、頑張ってください」  いつもなら玄関まで見送りに行く所だけれど、竹内の声で身体を強張らせる流生から離れる事は出来なかった。

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