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ひとりぼっちのふたり 1

     眠たくなるような昼下がり。  日当たりのいいテーブルサンゴの上で、ネロはパチッと目をあけた。  ちいさな悲鳴が、聞こえた気がした。    むこうの大岩の下に、子どもの人魚があつまっている。  いちばん大きくて目立つ子どもは赤い尾びれの人魚。片手に何かをかかげて、面白そうに笑っている。  一緒にゲラゲラ笑っている人魚はそいつの手下たちだ。 「まーた、アイツらかぁ」  ネロはポカッと大きな泡を吐いてあくびをした。  イライラしながら、尾びれでテーブルサンゴをペチンとたたいた。 (すっげー面白い夢、見てたのにさぁ) 「旨そうだったのになぁ、あのでっけーアンモナイト」    やつらが囲んでいる岩影には、白っぽい尾びれの人魚がひとり、うずくまっている。  ちびで瘦せっぽちで、見るからに貧弱で、同じ年ごろの男の子たちどころか、女の子たちよりもさらに弱そう。   (さっきのって、アイツの悲鳴か?) 「やぁっ……やめてっ……」    白っぽい尾びれの子どもは、泣きながら腕をのばしている。  赤い尾びれの子どもがゲラゲラ笑って、手下のひとりに何かを投げた。  ぶ厚い本だ。  それが白っぽい人魚の持ち物なのは、ネロも知っていた。いつもみんなから離れた岩の下やサンゴの陰にぽつんと座って、あの子が熱心に読みふけっていたから。  あんなに泣いているのに、まわりの子どもたちは見向きもしない。  赤い尾びれのいじめっ子が、大きくて乱暴者だからだ。  ヘタに口を出したら、こんどは自分が標的にされる。ウソだかホントだか「おれは王さまの血を引いてるんだぞ」と自慢して、群れのボス面をしてえばりくさっている。どーせウソだ。人魚たちの王さまはずっと大昔にいなくなったって、じいちゃんが言ってたもん。  ネロはといえば、おなじ年頃の子どもたちにくらべて身体が大きくて、力も尾びれも強かった。  おまけに、ちょっぴり好みがハッキリしていて、自分の気持ちに素直で、我慢とか忍耐とかが大っきらいで……  つまりその日のネロは、いじめっ子たちの下品な笑い声と、ニタニタゆがんだ胸くその悪い顔に、朝ごはんに食べたイワシをぜんぶ吐き戻しそうなほどムカついていた。  ネロは尾びれで水を蹴って、いじめっ子たちのど真ん中に飛びこんだ。   「あーあ、ごめーん」    ネロの尾びれで引っぱたかれて、リーダーのいじめっ子が「ギャッ」と叫んで砂のうえに転がった。  その手からすっ飛んだ本を水中でくるっと一回転してキャッチして、ネロは砂のうえにナマコみたいに這いつくばっているソイツを、にこにこ笑って見下ろした。   「フナムシかと思っちゃった。あんまりブサイクなんだもん」 「こ、このっ!」 「おい、やめよう!」 「やばいって! ネロだよ!」    仲間のいじめっ子たちが急いで助け起こしに泳いでくる。  にこにこ笑っているネロを見上げ、ネロのつややかな青い尾びれにうかんだ真っ黒な目玉模様の斑点と、自分たちを見つめる真っ赤な両目を見て震えあがった。あわててリーダーを引き止めようとする。  でもリーダーの人魚だけは、手下たちの目の前でブザマに砂に転がされて、ピカピカのプライドに傷がついたらしかった。押さえつけようとする仲間の腕の下で尾びれを振りまわしてもがいて、ネロをにらみつけてきた。 (へぇ、やる気?)  いいよ、オレはね?   「……尾びれがちぎれて無くなっても、泣きわめくんじゃねえぞ」    ネロが低い声でジロッとにらんだ途端。  震えあがったいじめっ子たちは、砂煙をまき散らして泣きながら波のむこうへ逃げていった。 「べぇー!」    その背中に舌をだして、ネロはぶ厚い本を抱えて、岩の陰まで泳いでいった。  そっと暗がりをのぞきこむと、岩と岩のあいだの細くて薄暗い隙間にはさまって、青白い人魚の子どもがうずくまっていた。  差し出された本に驚いて顔をあげて、じっとこちらを見つめてくる。  睫毛をパチパチさせてネロを映した大きな目は、きらきら澄んでいて、真昼の浅瀬のような明るい青色をしていた。他がぼんやりした印象だったせいかもしれない。その青色だけが、ネロにはハッとするほど鮮やかに見えた。  ちいさな薄い唇が、泡と一緒に消え入りそうな声を吐いた。   「…………ぁ……」 「本、いらねーの? オマエのなんでしょ?」 「ぅ……ぁ、ぁ……」 「あのさぁ、オマエもやり返せよ。なーんも言わねーでメソメソしてっから、アイツらも調子にのるんだよ」 「あっ……うぅっ………」    突然、ネロを見上げている大きな目がゆらゆらした。  と思ったら、ポロポロと大粒の涙があふれだしてきた。  白い頬をつたって灰色の尾びれのうえにみるみる溜まっていって、あとからあとからこぼれ落ちる涙の粒が、小さな硝子玉のように光って砂のうえを転がっていく。   (えぇ、なにこれ)  オレがいじめたみたいじゃんか。   「ぅ……ごっ、ごめっ……」    受け取った本を抱えてぐすぐす泣きながら、その子が、かぼそい声を必死に絞りだした。   「ぼくっ、ただ……ありがとうって……いっ、言いたくて」 「あーもう、いいから。泣くなってば」 「ちがっ……ぼくっ……」 「わかーった、わかーった! わかんねーけど、きて!」    小さな白い手を引っぱって岩の隙間から引きずり出して、ネロはぐずぐず泣いているその子を引きずって、サンゴの広場から連れ出した。  遊んでいた他の子どもたちがナニゴトかと、あっちこっちから顔をあげて、ふたりを興味津々で見つめてくる。  うっとうしい視線を蹴散らすように、ネロは尾びれで水を蹴った。    

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