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深海から見る夢 3

 ソフトコーラルの茂みを跳ね飛ばして、ど真ん中を突っ切って。  荒く水を吐きながら飛びこんできた乱入者に、にやけ顔の赤い人魚がぎょっとしてふり返った。  その胸に抱きしめられてうつむいていた白い人魚が、驚いたように顔をあげた。   「……うそ」  ネロを映した青い目がこぼれ落ちそうなほど大きくなって、きらきらゆれた。   「なんで……」 「迎えにっ、きたっ」 「うそ、だ……ぼく、また幻覚を見てるんだ……」 「ちがうっ! 俺だよっ!」    手を伸ばして、泳ぎよってこようとするシェルを抱きしめようとしたら。  シェルを後ろに突き飛ばし、ネロの手を乱暴に振り払って、赤い人魚が割りこんできた。  憤怒と嫉妬に満ちた目でネロをにらみつけてくるその顔には、見覚えがあった。  ずっと昔、シェルから本を取り上げてニタニタ笑っていたいじめっ子。きれいになったシェルをしつこく追いかけ回して、盛大に平手打ちされてた滑稽な人魚。    なるほどな。 (そりゃ、シェルが迷惑がるわけだ)  ネロがにらみ返しても、相手に退く気はないらしかった。  上等じゃねぇか。  欲しいものは奪い取る。  それが、谷底の流儀だった。  赤い尾びれが動いて、こちらへ飛びかかってくる。  ネロに掴みかかろうとする腕を尾びれをひるがえして交わし、するどい歯を剝きだして、その脇腹に噛みついてやった。口いっぱいに血の臭いがひろがっていく。耳をつんざく悲鳴とともに、海水が真っ赤に染まっていく。  ドクン、ドクン。  全身の血が滾った。  感覚がギラギラ研ぎ澄まされていく。  まわりで動くものすべてが、ひどくゆっくりに見えた。  ネロを振り払おうともがいて、逃げ出そうと必死に尾びれを振りまわしている、その緩慢な動きがおかしかった。 (逃がすかよ)  てめーが向かってきた相手を、誰だと思ってやがる?  勘違いしたか?  俺に勝てるって?  こんな非力な尾びれしかねえ、軟弱な浅瀬の分際が?   (てめーは、手を出そうとした)  シェルに、手を出そうとしたんだ。 (誰のものに何しようとしてたのか、そのウロコ一枚ずつに、はっきりやらねえとなぁ?)    バラバラに引き裂いてやるつもりだった。  するどい爪をギラつかせ、腕を思いっきり振り上げて飛びかかったとたん。自分の名前を叫ぶ声とともに、なにか温かいものがぶつかってきたのを感じた。  シェルだった。  血まみれの人魚を背中にかばって、しがみついたシェルが叫んでいた。   「ネロ! やめて! それ以上はだめ!」 「どけ、シェル!」 「ネロ!!」    ネロをぎゅっと抱きしめて。  真っ赤に濁った水のむこうで大きく見開かれた青い目がゆれて、きらきらと何かがこぼれ落ちるのが見えた。  ハッとした。  頭にのぼっていた血がたちまち波のように引いていった。  あ……  やべぇ。  やっちまった。 (ここは、谷底じゃねえってのに)  振りあげた腕をゆっくりおろして、ネロはその手で口元にこびりついていた鮮血をぬぐった。  血まみれの腹を押さえて岩のうえに転がっている獲物を、冷たくにらみつけて。とどめは刺さずに、シェルの手をつかんで、尾びれを蹴った。  ネロに引きずられていくシェルを見あげて、赤い人魚がなにかを呻いたようだった。  何を言ったのか、ネロには聞こえなかった。興味もなかった。   「行くぞ」 「……待って」 「シェル」 「少しだけ。おねがい」    ネロの手をほどいて、シェルがそっと赤い人魚のそばに泳ぎ寄っていく。  その枕元にかがみこんで、弱々しい呻き声に耳を傾けて、何度かうなずいて、青ざめた額をやさしくなでて。  けれどシェルは、赤い人魚がのばした手には、小さく首をふって尾びれをゆらした。さよならの意味だった。 「行くぞ」  ネロはもう一度、シェルの手を掴んだ。  まわりに集まっていた人魚たちがスッとわかれて、泳いでいくふたりに道をあけた。                

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