15 / 68

水族館デート⑧

「ねぇ、碧音さん。俺ともう一度イルカショー見に行かない?」 「……翠……?」  突然腕を掴まれる感覚に、一瞬で現実に引き戻された。ぼんやりした頭で顔を上げると、そこには翠が立っていた。  俺はその存在に救われた気がする。 「ごめん、伊織先輩に千颯。俺、少しだけ碧音さんと二人きりで遊んでみたいんだ。これから別行動してもいいかな?」 「あ、うん。別に俺は構わないよ」  翠の言葉を聞いた瞬間、伊織の表情がぱぁっと明るくなった。  そんなに千颯と二人きりになれることが嬉しいんだ……。嬉しそうな伊織を見た俺の心は、再びズキンズキンと痛みだした。 「行こう、碧音さん」 「でも……」 「いいから行こう」 「……う、うん……」  俺の腕を掴んだまま歩き出す翠の手を振り払おうとしたけれど、あまりの力強さにそれは叶わなかった。  しかも俺は気付いてしまった。  伊織の前では屈託のない笑顔を浮かべていた翠の目元が、うっすらと赤く染まっていることに。 「あの、翠!」 「ごめんな、千颯。俺、碧音さんと遊んでくるから、伊織さんを頼む」  歩き出した俺と翠を引き留めるかのように声をかけてきた千颯を振り返ることもなく、翠は言葉を紡ぐ。でも、その声だって小さく震えていた。 「行きましょう、碧音さん」 「うん」  俺は翠に連れられて歩き出す。  予想もしていなかった事態に、目頭が熱くなって目の前が涙で滲んだ。  心が粉々に砕け散ってしまいそうなほど痛んで、足もふらふらして力が入らない。もしここに翠がいなかったらと思うだけで、血の気が引く思いがした。  気が付けば、水族館の出口が見えてくる。「ねぇ、翠。どこに向かってるの? イルカショーはこっちじゃないよ」……そう問いかけようとしたけれど、あまりに早足で翠が歩くものだから、ついて行くのに必死になった。  黙って歩く翠の背中を無我夢中で追いかける。身長差があるのだから、歩幅とか考えてほしい――そう文句の一つも言ってやりたくなってきた頃。 「わ!」  突然翠が立ち止まったから、俺は止まることもできずに翠の背中に衝突してしまう。今度は急に止まるのかよ? その行動が理解できずに、俺は打ちつけた鼻を擦りながら翠の様子を窺った。 「碧音さん。俺たち残り物同士じゃないですか?」 「え? 残り、物……」 「そう。残り物。碧音さん、さっき伊織さんに何か言われたんじゃないですか? すごく真っ青な顔をしてましたよ」 「み、見てたの?」 「はい」  翠のその言葉に恥ずかしくなってしまう。そんなところ、誰にも見られたくなかったから。でも、そんな翠だってつい先程と様子が違って見えたから、俺は恐る恐る声をかけた。 「もしかして、翠も千颯に何か言われたの?」 「まぁ、そんなとこです。きっと、碧音さんと同じようなことを言われたんじゃないでしょうか」 「同じようなことって?」 「千颯に、伊織先輩が好きだから協力してほしいって頼まれました」 「そんな……」  翠の言葉が(やいば)のように鼓膜に突き刺さる。でも、それは事実で、俺はたった今失恋したのだ。それにきっと翠も……。「突然のことで、びっくりしました」なんて笑う翠の姿が、痛々しく見えた。 「なんか……涙出ちゃいますね」  翠が目にたくさんの涙を浮かべながら、それでも笑顔を作る。あぁ、翠もこの状況に傷ついているんだ……。そう感じた俺は、更に心がズキンズキンと痛みだした。  俺たちは、この後どうしたらいいんだろう……。  不安が津波のように押し寄せてくる。残り物の俺たちは、一体どうしたらいいんだろう。

ともだちにシェアしよう!