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水族館デート⑦

「あのさ、碧音。俺、千颯と二人きりになりたいんだ。少しだけ別行動してもらえるかな?」  晴天の霹靂、藪から棒とは、まさにこういうことを言うのだろう。  五月を迎えたばかりの日差しは強くて、額から汗が流れ落ちた。 「え?」 「ごめんな、碧音。こんなこと頼れるの、お前しかいなくて。俺、ずっと千颯のことが気になってたんだ」  目の前にいる俺の想い人は、頬を赤く染めながら照れくさそうに笑っている。  咄嗟に言われたことが上手く咀嚼できなくて、俺の周りから一瞬で音が消えた。自分の視界の隅で、あんなに楽しそうに笑っている家族連れの声が聞こえないなんて――そんなことが本当に起こるんだ、って冷静に考えてしまう自分もいる。 「なぁ、お願いできないかな?」  その言葉が最後の一押しだった。俺の胸は張り裂けそうなほど痛いくせに、笑わなければならないんだって咄嗟に思う。伊織の前から逃げ出したい衝動をぐっと堪えた。  そして俺は、全てを察したのだ。  あぁ、これはダブルデートなんかじゃなかったんだ。  突然クラクラと眩暈に襲われて、目の前が真っ暗になる。倒れてしまいそうになるのを、目を瞑って必死に耐えた。  こんなのないよ……。  このダブルデートの真実を、俺は知ってしまった。  予想外だったのは、俺がずっと想いを寄せていた伊織は、俺じゃなくて千颯のことが好きだったということ。もしかしたら自分に気があるかも、なんて勘違いしていたことが恥ずかしくなった。  俺にできることはたったひとつ。「わかった。じゃあ二人で楽しんでね」と笑いながらこの場を立ち去ること。「あ、そうだ。俺、明日用事があるから先に帰ってるね」なんて言葉を付け加えることができたら百点満点だ。  そのとき俺は、今日自分に与えられた役割を知る。  そうか。俺は伊織と千颯が自然と二人きりになるための口実だったんだ――。こんなこと、もっと早く気が付けばよかった。  「わかった」とその場を去ることも、「そんなの嫌だ」と拒否することもできない俺は、ただ茫然とその場に立ち尽くす。 『これから本日最後のイルカショーが始まります。是非会場にお集まりください!』  そのとき、館内放送がイルカショーの開催を告げる。そのアナウンスさえも遥か遠くに聞こえて、意識が少しずつ遠退いていった。  つい数時間前にイルカショーを見た時はあんなに楽しかったのに。自分が惨めで情けなくて、鼻の奥がツンとなった。

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