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第34話 この手を離さない(後日談)

 サイラスが本格的に薬師として活動を始めると、様々な薬の作成依頼が舞い込むようになった。  騎士団に納品している傷薬や毒消しはもちろんの事、一番需要があるのはやはりオメガの発情抑制材で、最近はアルファの発情抑制材も作っている。  その為材料の買い出しで周辺の町へ出かける事も多く、ヴァルトはやきもきしていた。 「師匠、遠出する時は俺がいる時にして下さいね。もうあなた一人の体じゃないんですから。ちょっとした買い出しなら、俺が行きますし」 「たまには外も歩かないと、体が鈍るだろう?」  もう無茶はしないとヴァルトと約束したサイラスだが、相変わらず目を離すと一人で出かけてしまうので、ヴァルトの心配は尽きない。 「あ、そうだ。月光花の在庫が少なくなってきたんだった」 「まさか! 一人で取りに行くつもりじゃないですよね?」  思わずじっとりとした目で見つめると、さすがのサイラスも苦笑いを浮かべた。 「え~と、嘆きの森まで付き合ってくれるか?」  恐る恐るといった感じで問われて、ヴァルトは大仰な溜息をつく。 「当然ですよ。師匠を一人で行かせるわけにはいきませんからね」 「ありがとう。それじゃ精霊魚を呼び出すから」  サイラスは左右の掌に小さな魔法陣を浮かび上がらせると、風の精霊と水の精霊を呼び出した。 「あまねく世界を巡りし風よ。月の光を浴びて、夜にのみ咲く花を見つけ出せ。大地の脈動を知る水よ。その記憶をたどり、秘められし花の在り処を探れ。異なる力、一つとなりて、我が元へ真実を届けよ」  サイラスの詠唱により二つの魔法陣は一つに重なると、水でできた魚達が現れる。 「月光花を探して欲しい」  サイラスの求めに応じて、風に乗った魚達が泳ぎだす。 「それじゃ行こうか」  サイラスに促されて、ヴァルトも精霊魚の後を追った。  月明かりに照らされた嘆きの森は鬱蒼と茂り、来るものを拒むような張り詰めた空気を漂わせている。  ヴァルトはサイラスとしっかり手を繋ぐと、キラキラと輝く精霊魚の後を追って森の中へ入って行く。 「大げさだな。子供じゃないんだから、迷ったりしないぞ?」 「駄目ですよ。師匠は捕まえておかないと、危ないから」  サイラスは困ったように微笑んでいたが、本当に目が離せない人なのだ。  ヴァルトの心配は尽きそうにない。  これも惚れた弱みなのだ。  ヴァルトの最愛の番で主は、簡単には守らせてくれないのだから。  森の中を進んで行くと、以前サイラスが落下した崖が見えてくる。  精霊魚は崖の周辺をぐるぐると回遊していて、そこには月明かりに照らされた白く可憐な花が咲いていた。 「やっぱりあんな所に咲いてる」  崖のはるか頂上部分に、月光花は自生していた。 「俺が取ってきますから、師匠は絶対にここから動かないでくださいね!」 「大人しく待ってるから、よろしく頼む」  サイラスを地上に残し、ヴァルトは険しい崖を登って行く。  運動神経の良いヴァルトは、サイラスが登った時よりも早くあっという間に崖の頂上まで登りついた。  ほっとしたヴァルトが月光花を摘み始めた頃、ふいに何者かの気配を感じてヴァルトの狼の耳がピンッと立ち上がった。  全身の毛を逆立てるようにして、ヴァルトは振り返る。  そこにいたのは、ヴァルトと同じ大きな狼の耳を持った、銀髪の子供だった。 「何のようだ?」  思わず底冷えのするような冷たい声が出てしまったのは、仕方がないだろう。  ヴァルトにとって天敵というべきロキが、悠然と微笑んでいたのだから。 「相変わらず兄上はトゲトゲしいな」  呆れたような口調のロキを、ヴァルトは睨め付けた。 「さっさと消えろ! お前の顔なんて見たくない!」  吐き捨てるように言い放ったヴァルトに、ロキは小首を傾げている。 「……まさか本当にオメガの犬になっちゃうなんて、僕、思わなかったんだよね」 「何が言いたい? お前の望み通り、俺はフェンリルの力を捨てた。もう目的は果たしたんだろう? ツンドラに帰れ!」 「そう、兄上がフェンリルの力を捨ててくれたからさ。僕は長になれるし。兄上を消す必要が無くなったんだ」 「それは良かったな。俺は用済みだろう? 二度と現れるな!」  ムッとして顔をしかめるヴァルトを見て、ロキが面白そうに笑う。 「興味深いな。兄上は。神と同等の力を簡単に捨てちゃって、下等な人間にかしずいちゃってさ~」 「お前には一生分からないよ。俺にとってフェンリルの力なんて、師匠が与えてくれる幸せに比べたら、何の価値もない。俺には師匠の方が大事だから」 「そこだよ。そこ! 僕には理解不能なのに、兄上は凄く楽しそうなんだもん。何でそんなに満足しちゃってるの? 僕、知りたいんだ」  本当に理解できないと言いたげに首を傾げるロキに、ヴァルトは訝しげな目を向けた。 「そういうわけで、しばらく観察しようと思って! 人間の生態とか、感情って言うものをさ! まぁ、兄上の邪魔はしないからね! ツンドラに帰る前に、いろいろ見て回るよ」 「勝手にしろ!」  眉間にしわを寄せて心底嫌そうな顔をしたヴァルトに、ロキはぺろっと舌を出すと、現れた時と同じように消えてしまった。  月光花をあらかた採取して、ヴァルトが崖を降りると、心配そうな顔をしたサイラスが待っていた。 「誰と話していたんだ?」  ヴァルトとロキの話し声は、崖の下にいたサイラスにも聞こえていたらしい。 「森の精霊が拐かしに来たのか?」  表情を強張らせたサイラスを、いつまでも心配させるわけにはいかない。 「何でもありませんよ。帰りましょうか」  ヴァルトはサイラスの手をしっかりと繋ぐと歩き出す。 「師匠の事は俺が守りますからね。安心して下さい」 「頼りにしてるよ」  ふふっとサイラスが穏やかな笑みを浮かべる。  キラキラ輝く精霊魚に導かれて、ヴァルトはサイラスの手を握りしめながら、家路へと向かった。  この手を絶対に離さないと誓いながら。 【完】      

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