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第33話 本当の家族
王都から辺境の地である、ガーディアンウォール辺境伯領の城下町に戻って来たサイラスは、ヴァルトが警備隊の寮を出てサイラスの自宅に転がり込んで来たのをきっかけに、広い部屋を新たに借りる事にした。
元々サイラスが自宅として借りていた建物の三階部分を、新居として借りたのだ。
二階の部屋はそのまま、オメガの抑制材等の薬を調合する作業場として借りている。
「わざわざ引っ越さなくても……俺は師匠と一緒に暮らせるなら、どこでも良かったのに」
「ヴァルト、お前な……耐えられるのか? 薬草の臭いに」
「うっ……それは……」
「無理だろう? 毎日だぞ? 毎日」
二階から三階の部屋に荷物の運び出しをしながら、ヴァルトは涙目になっていた。
鼻が利きすぎるヴァルトは、サイラスの調剤作業で部屋に染み込んだ臭いまで、敏感に感じ取ってしまうのだ。
さすがにサイラスもヴァルトが可哀想になってしまって、三階に引っ越す事にした。
引っ越しが終わって間もなく、サイラスはガーディアンウォール辺境騎士団を統括している、騎士団長の元へと足を運んだ。
騎士団長はトリスタンの古くからの友人だった。
実家を飛び出して来たサイラスを、トリスタンが預けたのが、信頼していたこの騎士団長だったのだ。
「トリスタンは……残念だったな……」
サイラスから改めて、トリスタンの事故の詳細と、王都の近衛騎士団の駐屯所跡地の惨状を聞き、騎士団長は表情を悲しげに曇らせた。
「近い内に私も王都に出向こうと思う。あいつの墓参りをしてくるよ」
「ありがとうございます。兄も喜びます」
穏やかな笑みを浮かべたサイラスに、騎士団長はフッと表情を和らげた。
「私の元へ来たのは、他にも用事があるのだろう?」
サイラスの様子から察したのか、騎士団長の方から話を向けてくれた。
「……辺境警備隊の隊長職を辞める事にしました」
「辞める? そうか…………」
騎士団長は何故なのかとは聞かなかった。薄々感じていたのかもしれない。
トリスタンからサイラスがオメガである事も含めて、頼まれていたからだ。
「騎士団も辞めるつもりなのか?」
「いえ……騎士団には残ります。非常勤として、後方支援に回る予定です」
「そうか、それなら安心したよ。……サイラス、騎士の仕事は前線に出る事ばかりじゃない。きっとトリスタンも……君の決断を喜んでいるよ」
騎士団長の元を訪ねた帰り道、夕暮れに染まる城下町を眺めながら、サイラスは自宅へ向かって歩いて行く。
この辺境の町は王都とは異なり、今も人間に混じって獣人も共に暮らしている。
この見慣れた光景が、どんなに平和で奇跡のような事なのか、サイラスは王都に戻るまで気付かなかった。
「師匠!」
のんびり歩いているサイラスを、背後から呼ぶヴァルトの声が聞こえる。
サイラスが振り返るよりも早く、ヴァルトはサイラスを抱き寄せた。
「警備隊辞めたって本当ですか⁉ 何故です? 俺、何も聞いてませんよ! 相談くらいして下さいよ‼」
狼の耳をピンと逆立てて、怒っているのか泣きたいのか、どちらなのかごちゃ混ぜになったヴァルトが、サイラスにギュウギュウ抱きついてくる。
「言えなくて、ごめん。前々から決めてたんだ……騎士を続けるには、限界を感じていたし……」
寂しそうに呟くサイラスを見て、ヴァルトがようやくサイラスを解放した。
「あ……でも、騎士団には残るから。非常勤として、後方支援に回してもらった。警備隊が人手不足の時は、いつでも呼んでくれ」
「呼んでくれって……警備隊が人手不足の時って、魔物が出た時ですよ! 絶対に呼びませんよ! そんな危ない時に‼」
「お前ならそう言うと思ったよ」
ふふっと微笑むサイラスを見て、ヴァルトがへにょりと狼の耳を倒す。
「本格的に薬師で生計を立てようと思って……俺が町に残ってる方が、お前も安心できるだろ?」
「師匠……」
「ヴァルトは騎士を続けて欲しい。お前には騎士でいて欲しいんだ」
夕日を受けて輝く黒髪を見つめながら、サイラスは眩しそうに目を細めた。
「それに……家族が増えたら……無茶は出来ないだろう?」
照れくさそうに笑うサイラスを見て、目をまん丸に見開いたヴァルトが固まっている。
「誰かさんが頑張りすぎたせいで、こんなに早く授かるなんて……俺も、想定してなかったんだ」
「……それって?」
ヴァルトは再びサイラスを抱き寄せると、サイラスの首筋に顔を埋めた。
普段とは違うサイラスの匂いを感じ取ったのだろう。
驚きのあまり、フサフサの耳と尻尾が逆立っている。
「……師匠と、俺の?……」
「うん」
ポロリと、ヴァルトのルビーの瞳から、涙が零れた。
家族に恵まれなかったヴァルトにとって、サイラスとの間にできた子は、初めて手に入れる本当の家族なのだ。
サイラスはヴァルトの頬を濡らす涙をそっと拭うと、大きな狼の耳を優しく撫でてやった。
【完】
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