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カルペ・ディエム
収容所の施設長だか看守長だかが代わったらしい。その噂はC区の収容所にまで伝わってきた。誰が上に立とうが、どうせ管理番号で呼ばれるだろうし、いままでのようにプレイ後にマワされるだろうし、やることも変わらない。そう思っていたけれど、上が交代した環境の変化は、収容所にすぐに反映された。
まず、牢の中で食事を摂らなくてもよくなった。これまで通り、そのほうがいいならそうしろと言われ、ユーリは面倒だからそうしている。ユーリがそうするならと、サシャもまた斜向かいの木箱に腰を下ろして、銀製のトレイにたっぷりと注がれたリゾットを少しずつ口に運ぶ。
この収容所に入れられているのは、ミクシア国の少数民族であるイル・セーラたちだ。褐色肌にベビーフェイスなのが特徴的な種族で、見た目はオレンジゴールドからブロンドの髪にヘーゼルアイがスタンダード。たまに赤みがかった茶髪に赤い目をした人もいる。ただ、ユーリとサシャ、そして数名のフォルス村という同郷出身者は、一見トゥヘッドに見えなくもない白銀の髪に、ラピスラズリのように深みのある穏やかな海のような青とアイスブルーの独特なダイクロイックアイを持つ。珍しいがゆえに目立ち、目を付けられることも少なくないため、ユーリと兄であるサシャは二人で行動していることが多い。
まだ日が落ちていない。いままでなら日が暮れるまで強制労働をさせられていた仲間たちが戻ってくる声がした。これも、いままでとは違っている。イル・セーラの共通言語(出身地によって言葉に若干の違いがあるため、同郷以外の同族と話すときには基本的にこの共通言語を使う)での私語はあまりいい顔をされなかったし、強制労働組が戻ってくるのはだいたい日が暮れてあたりが見えなくなるころだった。
仲間たちの声を聞きながら、木製のスプーンを手にする。金属製だと武器になるため、収容所ではスプーンもフォークも木製のものを使うのがスタンダードだ。少し掬って、リゾットを口に運ぶ。「あっつ!」と声を上げ、口元を押さえる。唇がジンジンする。ささやかな湯気が上がっているくらいだったが、昨日妙な薬を盛られたせいで、どうやらまだ敏感になっているらしい。
「大丈夫か?」
サシャが問いかけてくる。ユーリは手の下で上唇をぺろりと舐めて、息を吐いた。
「猫舌だから熱くて食べられない」
ずいとサシャにトレイを突きつける。「ふうふうして冷まして」と冗談めかして言ったら、「こどもか」と笑われた。
「ピコ、呼ばれているぞ」
自分たちが宛がわれた牢の中に顔を覗かせてきたのは、子どものころからの馴染みの看守だった。ダークブロンドの髪にジャスパーグリーンの瞳を持つ典型的なノルマ族の風貌だが、この人から暴力を振るわれたことは一度もない。身長が低いユーリからしてみれば大男だけれど、この人もまたノルマというミクシア国に住む種族のなかでは小さいほうらしい。ピコというのは、おチビちゃんをフランクにした呼び方だ。
「それ、いい加減やめてくんない? おれ、もうすぐ16になるんだけど」
赤ちゃんかよと文句を言う。性奴隷ということもあり、年齢よりも色を孕んだ表情や体つきをしているが、実年齢よりも幼く見える。だからそう揶揄するように呼ばれているのを知っていつつ、軽口を叩いた。
「どこに行けばいいの?」と尋ねると、看守は「医務室へ」と答える。医務室と口の中で呟いたら、サシャがむせた。
「おい、大丈夫か?」
最近のサシャは少し風邪気味だからか、看守が牢の中に入ってこようとしたが、サシャはぐっとむせるのを堪えて、片手でそれを制した。
「大丈夫、むせただけ」
ありがとうと、流暢なノルマ語で答えるサシャを見て、看守がやや心配そうに溜息を吐いた。
「おまえも後で診てもらえ、なにかがあったら、俺たちがお咎めを食らう」
言って、ユーリにすぐ赴くように告げ、出て行った。足音が遠のいていく。コの字型の作りになっている牢の中ほどに自分たちの牢があるが、看守はみっつ先の牢の向こうの角を曲がっていった。足音が聞こえなくなったのを見はからって、サシャに「大丈夫?」と尋ねた。サシャは頷きながら、げほげほと咳き込んで、胸をどんどんと叩く。
「バレたんじゃないのか、昨日の」
「昨日?」
きょとんとする。昨日、なにかしただろうか? やってきていた軍部のお偉いさんを誑かしたわけでもないし、強制労働組から薬草のお土産をもらっただけだ。
「……あっ」
アレかと、ぼそりと呟く。
昨日の夜間は国医がいなかった。ユーリたちはその時を見計らって、誰かが腹痛を起こしたとか、調子が悪いなどと騒いで、薬研を貸してもらってエドに薬を煎じてもらう。昨日騒ぐ担当だったのは、ユーリだ。
「やべ、お仕置きされるやつかな?」
「昨日のおっさんにナカ出しされて腹が痛いって言っておけよ」
「えー……大体全部洗われてポイだからなァ。どうしよ。アレ飲んどく?」
アレと言いながら、サシャが座っている木箱に視線を送る。その中にはエドが調合した数々の秘密兵器が入っている。サシャは少しの間考えていたけれど、小さく首を横に振った。
「なにもない可能性もある。とりあえず、呼び出されたのなら行ってきたほうがいい」
「はぁい。帰ってこなかったら、明日の朝ごはん取っといてね」
「わかったわかった、ヤバいと思ったら抵抗するなよ」
わかってると告げ、立ち上がる。自分が座っていた木箱にリゾットが入ったトレイを置いて、ふうと息を吐く。せっかく温かいものが食べられるようになったと思ったら、すぐにこれだ。なにを言われるかしらないけど、面倒だなと思いつつ、ユーリは医務室へと足を運んだ。
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