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第56話
ノアリスの胸の奥に、驚きと同時に小さな疑問が生まれる。
なぜ、カイゼル様は、私にだけ──?
何か特別なことをしたかと聞かれると、何もしていない。
それどころな迷惑ばかりかけて、嫌がられることも多いのに、それでも優しくしてくださるのは、なぜだろう――やっぱり、不思議だった。
「カイゼル様は、どうして……」
呟いた言葉に、イリエントが仄かに笑う。
その笑みに、ノアリスは思わず視線を逸らす。
答えのない問いが、心の奥で静かに、しかし確かに膨らんでいった。
「どうにか、お世継ぎを残していただかないと、この国は陛下の代で閉じてしまいます」
「……」
「ノアリス王子。もし本当に陛下に恩返しをしたいと思うのなら、どうか妾姫様のもとに通い、お子を成すようお伝えいただけませんか?」
「えっ……」
ツキン、と心に痛みが走る。
妾姫のもとへ、カイゼル様が歩む姿が頭に浮かび、遠くへ行ってしまいそうで、思わず首を振った。
「ノアリス王子?」
「……すみません。カイゼル様が嫌だと思うことを、私が勧めることはできません……」
「……国のためでも? それが陛下のためになるとしても?」
「っ……カイゼル様は、私を救ってくださいました。だから、そんな御方が嫌がることを、したくありません……」
それでも、胸の奥に引っかかるものがあった。
本当に心からそう思っているのか――恩人の嫌がることをしたくないのは確かだ。でも同時に、自分自身も嫌だと、心が静かに叫んでいる。
「……そうですか」
「……すみません。折角、相談に乗っていただいたのに」
「いえ……」
イリエントは静かに立ち上がり、軽く一礼した。
「私の方こそ、お力になれずすみません」
「ぁ……」
「ですが、どうかお忘れなきよう。カイゼル様は一国の王であるということを」
「……はい」
一国の王として、その責任を果たさなければならない。
イリエントは強い目でそう言うと、柔らかく微笑み、部屋を後にした。
残された部屋には、わずかな緊張感だけが漂う。
ノアリスは小さく息を吐き、膝の上で両手を揉んだ。
果たして、自分に何ができるのだろう。
彼が好きなように生きながらも、国を揺るがさぬよう手助けできる方法が、あるのだろうか。
そもそも、自分自身が彼の足枷になっているのではないのか。
迷惑ばかりをかけてしまっているから、やむなしに気にかけてくださっているのでは。
「……カイゼル様は、お強い……」
暗い過去も、寂しい思いも、酷く辛い悲しみも、全てを隠して堂々と立つ。
民の信頼も、自らの手で掴み取った、王たる人。
「……私は、きっと、邪魔になる」
ここにいるだけで。
でも、ノアリスには行く宛てもない。
勝手に出ていく権利もない。
そもそも、この暖かく優しい場所から飛び出す勇気すら、持ち合わせていない。
「……情けないな……」
視界が少しずつ滲む。
頬を伝ったぬるい涙が、ポタリと太腿に落ちていった。
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