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第55話
「元より第一王子であられた陛下は、しかしご存知の通り、幼い頃より自由な方でした。民との距離も近く、誰からも愛されていらっしゃいました」
イリエントは穏やかに微笑みながら、カイゼルの過去を語る。ノアリスは静かに、その言葉に耳を傾けた。
「第一王子だからといって、城に籠っているわけにはいかない。民の苦しみも幸せも知ってこそ、王になれると仰って、十四の頃に自ら戦場に赴き、最前線で戦ってこられたのです」
「十、四から……」
「ええ。あの御方は類まれなる剣技の才能をお持ちでして、初陣では酷い怪我をされましたが、その後は大きな怪我もあまりせず、功績を挙げては帰還されることが多かったのです」
ノアリスは目を伏せ、胸の奥で小さく息をついた。幼い頃から戦いに身を投じてきたその姿を思い描くと、今自分が受けている温かさの重みが、胸にじんわりと伝わってくる。
「そうして戦いに身を投じていましたが、陛下が二十歳の時、先王が倒れられました。陛下は戦場でその報せを聞き、すぐに帰還されましたが……先王は既にお亡くなりに。次の王はカイゼルだと遺言を残しており、陛下は悲しむ間もなく一国の王となられたのです」
先王がどのような人物だったかは知らない。しかし、カイゼルが自由に過ごすことを認めていたのだから、きっとお優しい方だったのだろう。ノアリスはそう思いながら、一度小さく頷いた。
「王となられてからも、陛下は戦場を駆けました。あの頃は──少し、自暴自棄にも見えましたね。私も何度もお話に伺いましたが、聞く耳を持たずで……。しかし、そんな陛下に憧れてしまったのが、陛下の弟君達です」
「……」
「戦場を駆け巡り、功績を挙げ、民との距離も近く信頼も厚い兄を見て、自分たちもそうなりたいと……二つ年の離れた弟君と、四つ違いの弟君は戦場に出ていかれました」
ノアリスは視線を床に落とす。
心が少し、冷たくなった。
「そして……弟君達は戦場で亡くなられてしまいました。陛下はご自身を酷く責めて、暫くは何も手につかないほど。しかしそれは母君である王妃様も同じで……。王妃様が自死なさった後、陛下は城に籠り、自責の念に押し潰されておりました。しかしある時、何事も無かったかのように以前と変わらぬ姿で皆の前に立ったのです」
「え、ど、どうして……?」
イリエントが悲しげに微笑む。
それは宰相ではなく、友としての表情だった。
「自分が倒れてしまっては、国が倒れる、と。だから何があっても、倒れるわけにはいかないと仰いました」
「っ……」
悲しくて、どれだけ自分を憎んで責めて蹲っても、時間は止まらない。
そうこうしている間に、国が傾いてしまうかもしれない。
それでは王である意味が無い。
そうして無理にでも踏ん張って、立ち上がったのだ。
ノアリスの目に、涙が浮かんだ。
自分が受けている優しさは、ただの親切や礼儀ではなく、深い寂しさや孤独を抱えた人の温もりから来ているのではないか。
彼が差し出してくれた手は、悲しみを知っているからこそ、温かかったのではないか。
──けれど。
「それならば、カイゼル様はどうして、お世継ぎを作られないのでしょうか。お国のことを考えるのであれば、まずは──」
「ええ。ですから、困っているのですよ」
ふっと苦笑を零したイリエントに、ノアリスは肩を竦める。
「妾妃様には目もくれません。私の知る限り、陛下が心を配られているのは、ノアリス様、貴方様だけです」
「っ!」
ノアリスは目を見張り、固まった。
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