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第54話

 食事を終え、再び政務へ戻って行ったカイゼルの後ろ姿を見送った後、ノアリスは静かに部屋へ戻り、ソファーに腰を下ろした。  思考は自然と、どうすればカイゼルに恩を返せるか――ということに向かう。  自分は確かに『妻』としてルイゼン国に迎え入れられた。しかし、その役割を全く果たせていないことを痛感する。  そもそも、カイゼルの妻であるということは王妃という立場を意味するのに、何一つ儀式を行ったわけではない。婚姻すら交わしていないのだから、形ですらその立場を示すこともできない。  宙に浮いたような自分の存在。けれど誰も否定せず、許してくれるのは、すべてカイゼルの手によるものだった。  温かさと優しさに守られているのに、それでも自分には何もできない――そんなもどかしさが、胸に静かに重くのしかかる。  ノアリスはゆっくりと目を閉じ、思わず小さく息を吐いた。  どうすれば、この大きな恩に報いることができるのだろうか、と。  なんの力もない自分が、何をできるのか。  考えても考えても、答えは見つからない。  そうして悩んでいると、不意に扉をノックされた。  驚いて立ち上がり返事をすれば、開いた扉からイリエントがやって来て、ホッと息を吐く。 「ノアリス王子、お加減はいかがですか?」 「は、はい。元気、です。大丈夫」 「そうですか。その割には暗い表情をなさっておりますが」 「ぁ……」  ノアリスはモジモジと両手を揉んだ。  彼に相談するべきだろうか。  だってまさか、カイゼル本人に相談はできない。  他に話ができる人といえば、彼しかいない。 「ぁ、あの、イリエント、様」 「はい。イリエントで結構ですよ」 「ぅ……い、イリエント……少し、相談が」 「相談ですか? 私で良いのでしょうか。陛下をお呼びしますか?」 「あ、い、いいえ、貴方が、いいです。お時間が、あれば、聞いていただけませんか……?」  イリエントはパチパチと数回瞬きした。  王ではなく、私に?  王には相談できない内容なのだろうか。  疑問は残るが、断る理由もないので頷く。 「はい。構いませんよ。時間はあります。お力になれるかは分かりませんが……」 「ぁ、ありがとうございます……!」  ノアリスは少し身を乗り出し、手を組んで目を伏せたまま話し始める。  カイゼル様に恩返しをしたい――ただその思いだけはある。だが、どうすればいいのか、具体的な方法が浮かばない。  イリエントは静かにノアリスの顔を見据え、低く穏やかな声で言った。 「……なるほど。陛下に恩返しをしたいと、そういうことですね」 「はい……でも、どうすれば……」  その問いに、イリエントはしばらく沈黙したあと、ぽつりと口を開く。 「それは、陛下本人に恩を返したいのですよね。直接的ではないといけませんか?」 「……え、っと……」 「実の所、この国には今お世継ぎがおりません」 「っ!」  世継ぎ、その言葉を聞いてノアリスの体にキュッと力が入る。  ふと頭をよぎるのは、自分が過去に味わった、体を押さえつけられ無理に卵を産まされた日々のこと。  まさか、とは思うが、卵が埋めるのだから、世継ぎを……だなんてことを言われてしまったら、どうしよう。  そんな不安が突如襲ってくる。 「妾姫様はいらっしゃるんですがね、一切手出しをしないのですよ。どのお方も美しいんですけどね」 「ぁ……え、っと……なぜ、でしょうか」 「何故でしょうね。まあきっと、興味が無いのでしょうね」  イリエントは内心『貴方が居るからですよ』と思っていたが、口に出すことはしない。   「あの……カイゼル様には、ご兄弟は……?」 「ああ……二人の弟君様がいらっしゃいました。……しかし、お二方とも、先の戦争でお亡くなりに」 「え……」 「先王は、陛下が二十歳の時に病で亡くなられました。王妃様は、弟君が戦でお亡くなりになった後、気を病んでしまい、自死を」 「!」  初めて知ったカイゼルのこと。  両親も、兄弟も失った、孤独な王様——その現実を知り、ノアリスは目を見開いた。

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