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第53話
カイゼルに案内されたのは、ノアリスにとって初めて足を踏み入れる部屋だった。
広々とした空間の中央には、長く大きなテーブルが据えられている。カイゼルはためらいなく席に腰を下ろし、隣を手で示した。
「ここに座ってくれ」
「は、はい……」
促されるまま椅子に腰を下ろしたノアリスは、目の前に並んだ料理にそっと視線を落とす。
「食べられるだけで構わない」
柔らかい声音とともに、カイゼルの瞳が優しく見守っているのを感じて、ノアリスは緊張を解くようにパンへ手を伸ばした。小さくちぎって口に含む。
「……美味いか?」
「ん……はい。小麦の香りがして、とても美味しいです」
「! そうか。……それなら、このバターをつけてみるのはどうだ」
「バター……懐かしいですね……」
カイゼルがバターを差し出す。ノアリスは少し付けて口に入れ、広がるまろやかさにふっと笑みを浮かべた。
「美味しいです。本当に」
「……よかった」
その笑顔に、カイゼルの胸の力が抜ける。少しずつではあるが、ノアリスが確かに回復していることが嬉しかった。彼自身も料理を口に運ぶと、いつもよりも不思議と美味に感じられる。
やがて食事を終え、ノアリスが手を拭おうとした時、カイゼルが立ち上がり、自ら布を差し出してきた。
「ありがとうございます……」
「気にしないでくれ。……前よりもしっかり食べてくれて、本当に嬉しい」
その声音は、王のものではなく、ただの男としての素直な響き。
ノアリスは胸の奥がじんわりと温まるのを覚え、無意識に小さく呟いた。
「わたしは、幸せ者、ですね」
「ん?」
「こんなにも……貴方様に良くしてもらえて、まるで考えられなかった未来です。痛みも、苦しいことも、何も無い」
ただ一日を穏やかに過ごして、眠る。
こんな日が来るとは、あの塔にいた頃は想像もできなかった。
「ありがとうございます、カイゼル様」
「っ……いや、それは、これまでノアリスが頑張ってきたからだ。俺はほんの少し、手を差し伸べただけだ。……頑張ってきた自分を、褒めてやってほしい」
大きな手が、そっと頭に触れる。
ごつごつとした力強い手。戦場を知る男の手。
けれど触れ方は驚くほどに優しい。
自分を傷つけることなく、むしろ守ろうとしてくれる。
その温もりに、ノアリスの胸の奥に芽生えるのは感謝だけではない。
──なにか、必ず恩返しがしたい。
そう強く思わずにはいられなかった。
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