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第64話
ノアリスはギュッと手を握った。
こんなにも国を思っている彼。
イリエントにはああは言ったが、胸の奥からどうしても抑えられない疑問がこみ上げてくる。
「カイゼル様、は……」
声がかすれて、言葉が途切れる。唇を噛みしめ、それでも勇気を振り絞って続けた。
「……お世継ぎを、お作りにはならないのですか」
国を思っているからこそ、世継ぎは大切であるはずだ。
この問いは、いつか巡り巡って、彼自身に恩を返すことになるかもしれない――そう感じながらも、ノアリスは息を詰めた。
重い沈黙が落ちる。短い間がこれほど長く感じられるのは初めてだった。ノアリスは思わず背筋を強ばらせる。
「──イリエントの入知恵か」
低く落ちた声が響き、胸の奥がビクリと震えた。
先ほどまでの柔らかい温もりが嘘のように、部屋の空気がひやりと冷え込む。
「っ、ち、違い、ます。ただ……気になったのです。そのようにお国を思われているのなら、どうして、と……」
「……俺に、王としての責務を説くのか」
低く鋭い声に、ノアリスは肩をすくめた。決して怒鳴ったわけではない。だがその眼差しには、王としての威圧が宿っていた。
「ち、ちがい、ます……! 私は、ただ……」
「……」
必死に言葉を探すノアリスを見て、カイゼルは表情をわずかに和らげる。
「すまない。そなたを責めるつもりはなかった。ただ……そうだな。確かに、それは大切なことだ。しかし、俺には想い人がいる」
「おもい、びと……」
小さく息を吐き、ノアリスの目は彼の瞳を見つめた。
「美しい人だ。しかし、深く傷ついてしまっていて、きっと俺の想いを伝えたところで負担になってしまう」
「……負担、ですか?」
「ああ。ただでさえ弱っている心に、そんなことをしてはいけないだろう。嫌われてしまうかもしれないしな」
ノアリスは少し考え、ゆるく首を左右に振る。
カイゼルのような人に想われるなんて、嬉しいことだと思ったからだ。
きっと、その深い傷を覆ってくれるような優しさを、彼は持っている――そう信じたくなる。
「嫌われるはずがありません。カイゼル様は、私が出会った中で誰よりも優しい方です。寄り添って安心を与えてくださる。……そのような方が想ってくださるなんて、きっと嬉しい」
その言葉に、カイゼルは目を柔らかく細める。
本当にそう思ってくれているのなら、どれほど嬉しいか――。
「その想い人というのは……妾妃様ですか?」
「……は?」
思わず低く声が漏れる。肩を揺らしたノアリスは慌てて視線を逸らす。
「ぁ……ち、違いましたか……すみません……」
「あ、いや、ちが……違うんだが、まあ、あの……」
想い人から『妾妃か』と思われてしまったことに、カイゼルの胸も少し痛む。
朝食の席は、色んな感情に振り回され、心が忙しかった。
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