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2.余所見はご法度*
ぐちゅりと果実を潰すような音が、後ろから断続的に聞こえている。
衣服を剥ぎ取られた背中にぶつかる、自分ではない熱。
はっ、と零れ落ちてくる熱い吐息が耳殻に触れて、肌が粟立った。
「ふっ、締まった」
ちいさな笑いとともに事実を告げられて、くそっ、と思わず吐いた悪態。
なのに、かわいい、なんて言葉が返ってきて、後ろに陣取る男を肩越しに睨みつけてやる。目が合うとダンテは、うっそうと嬉しそうに目を細めた。色を映さないはずの灰が甘さを帯びる。なだめるように背中をするりと撫でられた。
「怒らないでよ、クロード」
「怒ってるんじゃなくて、ぁっ、…ッ呆れてるんだよ」
「そう? まあどっちでも良いけどね」
じゃあなんで言ったんだ、という不満は、腹の奥を掻き混ぜてきた彼自身のせいで、敢え無く吐息として空気に溶けていく。体を好き勝手に揺さぶられながら、思う。
コイツ、本当にムカつく奴だな。
タイミングよく気持ちがイイ場所を擦ってくるのも、文句を言わせないほど気持ちよくしてくるのも、戦闘中の体技だけではなく性技まで、おおよそ全てが上手いのも、何もかもが苛つかせる。だのに、この男からの依頼を断らない自分がいる。
まあたしかに、と思う。
見ていて飽きない男ではある。冷徹漢で血も涙もない悪魔だ、などと言われているダンテが、クロードの前ではよく笑い、不機嫌さもあらわにする。初対面した頃は近寄りがたさすら感じていたのに、今では表情豊かに接してくる彼に、嗚呼こいつも人間なんだな、などと感じている。
クロードが部外者だから、というのもあるだろう。それにクロード自身、顧客のことを勝手に吹聴することはない。口が堅いところも信頼に値する、と依頼主にはよく言われることだ。守秘義務なんてクソ喰らえ、などとほざいている同業者もいるが、信頼を無くしてはこの世界で生きていけない。無論、握っている情報のせいで元依頼主から命を狙われることもあるのだが。そういう意味で、ダンテから信頼を得ているが故に、子どもっぽいところも見せてくるのかもしれない。
確かに冷酷非道で通っている男が、こんなに甘い言葉や声を出したりするなんて知られたら、締まらない。のかもしれない。詳しくは知らないから予測でしかないが。
というか、そもそもどうしてこの男とこんな関係になったんだったか。
熱に浮かされたぼやけた頭で、記憶を遡る。
初めて依頼を受けたのは一年半前。
しかし、初めて顔を合わせたのは更に前だ。
あれは確か、現在ダンテの組織と同盟関係である組織に依頼を受けていた時だったと思う。
「見事な働きぶり、感謝するよ。クロード君」
「お褒めにあずかり光栄です。またご贔屓に」
深い皺を刻んだ初老の男は、その組織の頭目であった。何が彼の琴線に触れたのか、彼直々にクロードのところへ来て依頼を申し込んできて、何度目かのことだった。
「君のおかげで、今回の同盟も確かなものになってね。君さえ良ければ、彼にも君を紹介したいんだ」
そういってその組織が主催する会合に誘われたのだ。
当然そんな貴重な機会を逃すほど、クロードは馬鹿ではなかった。情報のためなら、己が持っているすべてを使う。手足も、体も、貞操すら投げうっても、大口は増やしておきたい。当然、その誘いに乗った。
会合という名の祝賀パーティには、名を馳せた強者たちが勢揃いで、舌を巻くほどだった。その中に、ダンテもいたのだ。
この時から、ダンテの名はよく聞いていた。
若くして有能な新星だとか。悪魔の子だとか。魔王の生まれ変わりだとか。
酷い言われようだったのも仕方ないだろう。
ダンテは、若くして組織の頭目になった。その成り方は、尋常でなかった。らしい。他人から聞いた話だが、どうやらもともといた頭目の寝首を掻いたのだという。ダンテが率いる前の組織は、力を持っていることをいいことに、街でずいぶんと幅を利かせてやりたい放題であった為、恨みを買っていることも多かった。ダンテはそんな人たちにとっては、英雄も同然。取り入ろうとする人間も多かったと聞く。しかし、彼は蟻のように群がったハイエナたちも一掃したらしい。まさに血も涙もない。
故に裏社会の人間たちは、いろんな意味で彼に恐れを抱いている。
それが当時の彼の噂だった。
一体どんな面をしているのか。それをひそかに楽しみにしていたのだが。
「クロード君、こちらがダンテ君だよ」
てっきり太々しくて狡賢いのが顔に出ている男かと思っていたのに、初老の男が紹介してくれた件の男は、随分と精悍な顔立ちをしていた。浮世離れした髪の色と瞳。感情を一切隠すような笑みを浮かべて、クロードへと手を差し出してきたのだ。
「ダンテです。貴方の噂はかねがね」
まさか彼まで自分の噂が流れているとは知らなかった。
面食らったクロードではあったが、そんな素振りはおくびにも出さず、笑ってその手を握った。
大きくて、すこし硬めの掌。よく武器を扱っている証拠だ。笑みを浮かべていても隙は少しもない。なるほど、若くはあるのにかなりの手練れらしい。
「私も貴方の噂はよく聞いています。かなりのやり手でまるで神のようだと」
「ははっ、裏社会を渡り歩く天才である貴方には負けますよ」
それは一体どういう意味だ? 挑発に聞こえるが。
ニコリと笑みを浮かべたまま、しかし口には出さなかった。
「光栄です。何か困り事があれば、ぜひご贔屓に」
「ええ。近いうちに、そうさせていただきます」
社交辞令に違いないだろうな、と胸の内で中指を立てていたクロードにとって、ダンテの第一印象は、まあ言葉通り最悪ではあった。顔は良いが信用は出来ないし近寄りがたい。クロードの頭の中で、ダンテは『なるべく関わりたくない』フォルダへと仕分けられた。
しかし暫く経ったある日、ダンテは宣言通り、クロードの根城へと単身で足を運んできたのである。
「ねぇ、集中して」
ぐっと首を引き寄せられて、喉が締まるのと同時に最奥にごりと押し付けられた男根の先端。背筋を駆け上がった恐怖に似た快感に呻いた。
「~~ッ、ばっ、…ぅあッ、てめっ」
「僕に集中しないで他所事考えてるクロードが悪いだろ?」
振り返った先で、態と口先を尖らせて拗ねて見せるダンテが憎らしくて仕方ない。確かにセックスに集中していなかったが、考えていたのはムカつくことにダンテのことだ。つまりすべてが他所事ではない。
なーにが他所事だ。この馬鹿。
ぶん殴ってやろうと思うのに、それを見透かしたように律動が再開されて、言葉がすべて吐息と喃語に変わっていく。行き来する熱が、言葉を投げ掛けることを許さない。
それを良いことに、ダンテは口を回し始めた。
「せっかくのご褒美なのにさ、クロードが楽しまなきゃ、意味ない」
「あッ、ンンッ、この、ッ、やろ、うぁっ」
声色に滲んだ淋しさが、本物かどうか見抜くほどの冷静さは、もうクロードには残っていなかった。
だとしても、このまま思うようにさせてたまるか。
こいつにだけは従順、なんて絶対に嫌だ。
今までに培ってきた技で思い切り、勝手に暴れまわる彼の性器を締め付けてやった。
呻いて動きを止めたダンテに、ほくそ笑む。
ざまあみろ。挑発するように肩越しに笑ってやった。
「だったら、俺が他所事考える余裕もないくらい、楽しませてみろよ」
前髪の銀糸で見えなかった瞳が、ゆっくりと持ち上がる。笑いだけでは飽き足らず、言葉で挑発したクロードを、鋭い光を帯びた灰色が射貫いた。
「……いいよ。アンタが言ったんだ。後で恨み言は聞かないから覚悟して」
底光りするその瞳に、背中に走った震え。泥沼のような灰に、逃がさないと言われた気がしたからだ。腰に食い込んだ指先もまた、雄弁だった。
余裕を剥ぎ取られたのは、果たしてどちらだっただろう。
二人の夜に付き合った、しわくちゃのシーツだけがその答えを知っている。
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