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10.たったひとつ、欲しいもの

「ダンテ君、こちらが私が前に話した凄腕の情報屋、クロード君だよ」  二年前だ。  頭痛を催す強い光を放つシャンデリアがぶら下がる大広間で、そう紹介されたクロードを見た時、全身の血が嬉しさで沸騰するかと思った。  ずっと、探していた。やっと、逢えた。  今まで血が凍ってたのかと思うくらい、全身が熱くなった。  何を目の前にしても高鳴ることのなかった心臓が、乱暴に脈打って、血が一瞬で体中を巡るような感覚に陥った。  歓喜と高揚。  泣きそうなくらい嬉しかった日は、あの日と、クロードと初めてベッドに雪崩込んだ日だ。  ただし祝賀パーティとはいえ、気の抜いた顔をしたら一瞬で寝首をかかれてしまう。だから、その浮ついた気持ちが前に出ないように、余所行きの笑みを貼り付けた。 「ダンテです。貴方の噂はかねがね」  噂はかねがね、なんて嘘だった。  会合や仕事の合間に、彼についての情報集めにどれだけ奔走したか分からない。自分の手で調べたかったからだ。クロードを紹介してくれた初老の男が率いる組織と同盟を組んだのだって、人づてに彼がクロードとよくやり取りをしていると聞いたからでもある。無論、それが全ての要因ではないけれど。  親しみやすいのに、どこか一線を引いたような笑みを浮かべて、こちらから差し出した手を握ってくれたクロード。あまりの華奢さに驚いたのも、昨日のことのように覚えている。  引く手数多で凄腕の情報屋であるクロード。  初めて彼を見かけた日よりもずっと、色気のある大人になっていた。だが、一人で裏社会を渡り歩くには勝手に心配になってしまうほど、線の細い体をしていた。屈強さは持ち合わせていないその体一つで、柔軟性と臨機応変さを駆使して、死線を掻い潜っている。その度胸と手腕は、尊敬に値した。  誰かの後ろ盾があるわけでもなく、自分の手足で全てを選択し、いつも勝ちを掴み取っていく。  誰のせいにするでもなく、自分の意思で仕事を全うし、闇の中でさえ生き抜いていく。  欲しい、と思った。  何に対しても無頓着だったダンテに、この世界で唯一欲しいと思わせた。  それがクロードだった。クロードの何がそう思わせたのかは分からない。ずっと探し続けていた延長だったのかもしれないし、好みの顔だったのかもしれないし、一目惚れだったのかもしれない。はたまたクロードの生き様に惚れたのかもしれない。  ダンテの胸に確かな形として生じたのは、誰にも譲らない、という感情だった。  クロードに告げた言葉に、嘘は何一つとしてない。許されるならクロードを抱いたことがある人間を一人残らず殺してやりたいのも本当だし、執心している自覚もある。何故なのかと問われても、クロードが僕にそうさせるから、としか答えようがないけれど。  何を犠牲にしても、今の地位を投げ出しても、誰を敵に回そうとも、己の命を落とそうとも、クロードだけは手放したりしない。もちろん無理強いするつもりはない。無理矢理向けさせた心なんて何の意味もないからだ。でもクロード自ら、ダンテを欲したなら、全身全霊をかけて応える。一緒に死んでくれ、と乞われたら喜んでそれを受け入れる。クロードに仇をなす人間には、徹底的な制裁を加える。  そう決めていた。だからこそ。  今回の一件はダンテの堪忍袋の緒をズタズタにした。   「ど、どういうことだ!? 此処は貴様のような人間が入り込んでいい場所じゃないぞ!」  急に耳に入り込んできた声に、意識を今へと戻す。  こんなときでもダンテを無意識に煽ることを忘れないらしい。  アドルフォ。今回の一件の首謀者であり、部下に捕らえさせているエイヴと同じく、死よりも鬼畜な絶望を味わわせると決めているターゲット。  こんな状況で、パイプ椅子に縛られて項垂れているクロードを盾にする行動が、肝の小ささを体現している。怒りのあまり視界が赤く染まっていくような気すらした。  銃口の狙いを定めたまま、言葉を無視して声を放つ。 「お前の耳は飾りなのか? クロードから離れろ。今すぐに」 「ハッ、ハハハッ! どうせ何もできんだろ、馬鹿が!」  勝ち誇ったように笑うアドルフォは、クロードの首にナイフを当てた。それがダンテの青筋を増やす原因になることも知らずに。  はぁ、と長く息を吐く。  馬鹿はどっちだ。状況を読み込めていない上に拳銃を持ち歩いてないとバレた時点で詰んでいるのが分からないのか、この鳥頭(とりあたま)は。会話をすることすら億劫にさせるなんて、本当に蛆虫だな。  そんなことよりも、と思考を切り替える。一刻も早くクロードを助けて治療させるべきだ。だったら、アドルフォへの制裁は後で良い。  優先順位を瞬時に判断したダンテは、隠しもせずに指示を出す。 「撃って良い。ただし殺すな」 「ハッ! 何を、ッギャア!」  突然そんなことを言ったダンテの思惑がわからないのは、この状況を理解していないアドルフォだけだ。すでにこの廃工場は精鋭たちによって、ダンテの組織の手に落ちている。遠距離射撃を得意とする仲間に対する合図だったのだから。  太ももを撃たれて地面に転がったアドルフォをそのままに、ダンテは踵に怒りを乗せて高らかに音を鳴らしながら歩く。ひいっ、と間抜けな声を出して這いずるように逃げようとするアドルフォの手に、もう一発弾丸をくれてやってから、銃をホルダーへと収める。  痛みで動く事をやめたアドルフォを一瞥してから、クロードの顔が見えるようにしゃがむ。 「クロード」  呼んだ名前に反応はない。触れた頬は熱い。呼吸も荒い。口の端から涎を垂らして、その瞳にはいつもの精彩は無い。焦点の合わない焦茶の瞳が、地面を見つめている。  首筋に触れると、クロードの体がわずかに跳ねた。クロードの意思とは関係なく、あ、だか、う、だか分からない声が漏れている。指先に伝わる脈拍は、明らかに異常だった。  奥歯を噛みしめる。口の中が切れて血の味が広がったが、ダンテにとって些細なことだった。  クソッ。僕がもう少し早く此処に来られてたら。クロードにこんな思いをさせることもなかった。なんでこんな大事なときに間に合わないんだ。つくづく嫌になる。  あまりの怒りに逆に頭が冷えていく。  今一番にやらなければならないことは、一刻も早くクロードに治療を施すことだ。薬物をはやく体内から出さなければいけない。こういうことに詳しい仲間がいたことは、不幸中の幸いだ。  破られたシャツからのぞく肌を隠すように、自分の背広をかけてやってから立ち上がった。 「ジオス、いるか?」 「はい、ボス」  呼びかければすぐさま物陰に待機していた右腕が寄ってくる。 「今すぐクロードを屋敷へ連れて行って、アザミに対応させろ。オレは後始末をしてから行く」 「そんな大役を私に任せて良いんです?」 「ああ。オレはクロードを襲いかねない」  そういえば、嗚呼、と合点がいったように頷かれた。  これがただ性欲を高めるだけのものであれば、間違いなくダンテがクロードを連れて行って対処した。だがクロードの体にあるのは違法薬物。これは大抵人間を廃人にする、つまり、与えられたものを脳が欲し続けて他のことに思考を割けなくなる。そして高い依存性があるため、それを繰り返しすることしか出来なくなるのだ。  もしも今クロードを襲ったら、彼は一生性奴隷のような生活をしなければいけなくなる。しかも薬物を定期的に接種しなければ、死ぬほど辛い禁断症状と戦う日々になる。だったら、何も与えず、何も脳に覚えさせずに薬物が抜けるのを待つのが最善だ。  廃人にさせてたまるものか。あの軽口の叩き合いも、素直じゃないクロードも見れないなんて悪夢でしかない。 「絶対に廃人にさせるな。頼んだぞ」 「御意に」  ジオスに拘束が解かれて刺激しないように背負われたクロードを見えなくなるまで見送ってから、地面に転がっているアドルフォを見下ろす。 「―――さて、待たせたな。蛆虫」  ひッ、と情けない声を上げた男に近寄る。ダンテの怒りがやっと伝わったのか、恐怖に歪む顔。怒り以外の感情は湧かない。大事なものに手を出されてタダで済むはずが無いのは、裏社会の常識だ。  冷ややかな目で踵を上げて、そのまま太腿の銃創へ振り落とした。 「あァアアアッ! 痛いぃいッ! あ゛ぁあ!」  野太い悲鳴が響き渡る。ダンテはその悲鳴にも眉一つ動かさず、更に傷を抉るように踵を左右に動かした。さらに響く悲鳴。  どれだけそうしていたか、やがて足を退けたダンテが、温度を無くした声で言った。 「陽の光をお前が見ることは二度とない。――連れていけ」  ひゅーひゅー、と細い息を吐いて蹲るアドルフォをそのままに、部下へと指示を飛ばす。  本当は今すぐにでもクロードの傍に飛んでいきたい。しかし、組織の頭目としてやるべき事が残っている。  はー、と一つ息を吐いて気持ちを切り替える。  信頼できる部下がついている。大丈夫だ。  逸る気持ちをどうにか抑えて、ダンテは最後の仕上げのために、すでにもぬけの殻である敵の本拠地へと足を向けたのであった。  

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