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閑話休題:18.変わるもの、変わらないもの①

 見慣れた帰り道にその姿を認めた途端、俺は思わず抱えていた紙袋を落としそうになった。  慌てて抱え直してから、もう一度目を凝らす。  遠目に見えるその場所。自分の寝床に続く、花屋の近くの路地への入口部分。  澄ました銀髪を風に揺らしながら路地をじっと見つめてスラックスのポケットに手を入れて佇む男は、やはりどこからどう見てもダンテだ。  あのバカ、一体何しに来たんだ。  そう思うのは、アイツがとんでもない影響力を持つ男だからである。  表社会ではホテルの経営者として、裏社会ではならず者達を纏め上げる組織のボスとして、この辺りではとてつもなく有名だ。あんなふうに気軽に一人で立っていて言い訳がない。  一ヶ月と少し前に起きた、俺を巻き込む――いや、アイツが巻き込まれたと言ったほうが正確かもしれない――抗争のお陰で、ダンテたちはまた勢力を増した。と言っても、力のある奴等を取り込んだわけではなく、徹底的に潰したと風の噂で聞いている。  あの|クソ野郎《アドルフォ》の組織で残っていた奴等の忠誠心を試し、ダンテや幹部たちのお眼鏡にかなった者以外は、多分排除されたのだろう。組織間の掟とか約束事といった事項は、それぞれの匙加減によって違う上に、俺は組織に属することをしていないから、|与《あずか》り知らぬところだ。  まあそんなことは置いておいて。  その一件以来、ダンテたちの組織はますます一目置かれる存在になったわけだが。  当然ながら、良いことばかりではない。  バカな輩に絡まれることも多くなってね、とこの前ホテルのラウンジで偶然会ったアザミさんが言っていた。そういう情勢もあって、俺は無闇にダンテと連絡を取るのを止めているし、接触も最低限にしている。またアイツに借りを作るのは癪に障るし、余計な火種は潰しておくにこしたことはないからだ。  それなのにダンテときたら。  俺の努力を無駄にする気か?  とにかく、さっさとアイツをどうにかしないと。  開けっ放しだった紙袋を中身が溢れないように閉めてから、駆け出した。  足を動かしながら、あれ? と思う。  デジャヴュだなこの光景。前にも似たようなことが会った気がする。  いつのことだっけ、と思い返すとすぐにその答えは出た。  ダンテが初めて俺に依頼に来た日だ。  あの日も街中の店がそろそろシエスタを終える、太陽が西に傾きかけた時間だった。  鈍痛を訴える腰をさすりながら歩いていた俺がふと顔を上げた時、同じ場所にアイツが立っていて、少なからず動揺したのだ。 *** 「あれ、もしかしてダンテ=スヴェトラーノフか……!?」  思わず足を止めて壁側に寄ってしまった。  まさかあの男が本当に、俺の所に来るとは思っていなかった。祝賀パーティで胡散臭い挨拶をして、一ヶ月弱しか経っていない。普通ああいう場で言うのは社交辞令であって、実際に実行してくるなんて前例はなかった。  完全に油断していた。  それなりの人々や車が行き交う大通りだから、口から漏れた疑問が誰かに聞かれることはなかったのが救いだ。一応周りを確認してから、もう一度自分の帰り道に立っている男を見る。  いけ好かない綺麗な銀髪に、ぎりぎり見える灰色の瞳。  ムカつくほど質の良いスーツや装飾品。  近くを通るヒトの視線を集める高身長と美しい顔。  うん、ダンテ=スヴェトラーノフだ。間違いなく。  まさか、俺が間接的にアイツの仕事を邪魔して報復に来たとかじゃないよな? いや、その可能性もあるか。基本的に依頼人の背景の話は聞かないし調べないからな。もしかしなくても俺の命日か? 前件の野蛮人といい、最悪すぎる日だな。  そんなことを思いつつも、逃げるわけにもいかない。  しかしこの場で殺されることはないだろう、と踏んだ。  もしも本当に殺す気なら、本人が来なくてもいい話だし、あんなに堂々と待つ必要はない。ヤツの近くにそれらしい車も止まっていないから、多分、きっと、八割方、俺の身の安全は保証されている。はずだ。  グダグダ考えても仕方ない。  そう割り切った俺は、にこりと笑みを乗せてとりあえずヤツに声を掛けるために、足を進めることにした。    足音に気付いたのか、それとも気配に聡いのか。  声を掛ける前に、ヤツは俺の方へと視線を向けてきた。そして、俺だと気づくとそのまま口角を弓なりにして、周りの女性が放って置かないであろう微笑みを向けてくる。  白目を剥きそうになるも、俺もプロだ、当然そんな顔をせず完璧な笑みを彼へ向けて、二歩手前で足を止めた。 「珍しい方がいると思ったら。ダンテさんじゃないですか、どうしたんです? こんな辺鄙なところに」 「クロードさんが此処にいると聞いたもので」 「ははっ。もしかして私、ダンテさんの気に障るようなことをしちゃいましたか?」 「いいえ。貴方に会いたくて」  そういうのは本命相手に言うべきであって、俺に言う意味はないだろうが。そもそも絶対思って無いだろうに、よくこんな口からでまかせ言えるな。ハッ、やっぱ何でも持ってるヤツは言うことが違うな。  なんて思いもしたが、もちろん顔には出さない。 「そんな熱烈な言葉を貰うと、照れますね。仕事の話なら大歓迎ですが」  噂を聞いているなら、俺が体を使って情報を取ることも知っているだろう。時々そのことを勘違いして体の関係を迫ってくるバカがいる。もしそうならお断りだ、と暗に言葉に混ぜたのだが。  ダンテは笑みを崩さないまま言った。 「もちろん、依頼させて欲しいんです。今からお話いいですか?」  今から、って此処というか俺の家でって意味か?  他の同業者は知らないが、俺はどんなにお得意様だったとしても自分の寝床に上げるのは絶対に断っている。他の仕事の資料だってあるし、家には同居人で同業者のエイヴもいるし、そもそも仕事相手を自分の帰る場所に招くリスクが高過ぎる。それに、彼は極悪非道と聞く。エイヴを人質に取られてヤバい仕事を強制させられたら堪ったもんじゃない。 「私の家だと今は都合が悪くて。場所を移してということなら、」 「――エイヴさん、でしたっけ?」  構わないです、という言葉が遮られて、俺の口は止まる。僅かに笑みが固くなったのもバレただろうか。全く笑っていない灰色の瞳が、俺を見据えていた。  逆らわせないような威圧のある眼光だな、と他人事のように思う。俺が口を挟まない事をいいことに、目の前の男は言った。 「彼に、僕と一緒にいる所を見られたくない?」  意地でも顔の筋肉を動かさなかった俺を、俺自身が褒めてやりたいくらいだった。  まさかとは思うが、この男、俺のエイヴへの想いに気付いているのかもしれない。そうだとしたらエイヴを引き合いに出されたら、圧倒的に不利なのは俺だ。  だから意地でも動揺を悟られないように、喉で笑って言った。 「彼は同業なのでね、仕事を取られては私の立つ瀬がないでしょう? だから仕事のお話は外で、と決めてるんです。嗚呼でも、エイヴに依頼を、という事でしたらご案内しますが」  |尤《もっと》もらしいことを言えば、ふっと息を零すように笑ったイケ好かない男は、確かにそうですね、と同意した。 「貴方の心配事は分かりました。でも僕は最初から貴方に頼むつもりでここに来たので。場所を移しましょうか。そうですね……、では、あそこのラウンジはいかがですか?」  きょろりと辺りを見回してから彼が指を差したのは、遠くからでも良く見える高級ホテルだった。もちろんお代は僕が、と言うからそれに乗らない手はない。  同意して歩き出そうとすると、手を掴まれた。  何事か、と振り返るとダンテが僅かに眉を顰めている。 「タクシーで行きましょう。歩くの辛いんでしょう?」  え、と言う前にダンテは近くのタクシーを呼び止めていて、俺は当然驚いた。彼はどうやらよく人を見ているらしい。確かに彼と話をする前までは腰を撫でていたが、彼に声をかけた以降はしていなかったはずなのに。  まあなんにせよタクシーでいいのは、渡りに船だった。 「乗って。僕は向こう側から乗るので」 「すみません。ではお言葉に甘えて」  エスコートも完璧なのかよ。本当に憎たらしいくらい格好良い奴なんだな。そりゃあ男女問わずにモテるか。  彼の噂は情報屋の中でもトップクラスで囁かれている。  やれどこかのご令嬢がご執心だの、男でも惚れる男だの、持て囃されているのだ。この様子だと身に覚えのない噂を立てられたり嫉みとかも凄いんだろうな、などとどうでもいい事を思いながら、俺は車へと乗り込んだのだ。

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