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閑話休題: 20.変わるもの、変わらないもの③

 全く緊張感のない顔をしているダンテの腕を引いて、路地裏へと歩を進めながら口を動かす。 「お前は悪目立ちしすぎるから、とりあえず俺ん家いくぞ」 「うん」  素直についてくるダンテから手を離して、右へ左へと足を動かす。時折ついてきているかどうかと、変な虫が一緒に来ていないかを確認してみるが、一応ダンテ以外の気配はない。  よかった。厄介事に巻き込まれて寝床がなくなるのは困るし、目をつけられて襲撃されるのも迷惑だ。そんなに簡単にやられるつもりはないが、巻き込まれないに越したことはない。  迷路のような家路を足早に歩いて、半分外れている扉の前にやっと辿り着く。 「天井低くなってるから気をつけろよ」  一言声を掛けてからいつも通り身体を滑り込ませて、廊下を行く。少し身を屈めてついてきているダンテを肩越しに見て、思わず頬が緩んだ。  コイツのこういう素直なとこ可愛いよな。普段は眼光で人を殺しそうな威圧感があるのに。頭目である間は見せない顔を見れるのは、俺としても気分が良かった。  階段を登りきって、年季の入った木製の扉の前に立つ。前までは端末を使ってあけていたが、同居人(アイツ)が居なくなってからは、機械がまるきり押収されたせいで鍵を閉めれる状況じゃなくなってしまった。  そのままドアノブに手を掛けたら、ねぇ、とダンテに肩を掴まれた。 「なんだよ」 「鍵は?」 「ないよ。お前らが全部機械押収しただろ?」 「じゃあずっと、鍵なしで生活してるの?」 「そうだけど。こんな古びた扉に鍵なんてつけられるわけないし、鍵屋を呼ぶリスクのほうが高いだろうが」  これは情報屋を始めて知ったことだが、この街の鍵屋は結構な確率でギャングと手を組んでいる場合が多い。副業として顧客情報を売って、見た目よりも良い生活をしているのだ。  そんな鍵屋にとって、ダンテとの噂がある俺の家の鍵なんてどう考えても格好の的だろう。ダンテの弱点を知りたがっている人間は多いし、血眼になって探している輩だっているはずだ。当然ダンテの息がかかっていると思われている俺には、そんな仕事が回ってくることはないけれど。 「でも危ないだろ」 「わざわざこんなところに来るのはお前くらいだよ」  実際此処に攻め入られたことは無い。情報屋に手を出すというのが、あまり賢い選択ではないと知っているギャングも多いから、今のところ生き延びているし、そのパワーバランスが崩れることは直近では無さそうだから、その面で言えば安心している。それに下手に俺に手を出すと、藪蛇だ。ダンテの逆鱗に触れて報復されることを考えたら、頭の回る頭目がいるギャングは手を出してこないだろう。と俺は踏んでいる。  ダンテに反論しながら、扉を開け放つ。  陽の光で満たされた、木目調のだだっ広い部屋。その中心にある三人掛けの空のソファが俺を迎えてくれた。あの書類の山も俺を出迎える声もなにもない、静かな部屋だ。 「適当にあのへんに座ってろ。これ片付けてくるから」  紙袋を持ち上げれば、素直にダンテは頷いた。  俺はそのままキッチンに向かって、冷蔵庫にヨーグルトやら生ハムやらを入れていく。  ダンテ、何か飲むかな。アイスカフェオレでいいか。夕方だけど。そういえばアイツいつ寝てんだろうな。一回も見たこと無い気がする。  適当に思考を流しながら、アイスカフェオレの入った二人分のマグカップを持って、リビングへと戻る。しかしその場所にはダンテの姿はなかった。  何処行った。見回したら、数ヶ月前まではエイヴのものだった|伽藍洞《がらんどう》の部屋の奥にダンテの後ろ姿を見つけた。その部屋にあったものは、ダンテの部下が全て持っていってしまったから、見るようなものは何もないはずだが。 「何してんだ、そんなとこで」  声を掛けながら隣に並んだ俺に、ダンテは少しだけ視線を寄越した。とりあえずマグカップを押し付けた。アイスカフェオレ、といえば、ありがと、と返事がある。受け取ったマグカップに口をつけないまま、まだ部屋をじっと見始めたダンテに、首を傾げてしまった。 「何か気になることでもあるのか?」  僅かに動いたダンテの唇をじっと見つめてみる。何かを言いたそうにしているのに、閉じたり開いたりを繰り返すだけで、何の言葉も出てきはしない。言いづらいことなのだろうか。無理に聞くのも野暮か。 「まあ、言いたくないなら良いけど」  正直気にならないかと言われれば、気になるに決まっている。でも、恋人のような関係を持っているからといって、相手の全てを知ろうとするのは何か違う気がするのだ。いずれ話してくれたらいいなとは思うが、相手を不快にさせてまで聞きたいことでもない。  ダンテをそのままに、俺は一人リビングに戻ってソファの定位置に腰掛けた。アイスカフェオレは相変わらず美味いな。そう思って数秒もしないうちに、ドカリ、と隣にダンテが腰を下ろした。相変わらずマグカップに口をつけないまま下を向いている。 「…………ぅ」 「? なんか言ったか?」  なんか急に機嫌悪くなってやがるな、と他人事のように思っていたら、ダンテが小さな声で何か言った。聞き返すと、マグカップを握った両手に力が入ったのが見えた。  息を吸って、勢いよく吐く音が聞こえたと思ったら、ローテーブルにマグカップが置かれて、ダンテが体ごと俺の方へ向いた。見えた灰色の瞳が小さく揺れている。  その瞳に乗る感情を一瞬判断できなくて、俺は慌ててマグカップをローテーブルに置いてから、ダンテの膝の上に手を乗せた。すかさず上から手を乗せられたのを気にせず、言葉を掛ける。 「なに、どうした? 言いたいことがあるならはっきり言え」 「…………、アイツとどれくらい此処に暮らしてた?」 「アイツ? エイヴのことか?」  頷かれて、うーんと、と記憶を辿る。  家を飛び出したのは確か15歳になった頃だったはずだ。その後すぐにエイヴに会って、意気投合した俺たちは情報屋として活動し始めた。今年で俺は29になるわけだから。 「大体15年くらいか? といっても俺は此処に帰らないこともザラだったし、アイツはアイツで女好きだったしで、あんまりお互いに干渉してなかったから、濃密な15年って感じではないな」 「……ぅいそう」 「あん?」 「……嫉妬で狂いそう」  片手で顔を覆ったダンテに、ぱちぱちと目を瞬く。  まさかそんなことを言われるとは思わなかった。でも言っておくが、少し好意はあったにしろ――今は完全にないが――性的な関係は微塵もないし、ラッキースケベみたいな展開もなかった。風呂に一緒に入ったこともなければ、一緒のベッドで眠ったこともない。多分。俺の記憶が正しければ。 「いや、本当にエイヴとは何もなかったぞ? ただの同居人だったし」 「でもアンタはあの男に抱かれてみたい、って思ったことあるだろ」 「…………まあ、一回くらいは思ったことあったけど」 「さいあくだ。あいつのこと百万回殺したい」  手を離さないまま|萎《しぼ》んでいくダンテに、笑ってしまった。  お前俺のこと大好きすぎだろ、とは流石に口には出さない。返ってくる言葉は目に見えている。 それに陳腐になってしまうが、俺自身そこまで想われるのは純粋に嬉しかった。コイツにとっての俺は、そんなに影響力があるのか、と思わせてくれる。それほどの大きな存在なのだと、思わせてくれるから。  胸の奥のむず痒さを自覚しながら、ダンテの肩に額を預ける。  それだけでも肩を跳ねさせるのだ。この普段完璧を体現したような男が。だからたまには、調子付かせることを言っても良いはずだ。 「俺はな、ダンテ」  載せられただけだった手に指を絡めて、握りしめる。ダンテがやっと顔から手を外したのが目の端に見えた。 「確かにエイヴに裏切られた時、悲しかったけどさ。それ以上は何も思わなかったくらいには、アイツとは穏やかで何の揺さぶりもない関係だった。でも、」  長く一緒に居たからそれなりの情はあった。でもあの罵詈雑言を聞いた時点で、それもなんだか馬鹿らしくなったし、そんなに簡単に裏切られるものなんだな、って諦めがついた。  でも、今俺の傍にいるダンテに対しては違う。 「お前に出会ってから、虚勢を張らなきゃいけないくらい、お前に振り回されてたんだ。今の俺は、お前が裏切るなら、俺のことを殺していけ、って思うくらい、お前がいなきゃもう駄目なんだよ。だから、」  あれだけ絶対にコイツのものにはならないと腹に決めていたつもりだったのに。  まんまとダンテにしてやられてしまった。どうしようもなく惹かれてた自分に気付かされてしまった。コイツが居なくてもそれなりの日々が送れていたはずなのに、もうコイツが居ないとなんだか駄目だ、と思わされるくらいには、溺れている。 「ちゃんと責任とって、お前の手で俺を墓場まで連れてってくれよ」  ダンテがその手を放す時、誰かにお前を取られるところを見るくらいなら、その手で俺を地獄に送ってくれ。それで満足だ。  そう思えるくらいには、もう戻れないところまで来ている。これだけのことを思わせるのだから、きっと俺からダンテの手を放すことは出来ないだろうから。  肩を掴まれて、真正面から覗き込まれる。灰の瞳が灼熱の炎のように揺らめいているのが見えた。  そのまま顔が近づく。もうすぐ唇が触れそうになった、その時だ。  俺の耳は、誰かの微かな足音を拾った。触れる直前で顔を扉に向けたせいで、頬へとぬくもりが届いたのと、ダンテの眉が中央に寄ったのは同時。はあ、と溜息を吐いた。 「前に言ったよな? 面倒事は連れてくるなって」    俺の声色と表情が一致していないことに気付いたらしいダンテは、俺と同じようにニンマリと笑った。   「あっちが勝手についてくるだけだ。僕のせいじゃない」  すぐさまソファから立ち上がったダンテに倣って、俺も立ち上がった。武器になりそうなものは、今は持っていないな。そう思ったのと、短い得物が差し出されたのは同時。 「よく解ってるな? 俺の思考を読んだのか?」 「まあね。でも残念。初めてアンタの家に招待してもらえたのに。ここで一回くらいセックスしたかった」 「住めなくなる前提でしゃべってんじゃねぇよ、あほ」 「大丈夫だよ。新しい家はもう用意してあるし」 「そういう問題じゃ、」  ない、と言いかけたところで、はたと気づく。バッと反射的に見た自分の部屋。  あるはずのものが、ない。  つまり。 「……お前、こうなることわかってたな?」 「クロードには何でもお見通しだ」 「お前が分り易すぎるだけだ」 「僕の思考を読んでくれるアンタが好き」 「はいはいもう耳タコだよ」  こうなること前提で、ダンテは動いていた、ということだろう。  部下にでも全部運び出させた後の状態にすでになっていて、どこでも揃えられる家電はそのままに、重要なものは全部移し済み。  だからこそ、ダンテはあの場に居た。俺の家はいわばデコイとして使われたということである。  用意周到なとこは変わってないなクソが。せめてなにか一言あるだろ普通。まあコイツは普通じゃないからしかたないのかもしれないが。いやでもせめて通達か何かあるだろ普通。クソが。さよなら、俺の家。 「ホントにお前といると退屈しないよ」 「それ、褒め言葉?」 「さあな、自分で考えろ」  こんなことが起きても、やっぱり手を放す気にはならないから、戻れない所まで来ているのだと思う。それも悪くないと思っている時点で、俺もある意味終わっている気がする。  そんなことを思っていたら、そっと耳打ちされた。 「早く終わらせて、新居で思う存分愛し合おうね」 「……気が向いたらな」    まあいい。行き着く所が地獄でも、ダンテと一緒ならそれも悪くはない。  まだ死ぬ気は微塵もないけれど。  ちゃんと敵を一掃した後、新居へと連れられた俺が気絶するほどダンテに付き合わされたのは言うまでもないことである。

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