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閑話休題:21.ピアスと独占欲
浮上した意識のまま、瞼を上げる。
レースのカーテンから差し込んだ陽の光が眩しい。目を眇めながら体を動かそうとして、違和感に気付いた。腹になんかゆるく巻き付いてやがる。明らかに誰かの腕だ。誰だっけ、と思ったところで、昨日の事を思い出した。
そういえば、昨日突然ダンテが押しかけて来て、そのままベッドに連行されたんだった。
今まで暮らしていた家は一週間ほど前に、囮として使われた挙句、もう改修も不可能なくらいボロボロにされてしまった。クソが、と思いはしたがしかし、すでに代わりの家をダンテが用意してくれていたので、俺は事なきを得たのだった。
ダンテ曰く、同じところに留まるのは危険、だそうだ。
折を見て、何個か用意された家のどれかを選んで行くのだが、必ずと言って良いほど、ダンテは俺の場所を把握していて、場所を変えた事を伝えなくても押し掛けてくる。
酷い時は、我が物顔で――実際家も家具もダンテが|誂《あつら》えたもので、コイツの物といっても過言ではないのだが――ソファに腰掛けて、俺の帰りを待っていたこともある。つまり、全ての鍵をダンテは二人分用意しているわけだ。なんて用意周到なヤツ。
ただし、仕事部屋だけはちゃんと専用の鍵があって、複製も作っていない、というから、まあそれならいいか、と俺も済ませてしまっている。
ダンテを起こさないように、そっと腕の中から抜け出して、体を起こす。銀色に染めた髪は相変わらず、染めたとは思えないほど綺麗な色を放っている。睫毛も光の加減で銀に見えて、さらにその美しさは増していた。
目を閉じていると眼光の鋭さを感じないせいか、少しだけ幼く見えるのも最近知った事だ。
最近のダンテは俺の横で眠ることが増えた。もう我慢しなくて良くなったから、とやけに嬉しそうに言っていて、え? あれで我慢していたのか? と思ったのは記憶に新しい。
鼻をつまんで、呼吸の邪魔をしたく成る気持ちを抑えて、俺はそっとベッドから降りた。
今日は仕事も入っていないし、近くのカフェにでも行って朝飯食うか。
クローゼットを開けて服を見ながら思っていたら、後ろから抱き締められた。そんなことをするやつはダンテしか居ない。
「重いんだが」
「目が覚めたらクロードが居なかったのが悪い」
「俺のせいかよ」
そりゃあ目が覚めたらベッドから出るだろう。貴重な休みにいつまでもベッドの住人になっているのは性に合わないし、絶対にコイツより先に起きないと、別の意味でベッドから離れられなくなる可能性が高いのだから。先に出るに決まっている。
寝起きは妙に甘えたで、引っ付き虫になるダンテを引き離すのを諦めて、適当に服を選んでいく。全体重を掛けてきたらぶっ飛ばすつもりでいるが、それをダンテもわかっているのか、俺が動く時はまるでコアラみたいに一緒についてくるから、いつもそのままにしている。
服を選び終わると、俺の意図を汲むように巻き付いていた腕を放してくれるから、男女にモテる意味をヒシヒシと感じる。天が二物も三物も与えたようなコイツが選ぶ人間が本当に俺でいいのか、と思わなくもないが、コイツが良いと言うなら良いのだろう。人の意思なんて簡単に変えられるもんじゃないしな。
ラフなリネンのシャツに腕を通して、太めのジーパンを履く。ピアスはどれにしようかな、と姿見の前に立った時だ。
「はい、これ」
後ろから目の前に差し出された、黒いベルベットの生地の小さな箱。その箱と鏡に映るダンテを交互に見てから、それを受け取る。
「何だよ、これ」
「良いから開けてみて」
言われるがまま開けてみる。入っていたものに、目を瞬いた。サファイヤの中でも希少と言われる、パパラチアサファイアを使ったピアスが鎮座していたから。
「おまっ…! これどうしたんだよ!?」
「クロードにつけて欲しくて」
「つけて欲しくて、ってお前なぁ……、そんな気安く手に入るモンじゃないだろ」
つけて欲しくて、で手に入るような代物じゃ絶対にない。ピンクサファイアとオレンジサファイアの間の狭き門を潜り抜けたサファイアだけが、パパラチアサファイアとしての称号を得ることが出来る。だからこそ、手に入れるのがそもそも難しいし、市場に出回るのも稀なのだ。ブランド物の既製品なら分かるが、これは俺の見立てが正しければオーダーメイド品だ。つまりパパラチアサファイアを時価で持って行く必要がある。
それをこの男はやってのけてしまうのだから、恐れ入る。
「クロードにつけて貰うためならどうってことないよ」
また歯が浮くような台詞を言ってるのに、ダンテならまあやるよな、と思っているあたり俺も悪い意味で慣れてきつつある。
出所や入手方法は聞くつもりはない。いやむしろ聞かない方が身のためかもしれない。だが、確認しておきたい事は二、三あった。
「これ、|曰《いわ》く付きとかじゃないよな?」
「まさか。アンタにそんなの絶対送ったりしない」
「あと、もう一つ。盗聴器、付いてないだろうな?」
問い掛けた俺に、ダンテは目を丸くした。
コイツには前科がある。あのストライプのスーツにコイツが勝手に仕込んだせいで、エイヴに利用された。最初から入れていることを言っておいてくれたら、そんな勘違いをせずに済んだのに。ダンテなりの事情があるのは分かるが、そういうことは事前に言ってもらっておいたほうが、敵になりうる奴等に逆手に取られることもない。
「そうか、その手があったか」
感心したように頷いたダンテに、一瞬も迷わず拳を飛ばした。だが、勿論ダンテには当たるはずもなく。ひょいと軽く避けられて、俺の拳は空中を切っただけ。
睨みつけてやっても、へらりと軽い笑みをこぼしたダンテは、冗談だよ、と言った。
「なーにが冗談だ。すでに一回やってんだろうがお前は」
「何の話?」
「俺のストライプのスーツにこんくらいの盗聴器仕掛けたの、お前だろ」
指で大きさを示してやれば、嗚呼! と今思い出しました~みたいな反応をされた。こっちはその盗聴器のせいで上手く乗せられたんだぞ、ばか。それなのにコイツときたら。なにが『嗚呼!』だよ、クソが。
「確かにそれは僕だ。ごめん、謝るよ。でも言い訳させて欲しい」
「…………、まあ一応聞いてやる。どうぞ?」
「あれはクロードじゃなくて、アイツの動向を知りたかっただけなんだ」
「……へぇ? 最初からエイヴが俺を裏切るって知ったのか」
「確信があったわけじゃない。部下から報告を受けて、もしかしたらって思って」
「じゃあ聞くが、確信を持てたとして、その時点で俺に言ったか?」
ダンテは押し黙った。
まあそうだろうな、と思う。もしも確信を持ったとしてもコイツは俺には伝えなかっただろう。俺が知ったら傷付くと思ったからなのか、それとも俺を囮にして面倒な輩を一網打尽にしたかったのか、そのどちらもなのかは定かではない。けれどまあ、コイツらしいな、とは思う。言えと言っても多分言わないことを選択する筈だ。
はぁ、と溜息を吐く。僅かにダンテの肩が揺れたのが見えた。見た表情はすこし固い。
これ以上言ったところで無駄だろうが、無駄でも俺の意見は伝えておくべきだろう。
体ごとダンテに振り返る。びしっと指先を向けて言ってやった。
「盗聴器を仕掛ける時は、ちゃんと俺に言え。お前にも色んな事情があるのは分かるが、俺の仕事上、信用問題にも関わるし、お前の標的を予め知ってたら、俺も変にお前を疑わなくて済むだろ? だから、盗聴の対象が俺以外の時はなるべく言える範囲で事前に言ってくれ。あ。勿論、対象が俺の場合は言わなくて良いけどな」
疑いを掛けられるようなことをするつもりは無いが、万が一というのはこの世界ではよくあることだ。ついこの間まで笑い合っていた人間に裏切られる、なんてことはザラだ。実際俺もやられたわけだし。
仮にもダンテは、組織のトップに立つ人間だ。疑いを晴らすために必要なこともあるだろうし、相手の出方を伺うために必要なのも、情報屋をしている身だからよく知っている。
知っているからこそ、こんなくだらないことで敵側に踊らされたくない。
「わかった」
神妙に頷いたダンテに、よし、と頷いてからもう一度鏡に向き直る。
「ねえ、クロード。それ、僕がつけても良い?」
「え? あぁ、まあ良いけど」
ん、と箱をダンテの方へ向けてやる。爪の先まで手入れが行き届いた指先が、そっとそのピアスを持ち上げて、耳に触れてくる。一瞬腰に走った電流みたいな痺れが何か、俺自身がよく知っている。
「これ、僕の誕生石だから、アンタにどうしてもつけてほしくて」
「ははっ、牽制のつもりか?」
「それも少しあるけど、」
一度言葉を切った鏡の中のダンテの顔が、耳元に寄ったのが見えた。
「アンタは僕のものって証が欲しいから、っていう方が強いかな」
吐息混じりの声からの熱が、耳から入って脳まで浸食していくような錯覚。
湧き上がった熱を散らすように、ハッ、と笑ってやる。
「お前の誕生月なんて知ってるヤツ、稀だと思うけどな」
「少なくとも他の組織のトップクラスの奴等には伝わると思うよ」
「それで余計に絡まれるようになったら、どう責任とってくれるんだ?」
「任せて。僕が一掃する」
「……冗談に聞こえないからやめろ。本当にヤバい時以外は何もするな頼むから」
一応止めはしたが、相手の出方によるけどね、なんて言っているから、やる時はやるのだろう。それで余計にヤバいことに巻き込まれたら本末転倒だ。絶対にやめろといっても無駄だろうからこれ以上の牽制は止めた。いざという時は、地の果てまで逃げてやればいい話だ。
「出来た。……うん、やっぱり似合うね」
ダンテの言葉に鏡を覗き込めば、確かに耳に華やかな色が乗っている。仕事の邪魔になることも無さそうだし、そろそろ新しいものが欲しいと思っていたから、素直にありがたい。
「ありがとな。大事にする」
「うん。でも無くなったら新しいの用意するからいつでも言って」
「……新しいの用意するって断言できるお前が怖ぇよ」
白目を剥きかけた俺に構わず、ダンテにまた抱き締められる。つけてる俺よりもコイツのほうがよっぽど嬉しそうなのは、多分気の所為ではないだろう。
証、なんて今まで欲しいと思ったことはないけれど、案外悪くないのかもしれない。なんて。随分絆されてるな、俺も。別れが来る可能性もゼロじゃないってのに。
別れが来るその時は、その手で殺せ、と言ってある。俺の死が来るまでは、この茶番だと思われそうなやりとりも全力で楽しむことにしよう。
そんなことを頭の片隅に置いて、俺はダンテを抱き締めかえしながら、朝食へと誘うのだった。
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