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25.笑みに隠す

 タクシーから降りて見上げた豪邸に、クロードは思わず鼻で笑ってしまった。  婚約パーティとやらの会場は、奇しくも、クロードがギャングとして台頭したダンテと初めて顔を合わせた場所だった。同じ名前だとは思ったが、まさか同じ場所だなんて。なんだか笑えてきてしまった。  この豪邸は、ギャングたちによく使われる中立の貸家ではあるから、そういう偶然も勿論ある。あるが、別の意図を感じてしょうがない。ダンテと初めて会った場所というのを知っていて、この場所を選んでいるのだとしたら、本当にイイ趣味をしている。 「完膚なきまでにへし折りたいってか」  鼻で笑い飛ばした独り言をその場に置いて、クロードは大きな門を通り抜ける。  中庭にはすでに顔見知りの人たちが正装で歓談していた。流石にタキシード姿は見かけないが、男は皆スリーピーススーツ、女は派手すぎないパーティードレスに身を包んでいる。クロードに気付くと、気軽に手を振ってくれる者もいれば、不自然に見えないよう気まずげ目を逸らす者もいた。  そりゃそうだろうな、とクロードも手を振り返しながら思う。  恋人同士だと噂されている片方の婚約パーティにそのもう片方が姿を現すなんて、普通じゃ絶対に考えられないことだ。恋人だという噂が嘘だった、と思うには、ダンテがあまりにも行動と力を示しすぎた。実際に一つの組織は壊滅して、クロードに手を出すのはご法度、というのが暗黙の了解になりつつある。  そんな中のこれだ。  クロードがこの場で暴動を起こす、とは多分思われていないだろうが、面倒事に巻き込まれたくない連中は、気にしてはいても直接聞くなんてことは出来ないだろう。  まあ当事者の俺も多少なり混乱してるんだけどな。  どういう意図があるにせよ、恋人から何の告知もなくこんな状況に置かれたら、普通の人間ならブチギレる。説明されたとしても、招待状を破り捨ててこの場にくることはないだろう。殺傷事件に発展してもおかしくないレベルだ。色恋沙汰の諸々は本当に恐ろしい。しかも人間という生き物は、いざとなればどんなことでも実行してしまうのだから。  幸いにも理性がよく働いてくれる、かつ、何の告知もされずに家を破壊されたこともあるクロードは、その場の感情に飲まれることはない。それに、ダンテが考えなしにこんな馬鹿げた真似をするとも考えにくい。きっとイザベラが招待状をクロードに寄越してきたことも、把握済みなのだろう。それでもあえて何も言ってこないのは、何かしらの理由があると考えるのが妥当だ。それくらいはダンテのことを理解している、と自負しているのもある。  だから、今のところ冷静でいられるのだった。  豪邸の玄関に辿り着くと、真っ白なクロスが敷かれたテーブルの向こうに笑みを浮かべた青年が立っていた。受付だろうか。足を進めて青年の前に立つと「招待状をお見せ頂けますか?」と声を掛けられる。頷いて、胸の内ポケットから取り出した招待状を彼に差し出す。名前を確認した青年は、にこりと笑みを浮かべた。 「クロード・シャルル様、イザベラ嬢のご来賓の方ですね。お待ちしておりました。こちらのバラを胸にお付け頂いて、左手の扉からお入りください」 「ありがとうございます。あ、ちなみにお手洗いはどちらに?」 「左手の扉の通路を真っ直ぐ行って頂くと左手にございます」 「ご丁寧にどうも」  青年から受け取った真っ赤なバラをそのまま胸ポケットに差し込んで、クロードは笑みを貼り付けたまま会場の扉を通り過ぎて、トイレに向かった。  修羅場になりかねない場所に乗り込むには、諸々の準備が必要だから。  幸いなことに、トイレには誰一人居なかった。用を足すわけでもなく、洗面カウンターの前に立ったクロードは蛇口を思い切りひねった。勢いよく流れ出す水。排水口に渦を巻いて流れていく水をみながら、カウンターに両手を付いて、大きく息を吐き出す。  この場で何が起こっても、眉一つ動かすな。笑みを消すな。胸の裏がどれだけ荒れ狂ったとしても、表には一切出すな。笑顔で全部流せ。何かをするのは、この馬鹿げたパーティが終わった後だ。  頭の中で己に言い聞かせた。満足するまで何度も繰り返し言い聞かせて、水を止めながら顔を上げる。  鏡に映った自分の顔は、いつも通りの柔和な優男だ。右耳に光るパパラチアサファイヤが、少しだけ緊張に走る心臓を落ち着かせてくれた。そっと右耳に触れてから、クロードはトイレを後にして、会場へと足を向けた。  ウェルカムドリンクを受け取りながら会場内に入ると、すでに少しの熱気を帯びていた。  ざっと中にいる人間を見て、ああなるほどな、と納得がいく。  ダンテの組織の人間だけではなく、イザベラの父――アルマン・ファヴェーロの組織の人間も多くいる。つまり、これは婚約パーティを名目にした、二つの組織の会合を兼ねたパーティでもあるのだろう。ダンテとアルマンが手を組むとなれば、他の組織もうかうかしていられない。片方と関わりがあれば同じように取り入ろうとするだろうし、敵対しているのであれば両者が手を組む前に始末してしまいたいと思うのが普通だ。  だが、この貸家でこうしてパーティをすることで、手を出せなくしている。  この豪邸の貸主は、この地域ではかなり昔からギャングとの諍いを代々収めてきた家系であると聞いている。その家系が中立を掲げている以上、此処での乱闘騒ぎは許されない。当然、外から水を差すような行為もだ。それを破って今まで生き残った組織は、一つとしてない。    さて、同盟の打診をしたのは、果たしてどちらだろう。  大広間の壁際を陣取って、グラスを片手に思案する。  このパーティが開かれるまでの数日間、クロードは両者の状況を簡単にさらった。  集めた情報によれば、不穏な噂があったのはアルマンの組織の方だ。隣接した地域のギャングと一悶着あったらしい、という噂をアルマンのシマの住民に聞いた。あくまで噂で詳しくはまだ調べていないが、別の地域のギャングに組織自体が狙われているのだとしたら、ダンテたちと手が組みたいという十分な理由になり得る。また住民に聞いたらすぐ分かるようなことを、ダンテたちが調べてないとも思えない。  ただ、そんな慈善活動みたいなことを、ダンテがするのかと聞かれると首を捻ってしまうのだが。 「あれ、クロード?」  不意に声を掛けられた。見知った声に視線を向けると、そこには。 「ルカ? なんでお前が此処に?」 「それはこっちのセリフ。クロードがこんなところにいて大丈夫なの?」  足早に近寄ってきたのは、イザベラと同じ日に会ったルカだった。確かにルカはファヴェーロとも取引をしているだろうから、居てもおかしくはないのだが。  肩を竦めれば、ルカは眉をひそめた。 「もしかして、あの男が君を此処へ?」 「いいや。イザベラ嬢に呼ばれたんだ」 「イザベラが? 彼女、そんなに悪趣味だったんだ。意外」 「……意外?」  ルカの言葉の方が意外だった。クロードから見たイザベラは、一見清楚に見える高慢な女、である。品はあるが、趣味は良くない。あの短時間しか会話をしていなくても、それはヒシヒシと感じた。  なのにルカは、意外だ、と言う。ルカの観察力はクロードも一目置くくらいには鋭い。クロードが見抜くことを、ルカが見抜けないとは思えなかった。 「ルカから見たイザベラ嬢の印象はどんななんだ?」 「お転婆だけど、聡明で、人当たりがいい人。まあ実際に会って話したのは五年前……だったかな? それくらい前だから、その間に捩じ曲がっちゃったのかもしれないけどね」  五年で性格が変わるだろうか。幼少期に会った、とかならまあ分かる。だが、彼女はもう成人済みの女性だ。よほどのことがない限り、礼儀正しくはなっても捩じ曲がる確率はそう多くないはずだ。父親が言葉通りの溺愛をしているなら、の話だが。 「何か引っ掛かることでもあるの?」 「……ああ、ちょっとな」 「なに、気になる」 「悪いけど、今はまだ確信がないから言えない」 「なぁんだ、つまんない」  わざとらしく溜息を吐いてから、ウェルカムドリンクを飲み干したルカに、自分の分のドリンクも渡してやる。いいの、と目を輝かせた彼は嬉しそうにグラスに口をつけている。笑い混じりの息を吐いて、壁に背を預けたまま腕を組む。  場合によってはルカに力を借りることになるかもな。  そう思ったのと同時に、ベルの音が大広間に響き渡った。  一瞬にして大広間は静まり返る。  大広間の上座にあたる少し高くなった場所に、一人の男が現れた。屈強な肉体を持つ大男だった。そのまま、置かれていたマイクスタンドの前に立つと、男は言った。 「皆様、今日という記念すべき日にお集まり頂きありがとうございます。この度我がボス、アルマン・ファヴェーロがダンテ=スヴェトラーノフ様と同盟を結び、その証に、アルマンの娘であるイザベラ様とダンテ様が婚約することと相成りました。皆様には、そのご証人になっていただきたいと存じます」  脳筋っぽいのに案外知的なんだな。  とん、と軽く肘打ちされて横を見ると、ルカが眉を下げてこちらを気遣うように顔を曇らせている。ルカはクロードとダンテが恋仲であると知っているからこそだろう。ふっと息を吐いて笑って、大丈夫だ気にしてない、と指先で合図を送る。訝しげな顔をするルカから視線を離して、上座へと視線を戻した。 「それでは本日の主役にご登場頂きましょう、イザベラ様、ダンテ様です!」  興奮したように大男は言って、下座――つまりクロード達がいる方へ手を向けた。  え、とルカが零した驚きの声は、二メートルほど先の両開きの扉が開いた音にかき消されれる。  現れたのは、オフショルダーで深いスリットが入った深紅のロングドレスに身を包んだイザベラと、漆黒に星を散りばめたようなラメの入ったスリーピーススーツ姿のダンテ。更に言えば、二人は腕を組んで現れた。豊満な胸をダンテの腕に押し付けるようにしたイザベラと、涼し気な笑みを浮かべたダンテ。  盛大な拍手に包まれる会場。はぁ? と口を開けたルカを横目に見ながら、クロードはその二人から目を離さずに居た。  視線に気付いたらしいイザベラが、クロードを見る。  目が合ったその瞬間。  彼女の亜麻色の瞳が勝ち誇ったように歪んだ。嬉しくて仕方がないと言いたげに口元を歪めて、笑みを深めたイザベラ。極めつけにウインクまで投げて寄越すものだから、内心クロードは笑ってしまった。とりあえずわざとらしく見えないように拍手をしておく。  イザベラがダンテに顔を寄せて何か囁いたと思ったら、こちらを見た。その顔は意地の悪さがありありと出ているが、それどころではなかったのは、ダンテまでもがクロードを見たからだ。  心臓が強く一つ音を立てた。  目が合ったダンテは、笑った。  クロードがよく知る偽りのない笑みで。  へえ。お前、この状況でそんな顔するんだな。  腕を組んでいて良かった。もしも組んでいなかったら、手のひらから血が出そうなほど握りしめた拳を、誰かに見られてもおかしくなかった。  そのまま二人は、優雅に歩きながら大広間の上座へを向かっていく。  二人の後ろ姿を見つめたまま動かないでいるクロードに、ルカは恐る恐る声を掛けた。 「クロード、外に出よう?」 「――、いい。大丈夫だ」 「でも君、」 「俺は大丈夫だよ、ルカ」  何か言いたげに僅かに口を動かしたルカだったが、クロードの意思が変わらないことを知ってなのか、深い深い溜息を落とす。そしてクロードと同じように背中を壁に預けて言った。 「アイツを殺す時は言ってよね。絶対に手を貸すから」 「ははっ、ありがとな。その時はルカの言葉に甘えることにするよ」  いつまでも響き渡る拍手喝采が止むまで、クロードは少しの動揺も見せなかった憎たらしい背中を見つめていた。

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