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29.逢瀬

 急く気持ちを抑え込んで、闇と眠りに沈んだ街を単車で駆け抜ける。  早く会いたい。クロードと話がしたい。息が出来なくなるほどキスをして、逢わなかった間にクロードに何があったのか、全部聞きたい。その前にちゃんと謝らないといけない。連絡をくれたのに、こっちの都合で意図的に無視をしてしまったこと。都合が良すぎる、とクロードは怒るだろうか。でもいっそ、怒られる方が良い。他人行儀な態度を取られて、会話すらさせてもらえないよりはずっと良い。  大男のアーノルドから受け取った手紙の筆跡は、確かにクロードのものだった。  だから、きっと話をさせてくれるはずだ。  もう一度だけもらったチャンスを、棒に振るわけにはいかない。万が一、クロードに殺されるのならそれも良い。  だから右腕のジオスにも、何も言わずに此処に一人で来た。  昼間も来た門の近くに単車を止めてフルフェイスヘルメットを置いてから、門の前に進み立つ。  門番は、ダンテであることを確認すると門を開けてくれた。昼間のように、武器を預けろ、と言われるでもなく、ダンテを通すように半身にした門番の横をすり抜けた。  危害を与えることはない、とバレているのか、それとも一騎打ちをするつもりなのか。そのどちらでもないのか。  クロードはダンテの心をいとも簡単に読んでしまうが、ダンテは未だにクロードの心を全て読み解くことは難しい。出会った頃からずっと、クロードには振り回されてばかりだ。でもそうされたとしても、クロードの心が自分にあるのなら良い。自分のもとに身も心も帰ってきてくれるなら、それでも良い。  屋敷の扉は開いていた。  随分と不用心だな、と思うのと同時、ぬっと大男が姿を現す。アーノルドだった。ダンテを見下ろしてくる目は冷ややかだ。帰れ、と遠回しに言われるのかと思ったのだが。 「やはりボスの予想通り、正面からお入りになるのですね。全く肝の座った御方だ」  褒め言葉なのか嫌味なのか分からない言葉を投げられた。どういう意味だ、と少しだけ眼光を鋭くしたダンテに応戦することなく、アーノルドはくるりとつま先の向きを変える。 「ご案内します。どうぞ」  二人分の足音が廊下に敷き詰められた絨毯に吸われて、屋敷の中は静寂に満ちていた。  ファヴェーロの構成員はこの屋敷に見合うほどいるはずだが、人の気配を殆ど感じない。別館に全員待機しているのだろうか。大男の背中を見つめても、何の情報も得られなかった。  大きな階段を登った三階の突き当り。  ひときわ大きな部屋が一つあった。その両扉の前に立ったアーノルドは、三つ扉を叩く。 「ボス、ダンテ様をお連れしました」 「ありがとう、アーノルド。お前は下がって良い」  くぐもった声が聞こえてきた。確かにクロードだ。全身を駆け巡った熱。勢い任せに扉を開けようとしたダンテの手首を、アーノルドが掴む。睨みつけても冷静な黒の瞳は全く動じることはない。 「ダンテ様、くれぐれも我がボスに不躾な真似はされませぬよう」  その一言を置き土産に、アーノルドは手を放して去っていく。  背中を睨みつけたまま噛み締めた奥歯がぎり、と音を立てる。  余計なお世話だ。確かに今のクロードは彼のボスかもしれないが、ボスの前に僕の恋人だ。  そう思ったところで、いや、と思い直す。そもそもこうなるきっかけを作ったのは自分だ。最初からちゃんとクロードに何かしら告げていたら、こんな事態にはならなかったかもしれない。自業自得にも程がある。  ふーっと息を吐き出して、胸の内を落ち着かせてから、そっと扉に手を掛けて引いた。  扉の先。部屋の中央に置かれた応接ソファの、更に奥に置かれた執務机。  そこにクロードはいた。  椅子に座るのではなく、机に腰を掛けるようにして、腕を組んで瞼を閉じている。 「クロード」  扉が閉まった音を聞いたからか、それともダンテの呼びかけに反応したからなのか。ゆっくりとクロードが瞼を上げる。  最後に見た時と違わぬ、強い光を持った瞳がダンテを射抜いた。ぞくりとしたものが、背筋に駆け抜けていく。勿論恐れなんてものじゃない。殺気か怒りかが乗った眼光に、興奮に似たモノを覚えている。やはりクロードが言った通り、自分はドMなのかもしれない。  ただ、クロードの視線を独り占めしている。  たったそれだけでどれ程心が沸き立つか、きっとクロードは知らない。 「クロー、」 「ダンテ=スヴェトラーノフ」  近づきながら呼びかけた名前は、彼の声に遮られた。眼光は変わらず鋭く強い。そして、クロードが向けてきた銃口も、ダンテを心臓を確実に捉えていた。 「よくも一人でノコノコ来たもんだな。俺に殺されるとは思わなかったのか?」  ふっと笑いながら、応接ソファを越えてクロードとの距離を縮める。 「考えなかったわけではないけど。でもアンタに会える方法が、これしかないなら従うよ」 「……殺されると理解ってて来たってことか?」 「少し違うかな」  銃口を掴んで、己の胸に当てる。心臓がどくどくと音を立てている真上だ。クロードと話すだけで、目を合わせるだけで、ダンテの体には灼熱のような血が流れる。その事を知らないであろうクロードの栗色の瞳が、訝しげな色を発している。それに比べてその瞳に映る自分は、恍惚としている、と言っても過言ではない随分と緩んだ顔をしていた。 「アンタに殺されても構わないって思ってるだけ」  死を迎えるその時に、最後に映るのがクロードなら構わないと思っているから。これが罠だとしても、殺すために呼び出したのだとしても、全く構わなかった。むしろ本望だ。更に言えばクロードの手で殺した後に、ダンテ=スヴェトラーノフという存在が深い傷跡になって一生消えないでくれたら、それ以上望むことはない。  告げた言葉にクロードは、ハッ、と呆れたような笑いを零した。かと思えば、ゆっくりと銃口を下ろした。 「……ったく。少しくらい動揺しろよ。ホント、イカレたやつだな。お前は」  愛銃をホルダーに戻したクロードが顔を上げる。  その顔は、さっきまでの険が鳴りを潜めて、いつも通りの悪童のような笑みに戻っていた。伸ばされた手。指先が頬に触れたのがわかった。甘えるように頬を擦り寄せた途端、ぎゅう、と思い切り摘まれる。 「いひゃい、くろーど」 「いい気味だ、ばーか」  ふふん、と満足気に笑うクロード。  嗚呼、いつものクロードだ。僕が良く知る、恋人のクロードだ。  そう思った途端、勝手に動く体を止められなかった。執務机に押し倒すように襲い掛かる。クロードが背を痛めないようにすかさず回した腕の中で、うわっ、と驚いたような声が聞こえた。すかさず股の間に入り込んで見下ろす。両腕の檻の中で、クロードがぱちぱちと目を瞬いていた。  好きだ。  溢れた想いに誘われるように寄せた唇。なのに触れようとした直前で、手のひらで遮られた。 「何しやがる、バカ野郎」 「キスしたい。させて」 「するわけねーだろうが! だいたい今は、」  がちゃり、と扉が開いた音がする。クロードの声が遮られた。誰だ、と顔を上げたそこには。 「クロードさん、お風呂お先に頂いて、………キャッ!」  たっぷりとした亜麻色の髪を、バスタオルで撫でつけるバスローブ姿のイザベラが立っていた。  ダンテと執務机に押し倒されたクロードを見て、驚いたようにタオルを落としている。顔は熟れた果実のように真っ赤だ。  じっとイザベラを見た後、ゆっくりとクロードへ目を向ける。 「――なんで、アンタの部屋にイザベラが?」  自分でも分かるほど低い声がその場に響く。  まさか、クロードの心がイザベラに取られた?  思い当たるのと同時に、溢れ出した殺気は止められなかった。イザベラがその場にへたり込んだのも目に入らない。いつもの冷静さは何処へいったのか、考える間も無かった。  絶対に渡さない。  クロードは僕のものだ。  他の誰にも、渡してたまるものか。 「ッ、こんのッ、馬鹿野郎!」  後頭部を引き寄せられた次の瞬間、思い切り額に頭突きを食らった。あまりの痛さにその場に蹲ったダンテに見向きもせずに、クロードはさっと体を起こすと、しゃがみ込んでいるイザベラへと駆け寄っている。  なんで。アンタは僕を心配するべきだろ。  子どもじみた考えが痛む頭をぐるぐると回る。 「イザベラ嬢、大丈夫ですか?」 「え、ええ。あのッ、ごめんなさい、私、ダンテさんを怒らせるつもりは……」 「あの勘違いのバカは放っておいて大丈夫ですよ。とりあえず、ソファに座りましょう」  そっと体を支えるようにしてイザベラをソファへ座らせた後、クロードはまだ蹲っているダンテの傍までやってきた。はーっと溜息を吐いたと思ったら、もう一度弱い拳で頭を殴られる。 「いたい、くろーど」 「加減してるだろ。そもそも無害な女性に殺気を当てるなんてバカな真似するお前の自業自得だ、アホ。とりあえずお前もソファに座れ。順を追って説明してやる」  さっさとイザベラの隣に腰を下ろしたクロードに倣って、隣に座ろうとしたら、お前はそっちに座れ、と脹脛を軽く蹴られた。  渋々ローテーブルを挟んだ向かい側に座る。  バスローブ姿でその身を小さくしているイザベラを一瞥してから、クロードに目を向ける。 「何で貴女がクロードの部屋に?」  我慢出来ずにもう一度問い掛ける。  こんな状況に出くわして、心変わりを疑うのは当然だろう。自分の事を棚に上げているのにも構わず、ダンテの声は鋭くその場に響いた。  弁明しようと唇を震わせたイザベラを、クロードがやんわり制した。俺が、と言ったクロードに心なしが安堵しているように見える。  苛、といたものが腹に沸いた。 「お前は、俺がイザベラ嬢と逢瀬を、と勘繰ってるんだろうが、全くの見当違いだ」  はー、っと呆れたような息を吐いてクロードが言った。 「彼女が此処で湯浴みをしたのは、この屋敷には浴室がこの部屋にしかないからだ」  は? と思わず声が漏れた。  こんなに広い屋敷の中で、そんな事があり得るだろうか。構成員だって山ほどいるはず。それなのに、一つしかない、なんて。 「なんで?」 「……ちょっとは遠慮しろよ、お前」  クロードは、少しだけイザベラを見た。彼女の肩が僅かに震えている。クロードと目を合わせた彼女は、小さく頷く。  一つ息を吐いたクロードが、再び口を開いた。 「……アルマンは底無しのクズだった。娘の全てを自分で管理したがった。言動も行動範囲も食べる物も全てだ。現に彼女の部屋は、アルマンが使っていた寝室からしか行けない。それだけじゃない。……本当に、何でもだ。――お前なら、全て言わなくても理解できるだろ?」  思い返すのも悍ましく、口にするのも憚れるようなこと、というのは理解出来た。実際、影武者のサナも此処を『地獄』と言っていたし、多分だが、イザベラはアルマンから性的暴行を受けていたのだろう。予想のつく事としてはそのくらいだ。  イザベラが怒りに異様に敏感なのも、それなら説明がつく。 「イザベラ嬢、あとは俺が全部説明しておきます。貴女には休息が必要だ。部屋に戻りましょう」  やっと落ち着いたらしいイザベラにそう声をクロードは、彼女を支えるようにして立ち上がった。 「ってわけだから、お前は此処でちょっと待ってろ」  この部屋から出るなよいいな、と再三忠告してから部屋から出ていったクロードとイザベラ。その背中を見送ってからやっと、ダンテは、深い息を落とした。    

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