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41.傷痕を越えた先

 時々夢を見る。  父親にないものとして扱われていた昔の自分の夢だ。  幼い自分を少し離れたところから見ているのを認識して、夢だと気付く。でもそこで終わることはなく、壊れかけのテレビのように過去の記憶が流れていく。それをただ追って行く。  話しかけるな、と言わんばかりの父の背中。  話しかけても、冷ややかに落ちてくる視線。  ぼくは、いらない子なの?  そんな言葉を幾度も喉の奥に押し込んだ幼い自分。その様子を見ていた母に、あとで慰められる。ごめんね、ごめんね、と何度も謝られる。そんな母に幼い自分は思うのだ。  ああやっぱり、ぼくはいらない子なんだなぁ。  己の心が乾いてささくれ立っていくような感覚。花瓶で咲き誇っていた花束が、枯れ果ててボロボロに崩れていくのを見ている感覚とよく似ていた。  それを他人事のように、成長した自分が外側から見ているのだ。  幼い自分は、胸の内の渇きをどうにか潤したかった。  でも泣いてもどうにもならない。頑張ってもどうにもならない。そして父は、カサついた心に潤いを与えてくれることはなかった。  だから、逃げるように外の世界に飛び出した。  そこで、いつも夢は終わる。  ゆっくりと開いた瞼の先。  酷く整った顔が目の前にある。瞼を閉じて眠っているのが見えて、小さく漏れた笑い。  周りの人間が息を飲むほど美しい顔をしている男だと、いつも思う。そんな男が執着しているのが己だけだ、という事実が現実なのが未だに信じられない瞬間がある。  むしろ今見ている現実が夢なのでは。そうクロードに思わせることもあるが、そんな憂いをいつも吹き飛ばしてくれるのはほかでもない、いま無防備に眠りこけている美しい男――ダンテだ。  もう一度漏れた笑いを空気に放って、ダンテを起こさないように体を起こす。ゆるくなった腕の檻からは、簡単に抜け出すことができた。    またこの夢見たなぁ。  そうは思うものの、いつもだったら胸に蔓延る虚しさが、今日はない。  多分だが、その過去をダンテに打ち明けたからだろう。すぐにでも捨てたいのに、なぜだかずっと手放さずに一人で隠して抱え込んでいた思いを、彼に話した。  誰かに話すと悩みは軽くなる、なんて俗説を今までは鼻で笑い飛ばしていたけれど、案外本当なのかもしれないな、と思う。  実際問題、クロードはこの幼い頃の記憶にずっと囚われていた。  過去の夢を見るたびに、過去の自分の感情を反芻して感傷的になる。前に同じ夢を見た時ダンテに、お前はずっと俺を追いかけててよ、なんて女々しいことを言ってしまうくらいには、ずっと縛られていたと思う。 ――お前はもう要らない ――アンタはもう要らない  冷ややかな目にさらされながら、そう言われることを想像して、酷く体が冷える感覚がふと湧いて出る。そのたびに、自分の居場所を確認するようにがむしゃらに情報を取りに駆け回った。  本当は、ほんの少しだけ期待していた。  家から飛び出した自分を心配して、父親が連れ戻しに来てくれるんじゃないか。 ――心配した。家に一緒に帰ろう。  そんな馬鹿みたいな期待が、現実になることは終ぞなかった。それが余計にクロードを意固地にさせたし、惨めにもさせた。ある意味諦めが良くなったのは、この過去のせいかもしれない。  いまでもこの毒は、クロードの中で残り続けている。  大切な人ができても、離れていってしまうのではないか。  飽きられる日が。  要らないと言われる日が。  いつかくるんじゃないか。  そんな臆病が、未だに胸の奥に張り付いたまま消えてくれない。  でも、と思いながら、ダンテを見やる。  相変わらず憎たらしいほど綺麗な顔をした男は、言った。そんな過去があったから、僕はアンタに会えた上に今は恋人だ、と。  嬉しかった。あの時の自分が肯定された気がした。過去の自分の悔しさや遣る瀬無さが、今に繋がっていると、ほかでもないダンテが言ってくれた。  確かに、と思ったら、知らない間に涙が溢れていた。あの選択をした自分は無駄じゃなかった。生まれてこないほうが良かったのかもしれない、なんて思った自分も、無駄じゃなかった。そう思えたから。  挙句、地獄の果てまで迎えに行く、と言ってくれた。  肉親は一度だってそんなことは言ってくれなかった。でもクロードが何よりも欲しかった言葉を、ダンテがくれたのだ。  はっきり言って、コンプレックスの塊である兄に会うのは嫌だった。己の胸の奥に隠した傷を、自ら抉り、膿ませ、腐らせるのと同等の行為だったから。  でも、今はそれほど重く捉えていない自分がいる。  もしもアンリに、家に戻ってきてくれ、と言われても今ならはっきりと、嫌だ、と言える。  もうあの家には戻らない。戻りたくない。  一緒にいるのに、自分だけがないものとして扱われるような場所に、帰りたいなんて微塵も思わない。生き抜いて死に絶えるまで、今はダンテのそばにいたい。  都合の良い自分になんてなってやらない。  その揺るがない本音を持って、アンリに会うことが出来る。 「ありがとな、ダンテ」  手を伸ばしてその頭を撫でる。静かで穏やかな寝息は止まることはない。緩んだ頬をそのままに、ベッドから降り立ってぐっと伸びをする。ちらりと見た時計は、10時を指していた。    今から着替えれば昼前には兄さんに会えるかな。  こういう面倒なことはさっさと終わらせてしまうに限る。そもそも治安も安定せず無法者が蔓延る此処は、兄のような人間がいるべきところではない。万が一を考えれば長居させないのが無難だ。  そうと決まれば、早速準備を始める。ダンテは、と一瞬思うが首を横に振る。  彼は寝かせたままでいいだろう。緊急の用事を知らせてくれる通信端末も、いまは沈黙している。ジオスにも、あの人はいざとなったら動けるので、とのお墨付きだ。休めるうちに体を休めておいてほしい。  クローゼットから、お気に入りのシャツとスリーピーススーツを取り出して、身を小綺麗に整えていく。  その間にも思考を巡るのは、兄・アンリのことだ。  素直に帰るようなタイプではないけれど、クロードの意思は尊重してくれる人だから、無理に連れ戻すことはないだろう。ただし、のっぴきならない理由があるのなら話は別だ。  帰る気は毛頭ないけど、困っているなら手を貸すのも考えないとな。  最後の仕上げに、ダンテからもらったパパラチアサファイアのピアスを耳に嵌め込めば、準備は終わりだ。全身鏡で一度確認してから、ダンテの方を振り返った。 「……、もういくの、くろーど」  空耳かと思ったのは一瞬。掠れた声の後に、のそのそと上半身を起こしながら目を擦っているダンテがいたから。ふはっ、と笑いながらベッドに近寄る。 「悪い、起こしたか?」 「んーん、みおくりたかっただけ」 「ははっ、お前そんなに甲斐甲斐しいやつだっけ?」  誂うように聞いてやれば、キッと赤混じりの灰色がこちらを睨んでくる。でも寝起きのせいで、その威力は半減どころかほぼゼロだ。 「いつもそのつもりなんだけど」 「はいはい、いつもお前は完璧だよ。助かってる、ホントに」  不満そうに眉を寄せているが本当のことだ。  助かっている。本当に。そもそもダンテがいなければ、今頃自分は廃人としていいように使われるだけの人生、否、人生なんて呼べないほど酷い生活をしていただろう。それを食い止めてくれたのは、ダンテと彼の組織の人たちだ。自分のために労力を割いてもらって申し訳ないと思う反面、感謝もしている。あまりダンテには伝えたことがなかったけれど。  じっと見上げてくるダンテに笑って、慰めるように額にキスを送る。 「……口が良かった」  駄々っ子のように口を尖らせたダンテに笑って、囁く。 「帰ってきたらいくらでもしてやるよ」  いろんな感謝を込めて、彼が飽きるくらいしてやるつもりだ。にんまりと笑ったダンテが伸ばしてきた指先に項を撫でられた。 「クロードが言ったんだからな。絶対だよ」 「いい子で待てができたらな」  ダンテの頬にもう一つキスを落としてから、名残惜しさを振り切って体を離して笑う。 「じゃあ、行ってくる」  玄関を出ると、いつの間に手配したのか、ダンテがよく使っている黒塗りの車が止まっていた。出てきたクロードを招くように、勝手に扉が開く。助手席の窓から中を覗けば、いつもの運転手が、朗らかな笑みで会釈してくれる。  あいつ車まで回してくれたのかよ。  自分にはもったいないくらい本当によくできた男だ。寝室の窓を見上げると、そこには上裸姿のダンテがまだ眠そうな顔のまま立っていた。手を振れば、不器用か、とツッコミを入れたくなるぎこちなさで手が振り返された。  胸に灯った温かさ。これならきっと大丈夫だと強く思えたクロードは、ダンテから目を離して車に乗り込んだのだった。  出る前にした約束を守れなくなるなんて、この時のクロードは知る由もなかった。

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