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43.漏れた期待

 アンリとの会話は思った以上に弾んだ。  アンリが質問をして、クロードが答えるという感じの流れで、淀みなく言葉にしていく。  情報屋みたいなことをしている、という話はしたものの、深くは話さなかった。  無法地帯であるこの地域では罪に問われなくても、足を外に出せば法に裁かれるようなこともしているから。  仕事自体に誇りは持っている。  だが、世間的に誇れる仕事か、と言われると必ずしもそうではない。身を売るようなこともしたし、人の命を奪うことも未だにある。致し方なかった、なんて言い訳はしない。クロード自身がそれを選んだ。  だが肉親にそれを告げるのは、流石にどうかと思った。  弟が犯罪に加担していると知ったら、どうなるか予想がつかない。罵倒されて縁を切られるくらいだったらまだ良い。ショックのせいで、心臓が止まってしまうなんていう可能性もゼロじゃない。多くの社員を抱えている社長が倒れたら、一大事だ。  だが、アンリのことを考えれば、ショックを与えてしまった方が良かったのかもしれない。自分のことなんて忘れてしまったほうが良い、とクロード自身も思っている。  ほぼ絶縁状態だったとは言え、クロードの存在はアンリの地位を揺るがす可能性もある。父親の地位が揺らぐのは、ざまあみろ、と思うくらいには爽快感があるが、アンリの場合は罪悪感の方が大きい。  出来ることなら、平穏に、末永く良い人生を送ってほしい。  母にも同じ事を思うから、元気であることとなんとかうまくやっている、ということしか手紙には書かなかった。体に気をつけてほしい、長生きしてほしい、と綴っていつも終えていた。  自分に構うことなく、笑顔でいてくれたら良いと思う。  それが、アンリと母に望むことだ。二人に魔の手が伸びた時もどうにか出来るように、密かに何でも屋であるルカ・ブラックにも時々、金を払って様子を見に行ってもらっている。  だから彼らには知られなくて良い。  自分がどんな人生を送ってきたかなんて。  心労を重ねることなく、穏やかな日々を送ってくれたらそれで良いのだ。  自分の全てを知っているのは、ダンテだけでいい。 「おっと、もうこんな時間か」  アンリの声に意識を戻す。時計を見ているアンリの向こう側の空は、確かに日が傾き始めていた。柔らかな笑みを零したアンリは言った。 「長く引き止めてしまったね。ごめん」 「いいよ。今日は何も用事入ってなかったから、あとは帰るだけだし」 「でも突然だっただろう? 僕のために時間を使ってくれてありがとう。クロードと話せて本当に良い日だったよ」 「俺も、兄さんと久々に話せて良かった」  ゆっくりと立ち上がれば、同じようにアンリも立ち上がる。クロードが動くよりも早く、アンリがこちらに寄ってきて、抱き締められた。 「此処に来てくれて本当にありがとう、クロード。君の行く道が幸多いものであるよう、別の地から祈ってるよ」 「ありがとう。兄さんも元気で」  一度強く抱きしめてから体を離す。見た顔は満足げだった。 「じゃあ、また。兄さん」 「うん。今度はクロードから会いに来てね」 「ははっ、気が向いたらね」  ひらりと手を振って、ラウンジを後にする。  アンリと話せたのは、クロードにとっても有意義な時間だった。彼と話しているうちに、ずっと前から残っていた胸の内の傷が少しずつ薄まっていく気がした。流石に全部は消えてくれないけれど、それでいい。傷ついたままでもいいと思える自分がいる。  小さく漏れた笑い。どれもこれも、ダンテが背中を押してくれたおかげだ。多分本人は背中を押した、なんて微塵も思っていないのだろうけれど。  ダンテには助けてもらってばかりだ。  そんなダンテに早くご褒美をあげるために帰ろう。 「クロード・リヴィエール様、ですね?」  そんな事を思ったのと、背中に声が掛けられたのはほぼ同時だった。振り返ろうか迷ったのは一瞬。でも足は止まってしまっていた。ゆっくりと振り返る。  視線の先にいたのは、見覚えのない男だった。スーツを着込み、黒髪をワックスでオールバックにしたメガネの男。初めて見る顔だし、クロードのことをリヴィエールという姓で呼ぶ辺り、己の過去を調べた何者かだろうか、と考えながらにこりと口に笑みを乗せる。 「どなたですか?」 「リバー社の秘書をしております。名を名乗るほどの者ではありません」 「秘書?」  訝しげな顔をしてしまったのは、アンリが秘書を連れてきた、という話は聞いていないからだ。そもそもダンテは、アンリは単独で来ている、と言っていた。リバー社は確かに父が創立し、兄が継いだ会社で違いないが、果たして。  メガネの男は、クロードの疑念を察したのか再び口を開いた。 「私はアンリ様の秘書ではありません。貴方やアンリ様の父である、オリバー様の秘書です」  わずかに肩が震える。どうして父の秘書が此処にいるのか。  メガネの奥の黒い瞳を見つめても、何も分からせてはくれない。もう一度笑みを浮かべて、再び尋ねる。 「父の秘書である貴方がなぜこんなところに?」 「失礼ながら、アンリ様の尾行をさせていただきました。――貴方に会うために」  ますますわからない。なぜ父の秘書が自分に合う必要があるのか。会社を継いでいるのはアンリで、自分は絶縁状態。そんな中で自分にある必要性なんて何処にもない。 「必要性を少しも感じないのですが」 「オリバー様の依頼です」  どくりと心臓が鳴る。  父さんが、俺に?  そんなわけがないと思う自分と、期待している自分。そんな心内を冷静に見ながら、もう一度問いかける。 「父とは絶縁状態だったのですが。父は貴方にどんな依頼を?」 「オリバー様が貴方に会いたい、と」  はっ、と鼻で笑いそうになった。寸でのところで止めた自分を褒めてほしいくらいだ。あの父が俺に会いたいなんて言うわけがない。それこそ危篤ならまだしも。そんな重体ならば、家族思いのアンリが言ったはずだ。一度でも父に会ってくれないか、と。  でもそんな話は一言も聞いていない。  そんな疑念に答えを提示したのは、奇しくもメガネの男だった。 「オリバー様はつい先頃まで入院されていました。しかし貴方に会うために、仮退院までして今この地域に来ていらっしゃいます」  また心臓が鳴る。本当に、父さんが? 滲み出た期待が止められない。会いたいと父さんが思ってくれているなら、会っても良いんじゃないか。そんな幼い自分が声を上げる。期待しても無駄だと散々思い知ったくせに、それでもまだ期待するのを止められないのか。冷静な自分が冷笑する。  胸の内が荒れ狂っている。それでも、思考だけは冷静だった。  静かに息を吐いてから、メガネ男の瞳を見つめて言った。 「……わかりました。それで、父は何処に?」 「ご案内します」  くるりと背を向けた男。その背中を見つめてから、スラックスのポケットに手を入れる。端末に触れてあるボタンを押して、端末からバイヴの反応が返ってきたのを確認してから、男の背中を追いかけた。  ***  荒々しい足音がホテルの廊下に響いている。  鬱陶しい前髪を後ろに流しながら、思わず舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、ダンテは足を動かしていた。  ラウンジにいると聞いた男に会うためだ。  スタッフが駆け寄ってきそうになるのを、もう恒例化している行動で制して、更に足を進めていく。  窓の外はすでに暗くなっていて、もうラウンジもディナーモードに切り替わっている。だというのに、一向にクロードが帰ってこない。  いくら兄弟とはいえ、クロードの時間を使いすぎだろ。  とうとう漏れた舌打ちとともに、アンリがいるであろうVIP席に入る。  ダンテの姿を見たアンリは、驚いたように目を丸くしていた。それに構うことなく、向かい側の席を見る。そこにクロードの姿はない。トイレにでも行ってるのか、とテーブルに視線をやる。卓上には、一人分の飲み物しか置いていない。思わず眉が寄る。 「ダンテ=スヴェトラーノフ? なぜ君が此処に?」 「クロードは?」  質問を無視して問いかける。敬語なんかに気を使っている余裕は、今のダンテにはなかった。えっ、と困惑を露わにしたアンリが口を動かす。 「クロードとは二時間前には別れたよ」  その言葉は卓上に飲み物が一人分しかないことで、すでに予想していた。癪だがアンリ・リヴィエールの評判はスタッフからも良い。気遣いができるし、わざわざ足を運んでくれた人に飲み物一杯すら出さないなんてことはありえない。  はぁ、と溜息を吐く。 「クロードは帰り際なにか言ってた?」 「真っ直ぐ帰ると言っていたけれど。まだ帰ってきてないのかい?」 「ああ。連絡一つない」  ダンテに連絡が来ないのは問題ない。いつものことだ。しかし行きに送らせた運転手にも全く連絡がないという。自分に連絡がないのは分かるが、運転手にも連絡がないとなれば話は変わってくる。  これは何かしらの厄介事に巻き込まれた可能性が出てきたな。  ダンテがそう判断した直後、通信端末がけたたましい音を立てた。  目の前にアンリがいるのも構わず、端末を耳に当てる。 「俺だ」 「ボス、クロードさんの端末から救援信号が」  はぁ、とまた溜息が出た。  クロードの端末には特殊な加工がしてある。あるボタンが押されてから二時間以上経った場合、自動的にダンテたちの組織に信号が届くようにしている。もちろん本人も了承済みだ。身の危険を感じたら使って、と言ったダンテに素直に頷いてくれた。もしも間違いだった場合は、すぐにクロードから連絡が来るようになっているが、それもない上でのこれだろう。 「……やっぱりか。場所は?」 「国境にある山奥からです」 「今すぐ向かう。すぐ地図を送れ」 「待って下さいボス! 単身で行くのは危険です!」 「精鋭を集めて向かわせろ。俺は待たない」  咎めるような声が聞こえたが無視して通話を切った。単車で来たのは正解だった。これならすぐに向かえる。  踵を返そうとしたダンテを引き止めたのは、アンリだった。 「待ってくれ! クロードは危険なことに巻き込まれているのか!?」 「救援信号が飛んだってことはそうだろうね」  出口に向かおうとしたのに、その腕をアンリに掴まれた。小さな舌打ちが漏れる。それでもアンリは食い下がった。 「僕も行く! クロードが心配なんだ」 「断る。貴方が来ても足手まといになるだけだ」 「でも、ここでじっとしてるわけにはいかない! それに……、僕が巻き込んだ可能性もある」 「は? どういうことだ」  思わず低い声が出た。巻き込んだって何の話だ。胸ぐらを掴みそうになった衝動を抑えて、代わりに己の手を握りしめる。  怒気がこもった声と視線に気圧されたのか、アンリは頭を少し下げて重々しい口を開いたのだ。

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