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特異更生施設①
お母さんが、すすり泣いている。
お兄ちゃんが、にやりと笑った。
ひざを抱えて、できるだけ小さくなる。
そうしたらそこは、ぼく専用のシェルターだ。
「……ぜったいに、許さない」
「これ、ひどくないですか?」
夕陽は強がってみせた。
消毒用のアルコールの匂いがする。今、自分がいる場所はとても衛生的で、つけいる隙のない空間のようだ。
白い布で視界は遮られ、椅子にロープで太ももを縛り付けられている。立ち上がることはできないし、緊張で頭の回転も思うようにいかない。心が折れたら負けだ。助けてと叫びだしたい感情を無理やり押し込める。
「手荒な真似をして申し訳ございません。秘密保持のため、契約内容の確認終了まではこのような対応をとらせていただいております。」
そう言う男の口調は、丁寧だが温かみが一切ない。
先日、面接に合格した。知人から紹介された、住み込みで働く仕事だ。給料も、なかなかいいらしい。ちょうど今住んでいる所から出て行かなくてはならなかったため、そういった点においてもピッタリだ、と思い、二つ返事で引き受けた。
すぐに『説明会のお知らせ』という封書が届いた。一応正装をして、指定された時刻に指定された場所へ向かった。しばらくするとぶかぶかのスーツを着た男に名前を呼ばれ、グレーのワゴン車へ案内された。
それからは「秘密保持のためご協力ください」を繰り返されて、少しずつ自由を奪われていった。知人の紹介でなければとっくに逃げ出していた。
「こちらの映像をご覧下さい」
男が夕陽の視界を解放する。自分をこんな目に遭わせている男の顔をチラリとのぞき見た。この男もスーツを着ているが、ワゴン車の男と違ってピシッとしている。それがさらに、冷たい印象を与えた。
周りを見渡すと想像した通り、病室みたいな部屋の中に連れてこられていた。白を基調とした造りで、ベッドとテーブル、今、自身が括り付けられている椅子があるだけだ。なんとも殺風景な部屋の中で、それにそぐわない、重くて頑丈そうなシルバーの扉が際立つ。
目の前のテーブルにはタブレットが置かれていて、何かの動画のサムネイルが映し出されている。すぐに再生ボタンが押された。
白衣を着て長い黒髪を一つにまとめた、地味な女性が画面に現れ、一礼する。
『特異更生施設で働き始める方へ~専属ケアテイカー編~』
そうタイトルが表示された後、重ねている音の少ない、軽快な音楽が流れ始める。
淡いブルーで、セパレートタイプの病衣を着た人々が、充実した笑顔を浮かべる。生活スペースや医務室、ショッピングエリアや公園、大浴場等の映像が流れ、女性の間延びした話し方でアナウンスされていく。
この施設は、不運にも罪を犯してしまった患者様を独自のカリキュラムにより、速やかに社会復帰させることを目的とした、政府公認の更生施設です。
当施設へ入所された患者様の準備が整い次第、優れたメンタルケア技術を持つ専門家による治療が開始されます。
専属ケアテイカーとは、この専門家の付人として、治療の手伝いや環境の整備等のサポートをしていただくお仕事です。
従事期間中は、独自性の強いカリキュラムや患者様の情報を守るため、外部との接触は制限させていただきます。
専門家が治療に専念出来るよう、当施設は設備を充実させております。専属ケアテイカーの皆様にも、外部との接触を制限させていただく分、快適な生活をお約束いたします。
ご利用いただける設備の詳細につきましては、後ほどお配りするパンフレットをご確認ください。
皆様のご活躍を応援しております。
夕陽は、自動車運転免許の更新時に見るVTRを思い出した。
スーツの男がタブレットを無言で片づける。
「先程も確認があった通り、当施設は機密の漏洩を防ぎ、患者様のプライバシーを保護するため、特別な措置を取っています。万が一、情報の取り扱いを誤った場合には、相応の法的措置を取らせていただきますので、あらかじめご了承下さい」
夕陽の前に、紙とペンが置かれる。紙には、とても小さな文字がびっしりと書かれており、全部読むにはかなりの時間が必要だ。隅々まで確認しているふりをして、給与について書かれた部分だけ目を通した。今までの仕打ちとか、いかにも怪しげな組織であるとか、政府公認なんて言ったもの勝ちだろうとか、そんな諸々の懸念事項を一瞬で吹き飛ばす内容であった。
「こちらのご契約内容に同意いただけるのであれば、サインをお願い致します」
多分、どうとでもとれる文章がたらたら続いているだけで、読んだところで答えは一つしかない。だから夕陽は、すぐにサインに取りかかった。
「サインいただけましたら、施設内の説明と、当施設はご年配の患者様も多いため、感染症予防として医務室にてメディカルチェックを受けて頂きます」
「はい、サインしました」
スーツの男は紙とペンを仰々しく受け取り、確認をしてからアタッシュケースの中にしまった。
拘束を解かれ、夕陽は、物理的には自由の身となる。
スーツの男が夕陽にドッグタグを手渡した。プレートには『特S5』とだけ刻まれている。
「そちらのタグは、社員証のような物とご理解ください。施設内の移動や、身分証明に必要となりますので、常に首から下げ、確認が取れる状態にしておいてください」
夕陽は、なんだか管理されているみたいで嫌だな、と思いながらも素直に従った。
「それでは、こちらへどうぞ」
施設内もまた、白を基調とした内装だった。映像で見た淡いブルーの病衣を着た患者や、白衣を着た医者と何人かすれ違った。更生施設、というのは、どうやら本当らしい。白が明るいはずなのに、窓が無いのが原因か、全体的に青暗くて気分が沈む感じがした。施設内はとても広く、どこかへ続く廊下はいくつもの扉に阻まれ、その度にドッグタグをかざさなくてはならなかった。
その中でも特に厳重だったのが、医務室への道だ。長い廊下を歩き、3回ほど角を曲がった先に、いかにもな扉が現れた。最後の扉は、暗証番号と指紋認証によるロックの解除だった。
扉が開き、程よい薬品の匂いが鼻腔をくすぐる。何重もの扉であれだけ厳重に守られていたにしては、質素でこじんまりとした空間だ。夕陽は、高校2年生の時に貧血で倒れて初めてお世話になった、保健室の事を思い出した。
「やあ、いらっしゃい」
シルバーフレームの眼鏡が似合う、ガタイの良い白衣の男が、夕陽たちをピカピカの笑顔で迎えた。
「私はここの専属医をやっているアリマだよ。よろしくね!さあさあ、疲れたでしょ?まずはお茶でも飲もう」
「ドクター、後は頼みます」
「はーい、ご苦労様ー」
スーツの男はいとも簡単に、医務室を後にした。扉がすいすいと開く音が続く。
しばらくして、医務室で聞こえる音は電子機器の動作音だけになった。
「夕陽、よく決断したね」
「……あーちゃん」
アリマが夕陽の頭を撫でる。夕陽はそれでやっと緊張から解放された。アリマに抱きついて、白衣の匂いをおもいっきり嗅ぐ。薬品の匂いがするだろうと予想していたが、コーヒーの香ばしい香りが染みついていた。
アリマは夕陽の従兄弟で、幼いころからよく面倒を見てくれていた。この仕事もアリマが紹介してくれたうちの一つだった。
「ごめんね、夕陽。私がこんなところで働いていなければ、近くで、もっと早く力になってあげられたのに」
「ううん。あーちゃんがいなかったら、父さんから逃げることも、母さんを入院させてあげることもできなかったよ」
しばらく、再会を喜び合った後、夕陽が決意を改め宣言した。
「あーちゃん、俺、絶対うまくやるから」
「うん。そのために来たんだもんね。私も全力でサポートするよ。ただ……」
アリマが腕を組む。これは昔からある、想定外の事態が起きた時の彼の癖だ。変わらないものを見つけ、懐かしかった。アリマが勉強を教えたにもかかわらず、夕陽のテストの点数が一向に上がらなかった時によく見受けられた。あの時は、アリマが家に来てくれるのが嬉しくて、わざと間違えて点数をコントロールしていたわけだが、今回はそういった細工は無い。
「何か問題?」
「うーん、まだそうとは限らないというか……順番に話すね。ひとまずお茶にしよう」
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