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プロローグ
「結婚とは“誰とするか”ではなく、“誰に選ばれるか”だ」
西暦2100年を迎えた日本では、子供たちにそう教えられるのが当たり前になっていた。
自由恋愛など、もはや幻想。
より良い条件の相手と、より早く未来を確保すること。それが“正解”とされた。
もともとは富裕層の間で復活した“許嫁制度”──
仲人が家柄や遺伝、将来性を照らし合わせ、子どもの結婚相手を探す仕組みだった。
しかし、少子化の加速により、それは国家レベルの制度へと変貌する。
恋愛に任せていては人口が減る一方だ。そう判断した国は、結婚制度そのものを「奨励」から「強制」へと転換した。
『結婚している子を持つ親に、医療・介護・税制面での優遇措置を与える』──
そんな法律が施行されたのだ。
もはやこの国では、「結婚」とは家族を守るための義務であり、
「許嫁」は、子どもの“社会的価値”を証明する肩書きとなった。
マッチング対象は全国規模。
18歳までに相手が見つからなければ、“価値がない”とみなされ、制度の枠外へ追いやられる。
──だから、6歳で許嫁が決まることは“勝ち組”の証。
美しい容姿、良い血筋、整った家柄。
それだけで人生は保証され、親は子を“商品”として磨き上げていく。
一方、“選ばれなかった子”は、未来を保留されたまま、“倉庫”のような施設に収容される。
──僕が育ったのも、そんな場所だった。
児童婚活支援施設「未来華」。
名前だけは綺麗だが、実態は「売れ残り」を一時的に管理する場所。
僕は事故で両親を失い、そこに預けられた。
男にしては華奢すぎる身体、喉仏のない首、低い身長、そして高い声。
──選ばれる要素なんて、ひとつもなかった。
時には、年老いた大人との“疑似家族”としてのマッチング。
性的な需要や介護要員として、子どもが扱われることもあった。
演技指導、話し方、立ち居振る舞い──
施設で教えられるのは“売れるためのスキル”ばかりだった。
そんな中、施設長の水谷はある日、どこからか手に入れた女性の戸籍を僕に渡した。
「“佐倉青羽”なんて中性的な名前じゃ選ばれない。
今日から“美羽(みう)”を名乗りなさい。
従順で、女の子らしい名前の方が、欲しがられるわよ」
それは、僕が生き残るために選べる、唯一の道だった。
この制度では、結婚生活が3ヶ月続けば、仲人に報奨金が支払われる。
“未来華”の運営は、その金で成り立っている。
僕の成功は、施設の“実績”となり、水谷の権力と資金を増やす手段になる。
そのために、僕は名前も性別も人格さえも、商品として磨かれ、差し出された。
──
「選ばれたわよ。これで施設を出られるのね。運が良かったわね」
そう笑った職員の顔を、僕は忘れられない。
でも、嬉しくなんてなかった。
それは“愛される”ための結婚ではなく、
ただ、“生き残る”ための出口にすぎなかったから。
**
「──おめでとうございます。これで、お母様を施設に入れられますね」
青木誠司は、その言葉を聞いてようやく深く息を吐いた。
婚姻届と登録カードに記された名前──佐倉美羽。18歳。在学中。
孤児院出身。
誠司、37歳。年齢差は19歳。
だがこの国では、誰もその歳の差に疑問を抱かない。
結婚は感情の問題ではなく、社会の仕組みになっていた。
特に35歳を超えた男が結婚するには、金か権力が必要だ。
誠司が大企業に勤めていたことが、結婚への“許可証”になったのだ。
──老いた母に優先的な介護枠を与えるには、まず息子が“既婚”であること。
それだけの理由で、この婚姻は成立した。
だが誠司は、利用する以上、相手を尊重すると決めていた。
どれほど形式的な結婚であれ、彼には妻に決して話せない秘密があったから。
「愛はないかもしれない。だけど──不自由にはさせない」
偽りの希望ではなく、確かな安心を。
それが、誠司なりの誠意だった。
──
一方、美羽は、施設の寮で着替えを終えたところだった。
淡いブラウス、長いスカート、整えられた髪、塗られた口紅。
鏡の中に映るのは、誰かになりきった“仮装”の自分。
これは男の顔じゃない──そう思ったが、言葉にする自由はなかった。
「今日からあなたは、“青木美羽”よ。いいわね?」
職員の言葉に、美羽は黙って頷くしかなかった。
施設に戻れば、次はもう外に出られない。
ただ働かされ、老いていき、忘れられていくだけ。
ここが“最後の出口”だった。
──性別がバレた瞬間、全てが終わる。
でも、バレなければ、ここより少しは自由に生きられる。
その希望だけを胸に、美羽は静かに扉を開けた。
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