59 / 59
エピローグ
空は、驚くほど澄んでいた。
やわらかな春の風が、頬を撫でていく。
ここは、山あいの小さな神社。
白木の鳥居の向こう、木漏れ日の差す境内に、今日ふたりだけの誓いが静かに刻まれる。
ふわりと、白無垢の袖が揺れた。
鏡に映る自分の姿は、まるで別人のようだった。
“青羽”だった頃の僕は、もうここにはいない。
そこに立っているのは、“美羽”という名前で生きることを選び、
そして、心からの愛で選ばれた──今の、僕だ。
「……似合ってるよ。すごく、綺麗だ」
振り向くと、誠司さんがいた。
黒紋付の羽織袴に身を包んだその姿は、まるで時代の絵巻から抜け出してきたかのようで、
胸がきゅうっと締めつけられる。
「誠司さんこそ……かっこいいです」
「ふふ、ありがとう。……でも、本当に綺麗なのは君だよ」
そのやりとりに照れながらも、僕はもう目を逸らさなかった。
今日、僕はこの人と──“夫婦”になる。
誰かに与えられた役割でも、誰かに強いられた立場でもない。
自分で選んだ、たったひとつの、愛のかたち。
──
やがて神主の導きで、社殿へと進む。
厳かな雅楽が流れる中、
誠司さんとふたり、並んで玉砂利を踏みしめる音が心に響く。
三三九度の盃を交わし、
誠司さんが、誓詞(せいし)を読み上げた。
「これよりのち、苦楽をともにし、互いに助け合い、
永き人生を誠実に歩んでゆくことを、ここに誓います」
その声が胸に沁みた。
──こんな日が来るなんて、かつての僕は想像もしなかった。
神前に玉串を捧げ、深く頭を下げる。
(神様、願わくば──どうか、この人の隣にいさせてください)
小さく、静かに。心の中だけで祈った。
──
式の最後、小さな机の上に置かれた桐箱。
中には、お揃いの結婚指輪が収められていた。
そういえば──誠司さんと“お揃いの指輪”を持つのは、これが初めてだ。
いつだったか、僕が何気なく「お揃いが欲しい」と言った。
その時、誠司さんは少し照れながら「じゃあ、結婚式のときに」と言ってくれていた。
その約束が、今日、ここで叶う。
「美羽」
誠司さんが、そっと僕の左手を取る。
「この指輪に込めた想いが、ずっと君を守ってくれるように──」
指輪が、やさしく、薬指に滑り込んでいく。
僕は、静かに誠司さんの左手を取り返す。
「僕も……あなたと生きていくことを、心から誓います」
想いを込めて、そっと指輪を贈る。
ふたりの視線が重なった。
言葉はもう、要らなかった。
すべてがここにある。
すべてが、本物になった。
風が、ふわりと吹き抜ける。
桜の花びらが、ひとひら、ふたりの間に舞い落ちた。
──そして、僕たちは、やっと本物の夫婦になれた気がした。
──名ばかり夫婦・完──
ともだちにシェアしよう!

