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第1話 番解消拒否①
「その噛み痕は、俺じゃない」
会社の上司である望月凌駕 は、感情の起伏を全て押し殺した口調でそう言い切った。
頸の噛み痕はアルファとオメガが番になった証拠。それがしっかりと刻まれている首許を見せても動じなかった。
東雲陽菜 がベータと偽りこの会社に入社して丸二年が過ぎていた。強い抑制剤の服用を続けながらも、普通に働けることに喜びを覚え、営業成績もトップを争うまでに成長していた。
しかし一週間ほど前、陽菜は会社でヒートを起こし凌駕に襲われた。
誰もいない会議室に連れ込まれ、その時、凌駕と一緒にいた黒川翔と二人から抱かれたのだ。
凌駕は陽菜の上司ではあるが、手の届かない存在。新人の陽菜が普段、凌駕と接する機会は殆どない。とはいえ全く接点がないわけでもなかったが、入社してからこの二年間に凌駕のアルファ性に当てられたことはなかった。
今回はどちらかというと、発情期の近い陽菜のオメガのフェロモンに、凌駕の方が当てられたというのが正しいだろう。
なので陽菜は凌駕を責めるつもりは毛頭ない。むしろフェロモンで誘惑した自分に非があると認めている。
凌駕は陽菜が本当はオメガだった事実を責めなかったが、断固として番になったことも認めなかった。
「何故、頸を噛んだのが俺だと言い切れる? あの時は、黒川だって一緒だったじゃないか。黒川には話をしたのか?」
なかなか立ち去らない陽菜に嫌気がさしているのか、口振りから苛立ちが伝わってくる。
黒川のところにはまだ出向いていなかった。部署が違うというのもあるが、番の相手ではないという理由が一番大きい。
確かにあの時、陽菜は強いヒートで意識が朦朧としていた。それでも凌駕だけではなく、黒川にも抱かれたことも一部始終覚えていた。
黒川は自分が一度達すると、満足して後を凌駕に譲った。着衣を整え、高みの見物のように近くの椅子に座って傍観者となった。黒川に抱かれている間、凌駕はオメガを犯すものかと必死に耐えている様子であった。
しかし下半身をしとどに濡らし、フェロモンを強く放っているオメガを突き出されると、アルファが我慢などできるはずはない。
ラット状態に入った凌駕は独占欲を剥き出しに、黒川を威嚇して追い出した。二人きりになった会議室で互いに激しく求め合い、何度も何度も絶頂を味わい、最後に凌駕は陽菜の中にたっぷりと精を注いで頸を噛んだ。
噛まれた瞬間だけではない、熱烈なキスも、息遣いさえも、全てはっきりと思い出せる。
「黒川さんは、頸を噛めないです。だってベータですよね。アルファは、望月先輩だけでした」
「なんだ。惑乱していても第二次性は感じるのか。それでも俺は認めない」
「でも僕が番解消の手術を受けないと、望月先輩に迷惑がかかってしまいます。手術はアルファの同意が必要なんです。お願いします、サインをしてください。手術費なんて請求しませんし、僕が目障りなら会社を辞めます。なので番の解消を認めてください」
勢いをつけて頭を下げた。
番がいて困るのは凌駕のはずだ。
オメガにとって、番がいるのは何かと都合がいい。発情期は楽になるし、他のアルファにフェロモンが届かないから襲われる心配もない。
陽菜のように一生独身を決意しているようなオメガには、メリットしかなかった。
しかしアルファは番を解消しなければ、本当に好きな人が現れたとて番になれない。これは凌駕にとって一大事のはずなのだ。
なのに説得する陽菜に対し、凌駕は怒りを露わにする。
「番解消、番解消……って、そんなに番が嫌か? 俺はそんなに邪魔な存在なのか? 番解消なんて選択を簡単にしてしまえるほどに?」
「望月先輩?」
「……仕事に戻る」
ひと時、凌駕は頭を抱えて取り乱した自分を抑えていた。こんな凌駕を見たのは初めてだ。いつだって要領良く仕事をこなし、人望もあり、男女問わず憧れの的になっているような人だ。
番解消を認めない理由は想像もできない。
言葉に詰まり何も喋れないでいる陽菜をおいて、凌駕は立ち去った。
一人きりになった会議室で、陽菜は凌駕の言葉の意味を考える。
さっき陽菜を責めるように放った言葉は、なんとなく違う誰かに向けられていたように感じて戸惑ってしまう。けれど詳しく訊ねる訳にもいかず、呆然としてしまったのだ。
本来なら、このまま凌駕から退社を促されても仕方ないと思える事故だった。
けれども凌駕の言動を整理すると、陽菜を抱いたことは認めた上で、陽菜との番関係を続けるつもりとしか思えない。
凌駕には今現在、恋人はいないようではある。それは社内の女性がこぞってその立ち位置を狙っているので間違いないだろう。凌駕は社交的な人柄であるが、誰とでも付き合ったりするタイプでもない。相手が誰であれ誠実に向き合ってくれる人だ。女避けに陽菜を使うような人とも思えなかった。
だからと言って陽菜のことを好きなわけでもなく、番でいていいわけはない。
陽菜は営業部には戻らず、その足で黒川の許へと出向いた。
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