1 / 6

第1話 空撃ち

 冷たい銃口がこちらを向き、引き金が引かれた。  カチッ—————  まるで情け無い、そんな空虚な音が響いた。  それが全ての合図だった。 なんの合図だろうか。新たな死?あるいは、死より壮絶な、生か。  アイクはその皮肉に、渇いた笑いをこぼした。  相手の顔がみるみる内に、苛立ちに満ちる。身体を震わせ、こちらを憎そうに睨む。  ナイフは?なぜナイフを出さない。それか、今すぐ殴り殺せばいいだろう。それともドイツ兵は、そんな面倒な殺し方はしないのか。  得意の毒ガスはどうした?手榴弾は??捕虜になった時のために、自爆の手立てくらい残しているだろう。  隆々とした筋肉の膨らみが、敗れた隊服の間から覗く。煤汚れてなお、その逞しい腕は汗を孕んで艶めく。よほど党首を崇拝しているのか? 「Scheiße!!」  彼は吐き捨てるように怒鳴り、小さな黒いハンドガンを、瓦礫に叩きつける。  アイクは、冷めた目でそれを見つめた。 「Warum nicht töten?」(なぜ殺さない?)  静かに問うと、ドイツ兵が驚いたように目を見開いた。  彼の目に、アイクはただ貧弱で学のないイギリス兵として映っていたからだ。 「なぜドイツ語を」 「イギリス人は全員バカだと思ったか?」  アイクは、流れるようなドイツ語を話した。皮肉は、彼の得意のものだった。  相手は逆上することはなく、しかしアイクの目の前に屈むと、その胸ぐらを掴み、背後の壁に押しつける。  しばしの沈黙。鋭い深緑の瞳が、至近距離でアイクを射抜いた。 「……そんな安い挑発に乗るほど、ドイツ人がバカだと思ったか?」  相手は、口の端をニヤリと上げる。逆に挑発を返すように。  男らしい、目鼻立ちのくっきりとした顔。彼は鋭くため息をついて、アイクから手を離した。  —————相手は馬鹿ではないらしかった。男は、状況をすでに知っている。  崩れた小さな町病院の一室。しかし、唯一の脱出口であるはずの窓には、大きな煉瓦が幾十にも重なり、外は見えない。  逃げ場はなかった。  上から突き刺さった大きな木の板の隙間から、かろうじて、一筋の小さな光が落ちている。  その一筋の光が、男の鼻筋を静かに照らした。 「生憎、俺は自決はしない。お前が手榴弾を持っていようと、俺を巻き込むな」  その背の高い男ははっきりとした口調で言った。  —————なんたる皮肉だろうか。  アイクは視線を落とした。  それが、全ての始まりだった。

ともだちにシェアしよう!