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第2話 はじめまして、さようなら
「Petals in the war pedals ….
Lighted yet fallen as ashes
The man sings the tragedy,
And the man rings the dignity…
The petals will fall, as the night falls 」
辺りに、砂利を被った紙がばら撒かれていた。
きっと、病院のカルテや書類だろう。横にはちょうどよく、ペンが落ちている。
今となっては、それがアイクの手を動かす、一つの真っ白な希望になっていた。
アイクは床にぐったりと座り壁にもたれかけていたが、やがて震える手でそれを拾い、文字を書いた。
それを見て、ドイツ兵はふん、と鼻で笑う。
男は数分前まで、脱出口を見つけようと石の壁や折れた木枠と格闘していたが、やがて向かいの壁にもたれ、床に座り込んだ。
「遺書か?律儀なことで……。誰かが見つけるとでも?」
その皮肉な物言いに、アイクは静かに首を振る。
「遺書を残す人間なんていない」
「………」
ここに閉じ込められ、もう数時間が経った。夕方になり、日が暮れ始める。
瓦礫の向こうの、遠い砲撃の音はとっくに止んでいた。
どちらが後退したのか、わからない。もうこの戦場に生者がいるとも、思っていないだろう。
「俺はごめんだ。故郷に婚約者がいる」
どうやら、諦めるつもりがないらしい。筋肉バカってやつだな、とアイクは心の中で呆れた。
「……ッ」
少し身体を動かそうとした途端、足に激痛が走った。そうだ……折れていたな、と思い出す。
「貧弱そうな身体だ。痛みに慣れていないのか?」
男の逞しい身体には、あちこちに血が滲んでいたが、彼は対して気にせずに適当に布を巻いていた。
「痛みに慣れることがいいと言われて育ったのか?」
アイクは皮肉を込めて真っ直ぐに向こうを見つめ返す。
「……耐えられないなら楽にしてやることもできる」
しかしその言葉が、挑発でも軽蔑でもない、静かなものだったことに、アイクは眉を寄せた。
男はため息をつく。その横顔は、諦めたような虚しい顔をしていた。
「…痛みにもがき苦しむ奴の顔はもう見飽きた。何回も、『頼む。楽にさせてくれ』と言われた。そうしてやったよ」
————敵にも、そんな慈悲をかけるのか?しかし、今まで武器を取り出したところを見ていない。
「……どうやって殺してくれるんだ。弾はないだろ」
アイクは、段々と掠れる息を隠すように言った。
「ナイフはあるが刃渡りが小さすぎる。出血に時間がかかる。————首を絞める」
「……」
閉じた瓦礫の向こうで、夜の風が唸った気がした。
「で、僕を”楽にした”あと、お前はどうするんだ?」
「最期まで抗うさ」
男はそう言って笑った。自信のある顔だった。ここに来てなお、生きようと言うのか。
食料も、水もない。病院と言えど、医薬品の一滴もなかった。あの馬鹿力で格闘しても、瓦礫はびくともしないだろう。
まるで、自分たちに、「ここが君たちの墓だ」と告げているように。
……それでも諦めないのか。馬鹿な奴もいるものだ。と、アイクは息をついた。
……痛い。喉が渇いた。息がしづらい。意識がぼうっとしてくる。
よく働かない脳で考えたのち、アイクはぽつりと、静かに漏らした。
「やってくれ」
最期の詩は書いた。もう国にも、この泥臭い戦争にも、ひいては人間そのものに、嫌気がさしていた。
—————唯一の心残りと言えば、妹にもう一度会えないかということだけだったが。
いつか、彼女が天国にきてくれれば、会えるだろうか。神様も天国も、もう信じてはいないが。
しかし、男の言う通り、アイクには痛みに耐える術もなかった。この絶望と、じわじわとゆっくりやってくる死の影に比べれば、やはり瞬間的で暴力的な死が欲しかった。
「お前、名は何という」
男はいつのまにか、アイクの目の前に静かに立っていた。
アイクは眉を寄せる。なぜ、殺す男の名を聞く?
その無言の問いに答えるように、男は静かに口を開いた。
「せめて殺す奴の名前を知っておきたい。俺が初めて知る、イギリス人の名だ」
彼は相変わらず無表情だったが、そこに月明かりが差していた。死神、のようには見えなかった。どちらかと言うと……静かな戦神のような、無言の英雄のような。
「……アイク=ウィルヘム=ヘリスワード」
「はっ…ドイツ人みたいな名前だな」
彼は笑い、そして低い声で名乗った。
「俺はヴァルツ=ワーゼルドルフだ」
なんて滑稽な自己紹介だろう。
「Nice to meet you, and good bye」
アイクは彼を見上げた。これから自分の首を絞める男の名は、ヴァルツと言うらしい。
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