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第3話 戦場の興奮

 その、大きなごつごつした手が、自分の首にかかったとき。そして、深緑の瞳に真っ直ぐに見下ろされたその時。  なぜか一瞬、昔の恋人が思い出された。あれは、まだ戦火が広がっていなかった頃。  同じく文学を志す、青年に出会った。ヴァルツほど体格は良くなかったが、その渇いた手の大きさが、温度が、彼を想起させた。  似ている—————  しかし、この状況でそんなものを思い出しても意味がない。心の中でそれをかき消すように、相手を見上げた。せめて男として、潔く静かに死ぬために……  沈黙が流れた。  一筋の月明かりだけが、間に線を指す。  しばらくお互いを見つめ合う。ヴァルツの表情からは、感情が読み取れない。  ヴァルツはアイクの細い首に手をかけ、親指を顎に当てる。  女のようにか弱い、白い首だ。力任せにやれば、簡単に折れる。なぜこんな奴が戦場にいる————なぜか、奇妙な気持ちになった。  男にしては綺麗な顔。その透き通るような空色の瞳を見つめる。それは、祖国で見た1番青い空を思い出させた。  ……何をやっている。名前を聞いたのがいけなかったか?いや、今まで何度も、仲間を終わらせてやったろう。天国で会おうと、誓って。それが、最後の慈悲だ。  その肌は冷たかった。アイクは、静かに受け入れるように、目を瞑る。それが、美しいと思ってしまったのは、この異様な状況のせいだろうか。  冷たい肌に指を押し当て、ぐっと、握る力を徐々に強めていった————— 「ん……」  その時、アイクが小さく声を漏らした。聞いたことのない、そしてこの場に似合わない声。  何だ……?  アイクは、全てを委ねるように、そして何かを求めるように、真っ直ぐにこちらを見上げていた。淡い金色のまつ毛に縁取られた瞳の恍惚。半開きになった唇がやけに官能的に見え、胸がざわつく。  しかしヴァルツはすぐに、それを掻き消すよう手に力を込める。 「ぁ……は、」  甘い吐息が漏れる。熱に浮かされるように震える、細い肩。締めれば締めるほどに、感じているように。  誘っている?おかしくなったのか?こいつ……  しかし、目の前の青年ただ1人をおかしいと決めつけるには、自分の胸の内にやどる奇妙な感覚が、やけに大きくなっている。  ……戦場で生死の境目を彷徨う時、人は往々にして、性的興奮を覚える。それは、緊張状態における生き物の、生殖本能が活性化されるため。  ——————狂っている。 「や、れ……早く」  アイクの震える声がした。ヴァルツはその濡れるような瞳を見つめながら、口を歪める。 「お前……この期に及んで、何を興奮している」 「……していない」 「嘘をつくな」  膝立ちしていたヴァルツの膝に、柔らかいものが当たる。ヴァルツはそれを見、「ほらな」と膝で突いた。途端、アイクの細い身体が微かに揺れる。 「や、め…….」  その弱々しい声が、ヴァルツをさらに、おかしな気持ちにさせた。彼は両手に力を込めて握りしめる。 「んぅ……」  細い喉仏が上下し、アイクが息を呑むのがわかる。その白い片手が、まるでせがむ様に、ヴァルツの手首に添えられる。隣に、灰を被った紙とペンが転がっている。 「さっき、何を書いていた」 「……詩だ」 「恋人宛てか?」 「哀れな世界へ、死の花向けだ」 「それにしては低俗で羞恥に満ちた最期だな、詩人さんよ」  ヴァルツの心に、何か邪なるものが宿っていた。首を絞めるのをやめ、片手を、アイクの股間に滑らせる。 「ぅあっ……」  揶揄いのつもりだった。お高く留まった、皮肉めいた笑みを浮かべる、綺麗な顔をしたイギリス人に、羞恥を与えてやろうと。 「やっ———」  しかし、その震える甘い声と、ビクつく身体を見ているうちに。  ヴァルツは、気づいていなかった。その顔が痛みではなく、微かな高揚に歪むのを見て、自分も、馬鹿馬鹿しい「戦場の興奮」に侵され始めていること。

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