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第1話 盗人
真ん丸の満月と欠けた三日月。
どちらが美しいか、と問われれば多くはどちらと答えるか。
これは、まぁ、どちらも風情だなんだと理由をつければ、欠けた欠けないは大した問題では無いし、どちらと答えても可笑しい話では無い。
しかし、これを宝石に例えようものならば話は一変する。
輝く美しい形を保ったダイヤモンドと、同等に輝く傷の入った欠けたダイヤモンド。
これらに価値を与えたならば、当然皆、前者を美しいと言うのだ。
その話は、この世に生きる"彼等"にも同じく適用されるのだ──────
●●●
「まぁ、素敵な簪ですこと」
「良くお似合いですよ」
目尻を赤く染めた狐目がより、細い糸になり甘い声で銀色の先に赤色の丸く小さな鈴が3つ垂れた簪を褒める。
彼女の頭の白く手入れされた毛並み立つ狐の耳が、力みが取れたようにヘタリと折れる。
女狐は身体をくねらせる。
そんな様子を見て、『良くお似合い』と讃えたのは、薄い水色と白を基調とした和服姿の男である。
女性に好まれる顔立ちをした男は、社交辞令として女狐の御機嫌を取る。
貼り付けたような普段と変わらぬ麗しい笑みに、白粉を叩いた女の頬は薄ら赤くなる。
「青龍様から頂いたこの簪、大切にいたします」
「そう言って頂けて幸いです」
若い2人がニコニコと笑みを絶やさず行うやり取りを遠くでお付きの護衛は眉1つ動かさず見守る……、というよりも監視する、の方が正しい。
その護衛の1人に男、青龍甘鶴 は、無気力な眼差しをチラリと見せる。
遠くで目配せを受けた護衛の長、甘鶴の付き人である滝蓮 は、「やれやれ」と若い主人に首を振る。
ムッと少し幼い表情を一瞬見せた彼はまだ20になったばかりである。しかし、世渡りが上手く、相手の狐にはその幼い表情を見せないのだ。
(……あー、面倒くさいな)
彼はまだ若い。……しかし、皇族の跡取り息子である彼は、大人の皮を被っている少年に違いない。
現代の世界には、人間も動物も存在しない。
歴史は動く。進化は著しい。世に生きる者は誰もが利を求め、欲を出す。
難しいよりも、簡易を求め、苦よりも楽を選ぶ。
人間は頭が良いが、身体能力は獣の方が数段上だ。
政治には知能が必要だ。しかし、肉体的にも力が無ければ事が進まぬ事もある。
欲を出したが故、どちらも得ようとした結果、科学の進歩が加わり、薬やら遺伝やらを研究を重ねたことで、この世界は出来上がった。
人間と動物、つまり獣の混合種……、言わば獣人と呼ばれる類の者が産まれた。
歴史の奥は深い。1番最初など、今を生きる者たちは知ることはない。
獣人の出来上がりもまた、今を生きる獣人たちには知らぬ事の始まりだ。
先祖を辿れば最終的には神に行き着く。
そんな物は生きていく上であまり必要ない。必要なのは、現代社会を動かす国や政治ばかりだ。
獣人の蔓延る現代世界には、階級が存在する。
神に近い種族の獣人が上に立つ。
四神の血族は特に皇族としての位が高い。
玄武 、朱雀 、白虎 、そして、青龍 。
四神の血を持つ者に取り入りたい血族は多岐に渡る。
甘鶴から簪を受けた女狐もまた、その内の1人に違いないことを彼も分かってはいる。
とは言え、狐しかも白狐となれば、四神とまではいかなくとも、それなりの皇族種である。
青龍を背負う彼も下手に無碍な扱いをする訳にもいかない。
「あちらの茶屋で休みましょう」
「ええ、そうですね」
街へ出掛けるにも両家の護衛が背後に付き纏う。これを男女の戯れ と言えるかは微妙なところだ。
(歩き疲れていたのは察していたが、変に切り上げる訳にもいかないしなぁ)
皇族の生まれ、出来の良い跡取り息子。女性への気配りまでも上手くなければならない。
それらを担う甘鶴には、どんよりと重たい荷が積まれている。
口に団子を運び、茶を静かに啜る。変に気遣われぬように、彼女にペースを合わせる。
時間稼ぎのように他愛もない世間話を混じえ、茶屋で帰り時刻まで暇を潰す。
陽が傾き始めた頃合いに店に入ったので、互いに皿と茶碗を空にした頃には、陽が落ちかけていた。
「さぁ、そろそろ戻りましょうか」
にっこりと紳士的な笑みを浮かべ、女に手を差し伸べる。彼女はその手を取り、立ち上がると、眉を下げる。
「……ええ、もうそんな時間ですか……」
彼女に最高位の種族である男に利益を求める欲があるのか、ただ彼を1人の者として好んでいるかは分かり得ない。
しかし、甘鶴に彼女と将来どうこうなる気は一切ない。
「暗くなってからでは御父上が心配しますよ」
優しい言葉と声色でその場を落ち着かせる。
茶屋を後にした2人は横並びになり、帰路へと足を進めた。
賑やかな街並みは、陽が落ちかけていてもまだ騒がしい。人通りの多い大通りに出ると、皇族である2人、というよりも甘鶴が一際皆の目を惹いた。
青龍の子供だからか、甘く麗しい面を持っているからか。
賑わう街中で、並ぶ2人を避けながら遠巻きに観察する一般種は多く居た。
(いつ来ても街も変わらないな)
建物が並ぶ風景も、一般民から向けられる視線も甘鶴にとっては、何1つ面白味があるものではなかった。
溜息を吐きかけたが、遠くで監視する強面の40過ぎの付き人に後で何を言われるか分からないので、グッと口の中に留める。
すると、土臭い匂いが甘鶴を鼻を掠めた。
「きゃっ!」
若いとはいっても甘鶴よりも年上の30近い女が高く「きゃっ」と言うのはおかしい様にも思えたが、そんなことはどうでも良かった。
2人の間を隔てたのは、土か泥が跳ねた染みがついた黄ばんだ布だった。
土臭かったのはそれに違いなかった。
風に吹かれて飛んできたゴミではない。
ドン、と甘鶴の腕に重みある衝撃が走る。
物に当たった衝撃と、少し強く吹いた向かい風。それ故に小汚い布が宙にふわりと浮き、中にあるモノが僅かに目で捉えることが出来た。
(……金色……)
ぶつかったソレは紙切れのように軽くはなかったが、腕を強く払えば吹っ飛んでしまいそうな位には軽いモノであった。
布の中で甘鶴が確かに捉えたモノは、丸く、ゆらりと少し揺れていた。
浮いた布の形が歪だった。
獣人で角を持つ者は少なくない。言ってしまえば、甘鶴にも頭部に2つ厳つく伸びた龍の角がある。
真ん中に1つ生えた者たちもいる。
しかし何故だろう。
布の中にあったのは、確かに獣人だ。
皇族とは思えない異臭と、風貌であった。
頭の上から布を被り、顔を隠すようであった。金色で揺れたのは、瞳であった。
そして、布が右側だけ張っていて、左はぺしゃんと潰れていた。右の角に布が引っ掛かり、布が剥がれることはなく、その布を纏った何者かは足早に走り去っていった。
(……子供? 皇族獣人が分からなかったのか?)
皇族種に当たるなんて……ましてや、四神血族の甘鶴にぶつかるなんて、一般種族がすることは、ほとんどない。
皇族獣人が下手に癇に障る行為は避けるべきだ。
現に隣にいる女は、当たられたことに酷く怒っていた。
顔はそこまでハッキリと見えなかったし、先を見てももう姿はなかった。
「なんて子なのかしらっ!一般族のくせに……!」
甘鶴は、少し言葉が荒くなる女を横目にして、「やはり将来を一緒にする気はないな」と1つ一瞥しつつも、彼女を宥める。
「あぁ! 青龍様の袖にも汚れが……」
女の声で自身の衣に土色が付着していることに気付く。間違いなく、今ぶつかった時に付いたものだ。
甘鶴は腕を持ち上げ、汚れた袖を顔に近づける。
やはり土臭かった。
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