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第2話 賭け事
腹の虫がぐぅぅぅ、と長く鳴いた。
「あー、腹減った……」
ボロ雑巾のような布を衣服代わりにする灯穢 は、路地裏に1人地べたに座り込む。
へこむ腹を摩れば、布越しに浮いた自身の肋骨を感じるだけであった。
(もう3日はまともに食えてない……さすがに、簪1本じゃ1週間分の食費にもならんかったな)
路地裏に力無く寝転がる者、座り込む者の多くは、灯穢と同じ境遇である。
親に捨てられた孤児とそれが成長しただけの歳だけ食った者ばかり。
1文無しの中、ギリギリで世を渡る。ここはスラム街に近い。
金が無ければ食い物も与えられない。
働けと言われればそれまでだが、痩せこけた筋肉もほとんど無い骸骨の餓鬼を雇う大人もいない。
さすれば死に近づく一方だ。
ならば悪だと言われようと、生命を保持するため盗みをする他ならない。
これは賭け事 だ。
逃げ切れれば勝ち、捕まれば負け。
負ければ、それなりの罰を与えられ、何処かに飛ばされる。
残酷な話だ。
悪事に手を染めなければ生きることすら出来ないのに、勝ったところでその辺で生きる奴らと同じような食事も取れず、1食を数日に分けて食べなければならない。
負ければ、拷問に合う。手をかけた相手が悪ければ森に捨てられる。
もう何が悪でどれが正義かなど、分かったものではなかった。
数日前、煩い街で2人の男女が横並びになって歩いていた。
どちらも背が高く、しっかりと食べて成長した体つきで、着ている衣も上等な物であった。
既に17になる灯穢は、同じ歳の者たちよりも目立って身体が小さかった。
生まれつきの遺伝などは関係なく、単なる栄養失調というやつだ。
身長は170満たないし、体重なんてそこらの女子よりも遥かに軽い。
骨の上に肌という皮が被っている。そんな容姿だ。
そりゃ肉体労働なんて出来たものじゃないし、学び舎なんてものに通う金もなければ、親もいない。学もないに等しい。
身に付けたのは、金目の物を判断する眼と、それらを持つ金持ちを見つける嗅覚だけだ。
それで17まで何とか生き延びているのだから凄いものだ。
横で寝たきり動かなくなった似た者を何十と見てきた。そうはなりたくないと思いながらも、そうなった方が楽なのではないか、とも思えた。とりわけ感傷的になる訳でも、滅入って鬱状態になる訳でもなかったが、ふと考えることがないと言えば嘘になる。
銀色の簪は、女が懐に忍ばせていた。かなり不用心で浮き足立っていたように思えた。背後を取り、脇を通れば、すんなりと獲物を盗むことが出来た。
ただ、隣にいた異様に背格好の良い男に強くぶつかり、布がズレたことが気掛かりだった。
目が合った気がする。一瞬であったし、変に顔を覚えられていないこと願っていた。
(まぁ、金持ちは大概その場で捕まらなかったら見逃すしなぁ)
金があれば替えを買うことが出来るのだから、街で出会した盗人を見つけて奪い返すよりも、新たな物を買う例の方が多かった。
そんな裕福な暮らしをしている者が当然のように存在すると思うと、腸が煮えくり返りそうだが、それで変に後を追われないのなら万々歳というところだ。
灯穢は、簪を直ぐに質屋で換金してもらい、その金で食料を得た。何もかも盗む訳ではない。金が無ければ盗むが、金があれば普通に買う。しかし、それでまた金が無くなるのだから悪循環は終わらない。
「はぁ、よいしょ……」
暗く死骸に近い者ばかりが集まる場所に居ても、腹は膨れない。
また生きるために盗みでも働くかと、灯穢は栄養を失う身体は無理矢理起こし、立ち上がる。
フラリと身体は限界に近いのか立ちくらみのように横に揺れる。
上を見上げたとて気分が昂ることも無い。生まれてこの方灯穢が昂った試しも無いが。
見上げた重たく鉛色の空は不安ばかりを煽る。
(……神様なんていないもんな)
存在すら怪しい不確かなそんなものに縋るほど灯穢は純粋では無かった。寧ろ、そんな存在を恨めしく思っていた。
本当に存在するとしたならば、それは彼にとって神様などと崇められたものでは無い。
彼の望みを何も叶えてなどくれないのだから。
自身から放たれる異臭は、自身の身体からか、その辺のゴミから引っ張ってきた上着代わりにしていた小汚い布地からか。
被っていた布から一度頭を出す。
(……何をしたってんだ)
汚れたまだらな金髪は、ずっと洗っていないのでギシギシに傷んでいる。
その髪の間から突き出る2本の角。
右側に付いた角は、先端が尖り、異種の角とほとんど変わりは無い。
しかし、もう片方、左側の角は、先端が無い。
角は円柱のようになり、上面は、無理矢理折られたかのように表面がガタガタしている。
親の顔、血族を1人として知らない灯穢は、自身が何の血を持つかも知る術がない。
片方が折れているとは言え、角が2つ。これは確かなのだから鹿か何かの種族だろうかと考えていた。
しかし、鹿族に混じろうにも、異質な折れた角持ちはハブりに遭うのが目に見えている。
言わばこれは、欠陥 だ。
真っ直ぐに伸びた龍のような角は格好良い、美しい。
では、折れた彼の角を誰が格好良いと、美しいと言うだろうか。
(いる訳ない)
本人が1番分かっていた。自身が誰からも認めれない欠陥品であることは、よく理解していた。
暗いことを考えても何も始まらない、と首を数回振り、妬む気持ちを忘れ、盗み に出るかと1歩進む。
路地裏から表に出るその場に足を踏み入れると、建物で角から何かが出てくることに気付かず、灯穢は小さな身体を吹っ飛ばされる。
「ぉわ!」
影のある方にベシャッと崩れると、ジンジンと腕に痛みが走る。
何か、誰かにぶつかったのだ。
顔を上げると、
「! あ、アンタ……」
灯穢が知っている顔であった。
知人などほとんどいない灯穢であったが、その顔は数日前に見たもので覚えがあった。
「っ!……いた」
「質屋の……」
ぶつかったのは、以前女狐盗んだ簪を売り払った質屋の店主であった。
店主の男は60近い見た目で、決して裕福とは言えない見た目だが、商人として働けている。
灯穢からすればそれだけで幸せ者と思えた。
質屋の店主は、灯穢の顔を見るなり目を見開いた。そして、小さく『居た』と呟いたのだ。
違和感があった。
質屋にはたまに訪れるが、知り合いとも言えない仲の灯穢をまるで探していて、見つけた、そんな呟きであった。
嫌な予感がするのは、立ち込めた暗雲の空色のせいであろうか。
灯穢の心臓が僅かに速く動く。
単なる予感は気のせいであって欲しかった。
「っ、おい、こいつ、この餓鬼だ! あの簪を売ったのは!」
「!!」
こういう時ばかり予感は当たる。これもまた彼にとっての不運か。
大口を開けて誰かを呼ぶように店主は少し慌てた様子で声を荒らげる。
灯穢はすぐさま「まずい」と思った。
盗んだ簪。それを売ったことを店主が誰かに口添えした。
つまり、あの簪の持ち主が盗人を見つけ出そうとしている、そういう仮定が成り立った。
(処罰なんて御免だ!)
小さな限界近い身体に籠る僅かな力を振り絞り、店主を押し退け、街へと走る。
(逃げろ、捕まるな……!)
もつれそうな足を何とか動かし、前へ前へと灯穢は走る。
しかし、足も長くない。筋肉も並大抵以下。体力は底をついている。
灯穢の腕が後ろに強く引かれる。
「っ!!」
グンッ、と肩から胴体が外れそうだった。腕を強い力で握られ、身体が前へと動かなくなった。
(まずい、まずいまずい……! これじゃあ、"負け"だ……!)
生きる賭け事 。
それの負けは、何を意味するか。
顔をゆっくりも振り向かせる。
その力は、女子供のものとは思えない。
「……白狐の女から銀色の簪を盗んだのは、お前か?」
異様に声が低い。男、しかも若くは無い。
振り向いた先にあった顔は知らない。
黒い着物から伸びた太い腕には、力を込めたことで血管が浮き出ていた。
40代ほどに見える。ニコリとも笑わないその屈強な男は、灯穢に1つ尋ねた。
「っ……」
灯穢は声を失う。
やはり、持ち主が簪の盗人を探しているのだろうと考えた。
「……歪な片角……、"あの人"が言った通りだ」
ブツブツと喋る姿、小さく溜息を1人で吐く姿は、灯穢は気味が悪いと思った。
力の限り手を振り払おうとするがビクともしない。
「……一緒に来てもらう。……主の命だ」
灯穢はそんなこと知るかと、何度も腕を振り上げようとするが、男に勝ることは無い。
僅かな抵抗に男が気付かないはずもない。
「手荒な真似ですまない」
「は……っ!!!」
紳士的に口だけ謝罪を述べると間髪入れず、灯穢の首に衝撃が走る。
脳が強く揺れる。何も考えられなくなる。一瞬にして灯穢は、白目を向き、その場に膝をつく。
掴まれた腕だけ伸び、全身が脱力して地面に落ちる。
ガクンと意識を無くした灯穢は、男に抱えられる。
「……この者の情報提供、感謝する。これは主がらだ」
「! これは、金……! こんなにいいのか…!?」
質屋の店主に形なりに感謝を述べた男は、灯穢を横抱きに抱えながら器用に小袋を店主に差し出す。
中には光る金色が数枚入っていた。
それだけあれば、1ヶ月は食うものに困ることは無い。
「ああ。私のモノではない。主からの礼だ」
「……しかし、その餓鬼も運がねぇな。……まさか、天下の四神族の御方のモン掻っ攫ちまうなんて」
灯穢を売ったくせに、灯穢に憐れみの視線を向けて店主は口にする。
口にしただけで、小袋を懐に忍ばせれば、浮き足立って店主はその場を後にした。
男は抱えた意識のない灯穢をチラと見る。
男の身体とは思えない小さく重みの無い少年に驚く。
彼のよく知る若い男は、もっと背が高く、豊満ではないが、筋肉があり、重たい。
それこそが、主な訳だが。
「……あぁ、本当に運がない」
人影のない路地裏と街の境目で、男はまた1つ呟く。
「……甘鶴様の戯れに巻き込まれるなんて……」
「やれやれ」と疲れた面持ちで、灯穢を抱き、街の方へと歩く滝蓮は、主、青龍甘鶴の暇潰しにされるかもしれない身軽な少年を哀れに思う他なかった。
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