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草原の別れ①

 エミーユが話を終えれば、マリウスは床に両手をついて項垂れていた。 「そんなひどいことが……、でも、誓って言う。お、おれは、妖人狩りをやったことがない……、敵との交戦にしか出たことがない……」 (そんなのはわかってる……、マリウスにそんなのができるはずがない) 「それでも、あなたはグレン兵士だ」 「お、俺はグレン兵士として……、グレンの人間として、つぐなう。おれ、なんでもやってつぐなう。うっ、うっ……」  マリウスは号泣を始めた。全裸のままで背中を丸めて大泣きするマリウスは、ひどく格好が悪かった。 「おれ、つぐなう……、一生かけてつぐなう…、ううっ……」 (ごめん、マリウス。マリウスが悪いわけじゃないのに。悪いのはグレンの皇帝なのに)    悪いのは戦争を始めた皇帝であって、マリウスも、戦争に駆り出された兵士らも、犠牲者だ。  ひどく格好が悪く情けないマリウスが、どうしようもなく哀れだった。 「マリウス……」  エミーユはマリウスに近づいて、頭を撫でた。マリウスはエミーユにしがみついてきた。 「エミーユ、ごめん、おれ、おれたちは、あなたたちにとてもひどいことをした。でも、お、おれ、エミーユから離れたくない。ずっとここにいたいっ、つぐなうためにここにいさせてっ……おねがい……っ」  エミーユはマリウスの背を抱きしめ返すのを止められなかった。  黙り込んだエミーユにマリウスは懇願する。 「おれ、ここにいさせて。お願い……!」  エミーユは拒絶することができなかった。 「わかった。では、マリウス、あなたはこれから私につぐなってください」 「じゃ、じゃあ、エミーユ! いいの?」  エミーユはうなづいた。 ***  夜も更けて、マリウスはぐっすりと眠り込んでいた。  エミーユはマリウスの寝顔を長いこと見下ろしていた。  マリウスの夕飯の皿には酒を混ぜておいた。消毒に使うアルコール度数の高い酒だ。お陰でマリウスは深く眠っている。  エミーユはハサミを取り出して、マリウスの目に巻いた包帯を切った。 (マリウス......、ごめんね、ずっと見えないままにして。私もあなたの目の色を見てみたかった)  エミーユは床に落ちたマリウスの衣服を拾い上げると、丁寧にたたんで、テーブルの上に置いた。剣と軍袋をその横に置いた。  台所に向かうと、パン生地を取り出した。生地にありったけの干し果実とナッツを詰め込んだ。  新たに焼いたパンをマリウスのために残していく。自分用に、昨日焼いたパンを袋に詰め込んだ。  もう一度マリウスの元に戻る。  マリウスの頭や頬に何度もキスを落とした。 (マリウス、可愛いマリウス……、甘えん坊の泣き虫マリウス……)  エミーユはバイオリンと袋を担いで、小屋を出発した。丘の下の農夫の軒先に、連れていたヤギをつなぐ。  町に着いて、朝一番で出発する乗り合い馬車に乗り込んだ。 (マリウス、可愛いマリウス、さようなら………!) ***  マリウスが目覚めたのは日が高くなってからだった。起きるなり、隣に手を伸ばした。  隣は空だった。  マリウスは飛び起きた。  エミーユがいない。  小屋の中の空気が変わっているのを感じ取った。 「エミーユ?」  マリウスは視界が戻っているのに気付いた。 (目が見える?!)  初めて見る光景だが、よく知っている場所だった。頭に描いていた通りの光景が広がってる。  ひどく温かい場所だった。  しかし、その温かさの源がいない。 「エミーユ! どこ? エミーユ!」  マリウスにはエミーユがいないことがとても不安だった。 「エミーユ、お願い、出てきて。どこ?」  戸口に向かう。戸口には軍靴以外なかった。  小屋の外に出ても姿が見えなかった。 (エミーユはどこに行ったんだ) 「エミーユーーーーッ!!」  感覚を頼りに泉のある岩場まで走った。裸足に全裸であることなど気にならなかった。  岩場には黄色い花がたくさん咲いていた。  見たかった光景だが、そのときのマリウスには何の情動も起きなかった。  ただ、エミーユがいない、それだけに気を取られている。  小屋に戻ると、ブラックベリーが近寄ってきた。 「ブラックベリー、エミ、エミーユは、どこ?」  ブラックベリーに答えることなどできない。  エミーユが用意したのか、ブラックベリーの飲み水が桶にたくさんあった。 (エミーユ、どこに行ったの……?)  ヤギがいたはずだが、それがいなくなっていた。繋いでいただろう杭だけが残っている。  マリウスに嫌な考えが過る。 (まさか、俺を捨てた……?)  小屋に戻ると、机の上にマリウスの衣服が置いてあるのに気付いた。きれいにたたまれている。剣も軍袋も水筒もこれみよがしにきちんと並べられていた。  マリウスが考えるまでもなかった。これは出発の用意だ。エミーユはマリウスの旅の用意をして、そして、自分も出て行ったのだ。 (エミーユ、うそだ、どうして……)  マリウスは床に膝をついた。 (エミーユ、おれをすてたの……?)  マリウスは衣服を着込むとブラックベリーに飛び乗った。 (町はどっちだ?)  丘を下った先に、集落が見えた。宿場町だ。  徒歩ならば一刻はかかりそうだが、馬ならひとっ走りで着きそうだ。

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